阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

十人の皮膚病の癒し、しかし感謝したのは?」

2017-03-30 22:12:45 | Weblog

2017.3.26.十人の皮膚病の癒し、しかし感謝したのは?」

聖書 ルカ17:11~19

題  十人の皮膚病の癒し、しかし感謝したのは?

 

暗唱聖句

Ⅰテサロニケ5:16~18

「 いつも喜んでいなさい。

  絶えず祈りなさい。

  すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

はじめに

今日は重い皮膚病にかかった人が、イエス様に病気を治していただいて、感謝した時のお話です。私たちは病気にかかると早く治りたいと思います。痛かったり、苦しかったりするとなおさら早く癒されたいと願いますね。癒されたら、感謝しますか。そのまま、当たり前だと思って、生活を続けますか。今日のお話は、10人の重い皮膚病の人がいやされたのですが、なんと感謝を現わす為に帰って来たのは一人だけでした。イエス様は一時がっかりされましたが、感謝した人を祝福して、救ってくださいました。

 

1.10人の重い皮膚病の人

ある日、イエス様の一行はエルサレムに向かって旅をしておられました。今のように、高速バスもありません。電車もありません。歩いて行く旅です。途中で、ガリラヤとサマリヤの堺にある、ある村に入られた時のことです。ここには村の名前は出ていません。恐らく、ユダヤ人やサマリヤ人の共同体から、追い出された重い皮膚病の人たちが住んでいた村ではなかったかと思われます。イエス様の時代、重い皮膚病は「らい病」だと言われていました。ツァラアトは口語訳では「らい病」と訳されています。でも、実際には、どういう皮膚病なのかはっきりわからないために、新改訳ではヘブル語の読み方をそのまま使うことになったようです。これらの皮膚病は感染する恐れがあるため、一般の居住区から隔離されていました。隔離された所に住んでいたのです。イエス様が立ちよられたのは、そういう村だったのではないでしょうか。この人々はもう一つのいやな言葉を叫ばなければなりませんでした。それは「私は汚れた者です。」という言葉でした。叫んで、人々を近づけない、健康な人々に感染しないように気をつけなければならなかったのです。ですから、一度、この重い皮膚病に罹ったら、病の苦しみの他に、「社会から断絶させられる」という悲しみや孤独の苦しみ、経済的な苦しみが重なって行きました。

イエス様が、この村に入った時、10人の重い皮膚病の人々に出会いました。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、叫びました。「イエス様、先生、どうぞ、憐れんでください。」と、病の癒しをお願いしました。彼らはイエス様が多くの病人を癒されたことを噂で聞いて知っていたのです。

 

2.イエス様に従った十人の重い皮膚病の人たち

 十人の重い皮膚病の人たちが叫んだので、イエス様は彼らをご覧になりました。

イエス様は彼らを見て言われました。「行きなさい。そして、自分の身体を祭司に見せなさい。」彼らはびっくりしました。まだ、治っていません。しかし、イエス様はまるで治ったように、「祭司に見せて、祭司が清められていると認めてくれたら、家に帰ることができるから。」という思いを込めて、「祭司に見せるように」言われたのです。この病気は神にのろわれ、汚れた、特別な病気だと思われていました。ですから、病気が治ったかどうかを調べるのは祭司の役目だったのです。治ったかどうかを調べて、家族のところへ帰ってよいかどうかを決めるのは祭司たちの仕事でした。

ところが、祭司たちはこの村にはいません。祭司たちはエルサレムの神殿で働いていました。エルサレムまで少なくとも3日間はかかります。その間、宿屋には泊まることはできません。彼らは汚れている者だったからです。もし人に会うなら「私たちは汚れている者です。」と叫ばなければならない身分です。彼らは悩みました。しかし、他になすすべもありません。イエス様がいやしてくださると信じて、エルサレムに行く決心をしました。イエス様のお言葉に従順に従ったのです。

 

3.途中で癒された。

 彼らはエルサレムに向かって歩き出しました。十人の人たちは、エルサレムに向かって歩いているうちに、気分が良くなってきました。身体に力が出てきました。体中にあったおできも少しずつ減って治ってきました。そうこうしているうちに、大きな声が出るようになりました。喉も良くなってきたのです。一緒にいる人たちを見ると、いつの間にか皮膚がきれいになっていました。

10人の人々はエルサレムへの道を急いでいるうちに、完全に病気が良くなってしまったのです。それはイエス様を信じて、イエス様の言うことに従ったからです。皆は「イエス様って、何と素晴らしいのだろう。神様、感謝します。ハレルヤ!」と喜びました。大きな声をあげて感謝したのです。

 その時、一人のサマリヤ人は病気が治ったので、他のユダヤ人の9人に言いました。「すぐイエス様のところに戻って、お礼を言おう。」ところが、9人は言いました。「そんなことより、まず、エルサレムの神殿に行って、この身体を祭司に見せよう、そして治ったことを認めてもらおう。そうすれば、家にも帰れるし。・・その後でイエス様にお礼に行っても遅くはない。」

