阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

歴史を作る者となる

2015-11-26 22:25:37 | Weblog

2015.11.21.歴史をつくる者となる。

聖書 Ⅰサムエル17章

題  歴史をつくる者となる

 

はじめに

11月21日(土)~23日(月)に四国聖会が愛媛県のウエルピア伊予で開かれました。メイン講師はドミニク・ヤオ師でシンガポールのトルニティ・クリスチャン・センターの主任牧師でした。彼は今シンガポール・アッセンブリー教団の理事長をしておられます。ドミニク先生のメッセージの要旨を紹介