サマリヤ人は「認めてもらうことよりも、まず、イエス様のところに帰ってお礼を言おう。」と言いました。病気は治りました。そのことで意見が分かれました。サマリヤ人はまずイエス様にお礼を言うことにしました。しかし、あとの9人のユダヤ人たちは祭司に見せて、皮膚の癒しを確認してもらうことを考えました。イエス様にお礼を言うより、祭司のところへ行くことを選んだのです。

 サマリヤ人は仲間たちと別れて一人でイエス様のところに帰って行きました。それは皮膚病を癒してくださったお礼を言うためでした。帰りながら、嬉しくて、道を走ったり、立ち止まったり、ジャンプしてみたり、両手を天にあげて見たりして、創造主を賛美しました。また大きな声で「ハレルヤ! アーメン!」と賛美しました。10人は清くされたのですが、1人のサマリヤ人だけが「自分がいやされたのがわかって」大声で神をほめたたえながら、引き返してきたのです。それは「自分がいやされたのは、神がいやしてくださったからだ」とはっきりわかったからです。

 

4.ひれ伏して感謝した

この人は、とうとう、イエス様のいる所に帰ってきました。イエス様を見ると、地にひれ伏して言いました。「ありがとうございました。ありがとうございました。あなたのおかげで、私の病気が治りました。お礼が言いたくて戻ってきました。」と大きな声で言いました。イエス様はこの人を見て優しく、にこにこしていました。でも悲しそうに言いました。「治ったのは十人ではなかったのかね。他の9人はどこにいますか。」

それからこの人に言いました。「立って行きなさい。あなたは私を信じたから治ったのです。」と言いました。イエス様は10人を愛していました。しかし、帰って来て、イエス様に「ありがとうございました。」とお礼を言って、イエス様を喜ばせたのは、このサマリヤ人一人だけでした。

サマリヤ人はユダヤ人にとって外国人でした。そして、ユダヤ人からは差別されていた民族でした。しかし、そんな自分をイエス様が憐れんでくださって、重い皮膚病を癒してくださったと思ったら、いくら感謝しても感謝しきれないのでした。

 

5.神様に感謝を捧げるために帰ってきたのは一人だけでした。

感謝を捧げるために帰ってきたのは一人だけでした。イエス様は帰ってきたサマリヤ人を喜んで迎えてくださいました。ここに1対1のイエス様とのつながりができました。イエス様は言われました。「立ちあがって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを治したのです。」と。「あなたを治した」という言葉は、口語訳では「救った」となっています。彼はイエス様と顔を合わせてお礼を言い、個人的なつながりを持ちました。そして救われたのです。彼の生活は病の惨めな生活から、一度に喜びに溢れた人生に変えられたのです。

イエス様は言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と。「信仰」とは何か、それは、このサマリヤ人が、自分の病気が治ったことを「神がいやしてくださったこと」として受け取ったことです。信仰というのは「自分の身に起こった出来事の中に神とのつながりを発見すること、自分の現実の中に神の働きを見て行くこと」ではないでしょうか。

6.クリスチャンの生活

このサマリヤ人の態度はとても私たちクリスチャン生活の模範になります。私たちも神様とのつながりの中で、神様の働きをたくさん見させていただいています。恵みの中を歩いているのです。イエス様は21節で「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」と言われました。サマリヤ人が救われて喜んでいるのを見て、イエスさまも喜ばれました。神の救いの喜びが広がっているのを見たり、聞いたりして、私たちは喜ぶのです。その中に神の国の現実を見るのです。信仰と救い、賛美と感謝、など神の国でなければ、味わうことのできない喜びや平安を分かち合うことが大切です。

昨日、轟先生が信仰の秘訣を教えてくださいました。それは毎日寝る前に寝ながら感謝することだそうです。

まず真理の言葉、すなわち聖書の言葉の中から、好きな言葉を選びます。たとえば、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」という言葉をイメージとして、敷布団の上に置いて、その上に自分を置きます。そうすると自分は真理の言葉で守られています。それから、感謝のお祈りをします。その時、領収証の祈りをするのです。つまり、神が祈りに答えてくださったものとして、感謝して行くというものです。この10人の皮膚病の人たちはまだいやされていないのに、癒されると信じて、エルサレムに向かって歩き出しました。私たちは神の子ですから、すべてが満たされていくと信じて、感謝の祈りを捧げて歩むというものです。そうしたら毎日が嬉しいといわれました。クリスチャンは一番幸せでなければならないと言われました。

すべてが願いどおりになるというのではありません。たとい、願いがかなわなくても、現実をありのまま、受け入れて、肯定的に生きて行くことができたら、それは祝福されている生き方です。神に愛されている、その愛に答えようとしている生き方がクリスチャンの生き方です。神様に愛されている、このことに応答して行く生き方、それは何物にも変えられない喜びなのです。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」

いつも感謝の中で生活できる人生は素晴らしい人生です。あなたもこんな生き方を選び取りませんか。

とどろき先生は続けて言われました。

「これが大切!『月曜から土曜日までが本当の礼拝、本当の礼拝は職場、家庭で行うもの、

日曜日の礼拝は証会のようなものだ。がんばりなさい。』と言って、派遣のお祈りをするのです。」


エステルの勇気と献身

2017-03-17 14:19:30 | Weblog

2017.3.12.エステルの勇気と献身

聖書 エステル記 2:8~10,16~17、4:8~17(1~10章を読む)

題  エステルの勇気と献身

暗唱聖句

エステル4:14a,c

「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、あなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

 

はじめに

今日は3月12日です。12日と13日はイスラエルでは「プリム祭」というお祭りをしています。

「プリム祭」というのは、エステル記のエステルとモルデカイの働きによって、ユダヤ人が、ユダヤ人虐殺から免れたことをお祝いする日です。その悲しみと喪に服す日がユダヤ人の勝利の日、喜びの日になったというので、お菓子や食べ物を配ってお祝いします。プリムというのはプルの複数形で、意味はくじ引きの「くじ」です。ハマンという悪い大臣がくじを引いて虐殺の日を決めました。くじによって、第12月(アダルの月)の13日と決まりました。そこからプリム祭という名前がつきました。ユダヤ人は毎年、このプリム祭を盛大にお祝いします。今年もイスラエルの国では仮装をして、皆、町に出て、楽しんでいます。この日には特別なクッキーを食べます。それは「ハマンの耳」というクッキーで、耳の形をしており、中央にいろいろなジャムが入っています。とてもおいしいです。

さて、「エステル記を開けましょう」と言っても、あんまりわからないかもしれません。日本ではあまり読みませんから。イスラエルの国では毎年、このプリム祭の時はどこででも朗読されます。今年は400か所で朗読されるそうです。そしてハマンという名前が出てきたら、大きな音を立てる楽器を鳴らして、楽しみます。

 

エステル記の物語のあらすじ

時代はバビロニヤ王国が滅亡し、その後に起こったペルシャの国(イラン)が最高に繁栄した頃です。ライオンの穴に入れられたダニエルが活躍した、その後ぐらいだと思います。アハシュエロス王がインドからエチオピアまで治めていた頃です。これはアハシュエロス王の墓です。イランのシーラーズという所にあります。岩をくりぬいた墓です。ダニエルを愛したダリヨス王の墓も同じ所にあります。これは徳島の井桁先生がとって来られた写真です。

このアハシュエロス王のお妃になった人が、「エステル」という美しいユダヤ人の娘さんです。これはエステルの墓で、王の墓から飛行機で3時間ほど離れた所にあるそうです。テヘランから4時間ほど離れたハマダ―ンという所にあります。なぜなら、エステルがこの王の妻であった期間は短かったそうです。それから、このエステルを育てた人で従兄弟のモルデカイという人がいます。この人もユダヤ人です。エステルの墓と並んで、お墓があったそうです。ここには写っていませんが。

 

アハシュエロス王はインドからエチオピアまで127州を治めていた輝かしい王でした。彼が、彼の治世の第3年目に大宴会を半年間も催していた頃の出来事です。美しいお妃のワシュティを皆に見せたいと思って、王宮に招きましたが、彼女も自分の宴会を開いていたので、王の命令に従うことができませんでした。彼はこのことに非常に怒って、罰を与えました。この王妃は、王の前に出ることができなくなって、王妃の座を取られてしまったのです。

そこで、家来たちは次の王の花嫁探しをするために、容姿の美しい娘たちをシュシャンの城に集めました。今でいうミス・コンテストです。その中にエステルという美しい娘さんがいました。王はこのエステルをとても気に入り、とうとう王冠を彼女の上に置き、王妃にしました。

(エステル2:17)「 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。」

 

エステルは王妃になっても、養育されていた時と同じようにモルデカイの言うことを守っていました。自分の生れも、自分の民族も誰にも打ち明けていませんでした。モルデカイが「秘密にせよ。」と言っていたからです。

2回目のミス・コンテストがあり、娘たちが集められる頃、問題が起こりました。モルデカイは門のところに座っていたので、王を殺そうとしている二人の暗殺計画を発見しました。エステルはこれをモルデカイの名前で王に告げました。二人は調べの結果、処刑されました。

 

 この出来事の後、アハシュエロス王はアガグ人のハマンを重んじ、彼をすべての首長たちの上に置きました。それで、王の門にいるすべての家来たちは皆、ハマンに膝をかがめてひれ伏しました。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしませんでした。それに腹を立てたハマンは怒りに満ちて、モルデカイだけではなくモルデカイの民族であるユダヤ人全部をペルシャ王国から根絶やしにしようとしました。その実行日のくじを引いたら第12の月13日に当たったのです。それが今年は今日に当たるのです。ハマンは王にユダヤ人を虐殺する許可をもらうことに成功しました。そして、ペルシャ王国中にユダヤ人を滅ぼすためのおふれが出され、早馬で急使が飛んで行きました。シュシャンの城でもその事が発令されました。

それには、「第十二の月、すなわちアダルの月の13日の一日の内に、若い者も年寄りも、子供も女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財を奪え」と書いてありました。この日の準備のために、すべての民族に公示されました。

  

 モルデカイはこのことを知ると、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でわめきながら町の真ん中に出て行き、王の門の前まできました。中に入ることはできませんでした。エステルがそのことを知って、荒布を脱がせ、新しい洋服を着せようとしましたが、彼は受けとりませんでした。

 エステルはモルデカイに何が起こったのか、聞いてくるように一人の宦官を遣わしました。

モルデカイはハマンの一部始終の悪だくみとわいろに出した王への金額も教えました。そして、エステルに言いました。「王に直訴して、この法令を取り下げてもらうように願いなさい」ところがエステルはこう言いました。「王が召されないのに、うち庭に入ると処刑されるという法令があります。私はもう30日も王に召されていません。」するとモルデカイはエステルに返事を送って言いました。

(エステル4:14) 「4:14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

(4:15~17)エステルはモルデカイに返事を送って言った。

 4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

 4:17 そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。

 

 さて3日目のことです。エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立ちました。王が王妃を見た時、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の勺をさしのばしました。そこでエステルは近寄って、その勺に触りました。王はエステルに何を願っているのかと言いました。するとエステルは「宴会においで下さい。ハマンと一緒においで下さい。」と言いました。王はエステルの宴会にハマンと共に出かけました。王は不思議に思い、また「あなたは何を願っているのか?」と聞きました。エステルは「もう一度、明日、またハマンと一緒に宴会に来てください。」と言いました。王はその夜、眠れませんでした。それで、年代記の書を持って来て、家来に読んでもらっていたところ、モルデカイが王の暗殺計画を発見し、王に告げたことが読まれました。王は彼に褒美を取らせたかどうかを聞くと、何も与えていないということがわかりました。そこへハマンがやって来たので、栄誉を与えたいという人は、どうしたら良いかを聞いて、そのようにせよと命令しました。ハマンは栄誉は自分に来るものだと思っていましたので、王のような格好をさせて、王の馬に乗せて、街を練り歩くことを提案しました。彼はモルデカイを殺そうと思って、王のそばに来たのに、返って彼のしもべのような格好になりました。彼は嘆きながら、家に帰り、せきたてられながら、エステルの宴会に連れて行かれました。

 王はエステルに何が欲しいのかと再び聞きました。エステルは答えました。

(エステル7:3~6)

王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。

 7:4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」

 7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」

 7:6 エステルは答えた。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。

 

 ハマンは捕らえられ、ハマンがモルデカイを処刑しようと思った木にかけられ、処刑されました。エステルは再び王に嘆願しました。ハマンが企てたユダヤ人殺害の法令を取り消してくださるように願いました。王はユダヤ人たちが自分たちを襲う人たちに立ち向かって、闘い、滅ぼすことを許し、彼らの家財をかすめ奪うことを赦しました。それに、王の印鑑をおし、急使がペルシャ王国中の127州にその命令を伝えに出て行きました。そうして、ユダヤ人たちは迫害を逃れることができました。それで、この日は祝宴をする日となったのです。

8:17「王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。」

 

結論:①.エステルはモルデカイが「あなたはこの時のために、王宮に来たのではないか、」という言葉を聞いて、3日3晩、断食して祈りました。そして、エステルは自分の民族を助けるために命をかけて、王宮の内庭に立ちました。そして、王にユダヤ人虐殺の法令を取り除いてもらえるように嘆願しました。その結果、ハマンは処刑され、ユダヤ民族は助かりました。

エステルには自分の民族を助けるという神の使命が与えられていました。命をかけて、その使命を果たしました。その中で神が働かれたのです。宴会を開く知恵もくださいました。夜には、モルデカイが王の暗殺計画を発見したこともわかるように、王の心に語ってくださいました。このエステル記には神という言葉は出てきませんが、神が働かれたことがわかります。

 

 ②日本でも、このプリム・カーニバルを毎年やっているところがあります。それは岐阜県加茂郡八百津町という所です。ここは杉原千畝さんの故郷です。杉原さんは外交官で1940年の夏、リトアニアのカウナスで領事代理をしていました。第二次大戦中のことです。ユダヤ人はナチス・ドイツのユダヤ人滅亡政策で、捕えられ、強制収容所に入れられ、ガス室で殺されていた時代でした。そのような中で、避難していくユダヤ人たちに、彼はビザを発給して、6000人のユダヤ人の命を救いました。彼独自の判断で、ビザを発給しました。職を失うことも覚悟しました。家族の危険も覚悟しました。何よりも、彼はナチス・ドイツの恐怖に負けなかったのです。45年後の1985年にイスラエル政府は杉原氏の功績をたたえ、「諸国民の中の正義の人」という名誉称号を彼に与えました。

杉原千畝さんも神がちょうどその時、リトアニアでユダヤ人を助けるために用いられました。ユダヤ人は「神のひとみ、神の宝の民」と言われています。アブラハムの子孫です。聖書の神はアブラハムを祝福する者を祝福すると約束しています。また詩篇122編6節には「エルサレムの平和のために祈れ。」と命令されています。

 

③現在のエステルはもしかしたらトランプ大統領かもわかりません。多くの彼の政策がメディヤによって叩かれていますが、その中で「イスラエルを愛している、その心は一貫している。」と言われています。そして、アメリカ大使館をエルサレムに移転するという公約を出しており、実行しようとしています。反ユダヤ主義が世界に広がっている中、トランプ大統領はイスラエルの側に立っています。神の御手が彼の上にあり、支えられるように祈るものです。

 

④最後に。あなたの上にもエステルのように神の使命と助けがあります。偶然、阿南神召キリスト教会に来ているのではありません、神が導いてくださったのです。神の使命に立ちましょう。職場も家庭も同じです。あなたでなければできないことを神はあなたに任せておられます。日々、あなたの使命は何か、神に聞いて、立ち上がりましょう。


ライオンの穴に投げ込まれたダニエル

2017-03-10 22:29:35 | Weblog

2017.3.5.ライオンの穴に投げ込まれたダニエル                 

聖書 ダニエル6:4~18

題  ライオンの穴に投げ込まれたダニエル

 

暗唱聖句 ダニエル6:23

「そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」

 

はじめに

先週はヨナの物語でした。この預言者ヨナは紀元前760年ごろの人です。

預言者ヨナはアッシリヤ帝国の首都であるニネベに神のことばを携えて、「もう40日すれば、滅びる。悔い改めよ。」と伝えに行きました。ニネベの人々は神の言葉を聞いて、悔い改め、滅びからまぬがれ、アッシリヤ帝国は繁栄しました。その後、北イスラエル王国はこのアッシリヤ帝国によって、紀元前722年に滅びました。そのうちに、アッシリヤ帝国が滅亡し、新バビロンが起きてきました。バビロンの王はネブカデネザル王でした。南ユダ王国は、紀元前586年にバビロンのネブカデネザル王によって滅ぼされ、イスラエルの人々はバビロンに捕囚の民として連れて行かれました。その中にダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤという容姿の美しい少年たちがいました。この少年たちは知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい少年たちでした。彼らは3年間、バビロンのことばや文学を習い、王に仕えるにふさわしい教育を受けました。3年後、彼らは立派に成長し、王が話してみると、バビロンのどんな呪法師や呪文師より10倍も賢いということがわかりました。

特にダニエルは幻と夢とを解き明かすことのできる賜物が与えられていました。ある時、王の夢とその夢の解きあかしをしたので、ネブカデネザルはダニエルを国の総理大臣にしました。他の3人はバビロン州の事務をつかさどることになりました。

 

1.ダニエルは、神様にも仕事にも忠実な人でした。

ダニエルは王の宮廷にいて、忠実に働いていました。時代は変わり、その頃、バビロンの国は、滅び、メディヤとペルシャの国が起こっていました。バビロンの王の息子も殺され、メディヤ人のダリヨスが王として、その国を受け継いでいました。ダニエルはバビロン捕囚の時に連行された囚人の一人ですが、神の守りによって、バビロンの宮廷、そしてメディヤの宮廷で働くことになったのです。連行された時は10代の若者でしたが、ダリヨス王に仕える頃はおそらく80歳近くになっていたと思われます。(紀元前530年ごろまで生きていた)

 

ダリヨス王は新しい王で、62歳でバビロンを受け継いだ王です。彼は国民が反乱をおこさないように、また税金をきちんと納税するように、国内のそれぞれの地域に地方総督(太守)を120人、置きました。その上に3人の管理統制の大臣を置きました。ダニエルの内には神の優れた霊が宿っていたので、ダニエルは他の2人より格段に賢く立派でした。ダリヨス王は、ダニエルを総理大臣に任命しようとするほど、特別に愛し、信頼していました。他の大臣や太守たちは、ことを非常に妬みました。そこで彼らは、何とかしてダニエルを陥れようとしました。しかし、ダニエルは忠実で、まじめなので、欠点がありませんでした。そこで、大臣や太守たちは、彼の信仰深さを利用して、陥れようと考えました。彼らは1ヵ月間、ダリヨス王だけが神としてあがめられなければならないという法令を制定するように願い出ました。ダニエルは南ユダ王国から捕囚で連れてこられた囚人の一人でした。外国人だったので、そのことでも、妬みを買ったのかもしれません。しかし、この頃になるとダニエルの実績から、大臣たちは何も言えない状態になっていたと思います。ダニエルは神と人に忠実であったため、王に告げ口をするための材料がありませんでした。これは「すぐれた神の霊」の助けだったと思います。主を恐れる者には、神は憐れみ深いのです。ダニエルのような人は、人にも愛され、信頼され、幸いな人生を送ることができます。

 

2.ダニエルは陰謀にはめられ、ライオンの穴に入れられました。

 

  大臣や太守たちは、ダニエルが1日3回、エルサレムに向かってお祈りをすることを知っていました。信仰はダニエルが一番大事にしているものなので、その習慣は変えられないだろうと考え、それをわなにすることにしました。「その祈りの習慣が命取りになる」ような方法を考えました。そうして、「1ヵ月間、ダリヨス王だけを拝む。そうでない者はライオンの穴に投げ込む。」という法律を制定したのです。ダニエルはその法律が発令されたことを知りました。しかし、彼は迷ったり、おびえたりすることも無く、「いつものように、日に3度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝」しました。策略を企てた人たちは「しめた!」と思ったことでしょう。彼らは、早速、それを王に報告しました。王は法律を作ったことを非常に後悔しました。そして、ダニエルを救おうと一日中、奔走しましたが、できませんでした。王といえども、法律を取り消すことができなかったからです。王があんまりコロコロと法律を変えていたら、国民が混乱するので、法律が決まったら、取り消しできない仕組みになっていたと思われます。

 

ダニエルはライオンの穴の中に投げ込まれてしまいました。

王はダニエルに救われてほしい一心で、ダニエルに話しかけました。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」

一つの石が運ばれてきて、そのライオンの穴の口に置かれました。王は王自身の印と貴人たちの印で封印をしました。そしてダニエルが出て来れないようにしました。誰も助けることができません。もし助けられるとすれば、神だけです。

その後、王は宮殿に帰りましたが、よるは一晩中眠ることができませんでした。眠気も襲ってきませんでした。食事も断りました。王が断食して祈ったのです。

 

3.ダニエルを助けられた神

 王は夜明けに太陽が輝き出すとすぐ、ライオンの穴へ急いで行きました。その穴に近づくと、悲痛な声で、ダニエルに話しかけました。王に信仰がありましたね。「生ける神のしもべ、ダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたをライオンから救うことができたか。」

(ダニエル6:21~22)

すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。

 6:22 私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」

ダニエルは元気に、しかも落ち着いた礼儀正しい口調で、自分が無事であることを報告しました。ダニエルが守られたのは、彼が神に信頼していたからです。

王は喜びました。(ダニエル6:23)

「そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」

王はダニエルを告発した者たちを、罰として、その妻子とともに、ライオンの穴に投げ込みました。するとたちまち骨まで噛み砕かれてしまいました。

その時、ダリヨス王は、感動して、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送りました。

(ダニエル6:25~27)「あなたがたに平安があるように。

私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。

 6:27 この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」

 

4.結論:ダニエルは、ライオンの穴に入れられても、神様を信頼していたので、神に守られました。

(ダニエル6:23)「 そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」

 

ダニエルはいつも神を信頼して、祈り、歩んでいました。

このダリヨス王だけを拝むという法律が発令された時も、いつもと同じ所に座って、ひざまずき、祈っていました。窓は開け放たれていましたので、遠くからでもダニエルの祈りの姿を見ることができました。「エルサレムの方を向いて祈る」というのはソロモン王が神殿を建て、奉献した時に祈った祈りの中にあります。「もし、捕囚の地にひかれて行って、そこで、エルサレムの方向に向かって祈るなら、どうか、その祈りを聞いてください。」とソロモン王は祈ったのです。そこから、エルサレムの方向を向いて祈るというのが習慣になったのだと思います。(Ⅰ列王記8:48~50)

「いつものように。」という言葉が3回出てきます。ダニエルはいつものように、1日に3回祈りました。(6:10)ダニエルにはイスラエルの神に祈るという良い習慣が身についていました。それは、たとい、死を持っても取り替えることのないように一番大切にしていたものでした。私たちも、この主を第一にする、神を第一にして生活するということを身につけたいものです。礼拝を第一にする習慣をつけましょう。この礼拝、祈りの習慣こそが私たちの信仰を育てることができるのです。すぐれた人物はすぐれた習慣を持っています。あなたも、良い習慣をつちかいましょう。いつもの習慣がいざという時に物を言うのです。強く、確信に満ちた行動を取ることができます。

そのダニエルの信仰を見て、王はこう言っています。「あなたがいつも仕えている神」と2回も言っています。そして最後には「ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つお方。その国は滅びることなくその主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、しるしと奇跡を行い、ライオンの穴からダニエルを救いだされた。」とダリヨス王は受け継いだバビロンのすべての人々に証しました。

このように、私たちが良い祈りの習慣を持っていると、それは全地に影響を与えるものとなります。祈りの勇士こそ、すべてを勝ち取ることのできるものです。どんな時も、創造主に信頼することができるように祈り続けましょう。神を信頼する生き方をすることです。

このダニエルはダリヨス王とペルシャ人クロス王の時代に栄えました。

 

「神を信頼する」ということで思い出した人の証があります。

 

デゥ・ヒョン師(韓国の人)のお父さんの証:南北朝鮮戦争の時、捕虜になった。その時、「ここにクリスチャンがいるか。手をあげなさい。」と兵士が言った。お父さんは御言葉を思い出した。「わたしを人の前で否むなら、わたしもあなたを否む。」そこで、殺されると思ったけれど、手をあげた。一人だけだった。すると、「お前は共産党の教育を受けるにはふさわしくない。今、ここから立ちされ。早く、早く。・・・」と言われ、そこから一目散に逃げた。翌日、そっと、帰って来て、そこを見たら、皆殺され、血の海になっていた。自分一人が助かったのだった。

 

レイ・ガノン師(アメリカ人):大学の構内で、トラクト配布をしていた時、マフィヤに捕まって、口の中にピストルを突き付けられた。そして、「神はいないと言え。」と脅迫された。仲間たちもいたが、助けることはできなかった。仲間たちは彼とそのマフィヤを囲んで祈っていた。彼の頭の中には妻の顔が浮かんできた。心で「ごめんね。先に天国に行くね。」とつぶやいた。引き金がひかれた時、そのピストルがグニャとまがった。マフィヤはびっくりして、ピストルを捨てて、逃げて行きました。

 

あれかこれかと迷う時、主を第一にして決断しましょう。そうすれば、主は助けだしてくださいます。


魚に飲み込まれたヨナ

2017-03-01 22:23:46 | Weblog

2017.2.26.魚に飲みこまれたヨナ

聖書 ヨナ1章~4章

題  魚に飲みこまれたヨナ

暗唱聖句

Ⅱペテロ3:9

「 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

 

はじめに

小魚をパクパク食べるのが好きな人はいますか?逆に魚にパクッと飲み込まれたことがある人

はいませんか。私は大きな魚(多分クジラ)に飲みこまれた人が、吐き出されて、命が助かった人の写真を見たことがあります。その人の頭は丸坊主になっていました。後は覚えていませんが、新聞に載っていました。その時、やっぱり、ヨナの話は本当だったのだと思いました。

 

ヨナはBC760年ごろに北イスラエル王国のガリラヤ地方にいた預言者です。その預言者ヨナが神の命令によってアッシリヤの首都、ニネベに福音を伝えに行くように命令されます。しかし、ヨナはそれを拒んで、他の国に逃げて行こうとしました。当時、ニネベの人々は非常に堕落していました。残忍な町だったようです。また、アッシリヤはイスラエルに敵対している国でした。

 

しかし、神さまはどんな人も悔い改めるように願っておられるのです!

ヨナが、神の召しから逃れようとしたのは、ヨナがユダヤ人以外の民族が救われることを、不愉快に思ったからです。ニネベ宣教の困難や迫害から逃げたのではありません。私たち人間はみな、ヨナと同様に、考えが偏っており、嫉妬心が強く、心の狭い者です。それに対して、神はなんとあわれみ豊かで、寛容と忍耐に満ちておられるのでしょうか!神はどんな人にも救われて欲しいと願っておられるのです。

 

1. 神はヨナにニネベで預言をする使命を与えられましたが、ヨナは逃げようとしました(1章)

 

神はヨナに、「立って、悪の増大するニネベという巨大都市に行き、その民に向かって罪を悔い改めるように叫びなさい」との使命を託されました。ニネベと言うのはアッシリヤ帝国の首都でティグリス川の上流にあります。そこにはユダヤ人でない人々が住んでいました。宗教も違いました。偶像の神を信じる人々でした。ヨナは、その命令に背き、主から逃れようとして、船でタルシシュ(現在のスペイン)へ向かいました。ヨナがニネベの異教の民に預言を伝えると、彼らが悔い改めて、神に救われるかもしれません。ヨナはそれがイヤだったのです。ヨナは、神に愛されているのは、ユダヤ人だけだと思っていました。

 

神は、大自然を動かして、ヨナに迫りました。激しい嵐によって船が難破しそうになった

ので、船員たちは必死でした。乗っていた人々の信じている神はいろいろでしたが、この嵐はただごとではない、誰がこの原因になっているのか、知ろうと思い、くじを引くことになりました。当時の中近東では、クジと言うのは神の御心を知るための簡単な方法として用いられていました。そのクジがヨナに当たったので、人々はヨナを追及しました。ヨナがヘブル人だと分かると、人々は嵐の原因がヨナであると確信し、恐れました。イスラエルの神の偉大さは、異教の国の人々にも知られていたのだと思います。そこでヨナは自分を海に投げ入れるようにと言いました。ヨナは自分が神の命令に背いていることを認めていました。そのおかげで、他の人々に危険が迫っている事に、罪意識を持っていたのかもしれません。ヨナが海へ投げ込まれると、たちまち海は静かになりました。それを見て、船に乗っていた人々はもっと恐れました。主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませました。

 

2. ヨナは神さまがニネベを滅ぼすのをおやめになったことに対して怒りました(2-3章)

 

ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいました(前章17節)。神は、不従順であったヨナを、助けてくださったのです。それは、彼を悔い改めに導くためでもありました。ヨナは海に入れられて、すぐに魚に飲み込まれたのではありません。深く波にもまれて沈み、海底の草・海底山脈の下でかんぬきで閉じられたように動けなかったようです(5-6節)。そこから救われ、魚の腹の中に入れられたヨナは、真心からの悔い改め・感謝・決心の祈りをしました。ヨナの祈りは神の宮に届きました。神は、その祈りに応え、主は、「魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させ」ました。神はヨナの命を助けてくださいました。

その後、神は再びヨナに召しを与えられました。再び、チャンスを下さったのです。彼は今度こそ、「主のことばどおり」ニネベへ行きました。そして、ひたすら1 日中歩き回り、「神がこの町を滅ぼされる」と叫びました。すると、ニネベの町の全員に大きな悔い改めが起こりました。王を始め、身分の高い人も低い人もあら布(ヤギの毛でおられている荒い布をまとって、悲しみを表わす。)をきて、灰の中に座りました。そして王が布告を出して、獣・家畜に及ぶまで、悔い改めを命じました。人々も、家畜も断食して祈りを捧げさせられました。神は、彼らが悪の道から立ち返るために真剣に努力している心をご覧になり、思い直してわざわいを下すのをやめてくださいました。

 

3. 神さまは、ヨナに、神さまが人の命を大切に思っておられることを教えられました(4章)

 

ところがヨナは、神が選民であるユダヤ人以外の民にあわれみを注がれたことに対して、強い不満を持ち、不愉快に思いました。神はニネベの人々が悔い改め、神が計画されていた災いを取りやめにされたことが、気に入りませんでした。しかし、神はどんな人にも悔い改めて救われるよう願い、あわれみ豊かに私たちを待ってくださっています

(エゼキエル33:11)「 彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』

(Ⅱペテロ3:9)

「 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

しかし、ヨナは心が狭く、偏った考えをもっていたのです。彼は彼が預言したとおりに神がニネベを滅ぼさなかったことに激しく怒っています。神は、それに対して「あなたのその怒りは、正当だと思っているのか?」と諭し気付かせようとされました。

 

一方ヨナは、町を見渡せる場所に仮小屋を建てて40 日そこにとどまり、神がニネベをどのようにされるかを見届けようとしました。

神は、「とうごま」という植物で、ヨナを灼熱から守ることによって、彼を不機嫌から救おうとされました。ヨナはそれを喜びましたが、神の本来の意図には気が付きませんでした。そこでさらにヨナを訓戒するために、神は虫を備え、とうごまを枯らしてしまわれました。

神は、ヨナが何の苦労もせず得た1 本のとうごまと、神が労して生み育てたニネベの民の命とを比較しながら、ヨナを諭されました。ヨナがそのとうごまを惜しむのなら、まして神がニネベの民を惜しまないはずがあろうかと。神は私たちひとりひとりを創り、命を与え、育ててくださいました。だれもが神の目にはオンリー1の価値があり、大切なのです。

神はどんな悪者も大切に思い、分け隔てなく、慈愛と忍耐と寛容を注いで下さるお方です。

 

4.結論: 神さまはどんな人も悔い改めるように願っておられます。

( Ⅱペテロ3:9)

「 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

 

神は言われたのです。「このニネベの町には12万人以上の人々と家畜が住んでいる、その人たちの命を愛しているのは当然だ」と言われたのです。人の命はとうごまの木以上の価値を持っていると言われたのです。

ヨナは改めて神の御性質を思いました。「私は、あなたが情け深く、憐れみ深い神であり、怒るに遅く、恵み豊かであり、災いを思いなおされることを知っていたからです。」そして、イスラエルの敵を助けられたことを怒ったのです。

当時、イスラエルの民も偶像礼拝をしていて、なかなか悔い改めませんでした。アッシリヤ帝国はイスラエルを滅ぼそうしていた、敵国だったのです。ヨナは、神は天と地を創造した神を敬っているユダヤ人だけが救われる、神の恵みに預かることができると信じていました。ですから、怒ったのです。このヨナ書の時代はBC760年ごろです。北イスラエル王国がアッシリヤ帝国に滅ぼされたのはBC722ですから、この事件の後40年ぐらいです。

しかし、ヨナの説教を聞いて、アッシリヤ帝国のニネベの人々は劇的な悔い改めをしたのです。どうしてそのように悔い改めたかと言いますと、ヨナが「悔い改めよ」と言う前に、大きな災害が2回あり、その上、皆既日食(BC763)があったそうです。これをニネベの人々は神の裁きだと受け止めていました。ですから、ニネベの人々はヨナの預言を受け入れる心の準備ができていたようです。

 

神は私たち異邦人も恵みによって救われるように、御子イエス・キリストを遣わして下さいました。そのイエス様が言われたことがあります。

(マタイ12:38~41)

「 そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」

 12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。

 12:40 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

 12:41 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」

 

イエス様はヨナの事を話して、ご自分の十字架の死と復活の事を預言されました。イエス様がメシヤの印として、魚に飲みこまれたヨナの事を例に出して、悔い改めを迫っておられます。

どんな人をも救おうと十字架にかかってくださったイエス・キリストの事を思い、また御子を遣わして救いの計画を成就して下さった神の深いご愛を受けとって感謝いたしましょう。

 

阿南の人口は8万人、小松島の人口は4万人、合わせると12万人です。皆滅びてはいけない大切な人たちです。神が大切にしておられる命です。出て行って福音を宣べ伝えましょう。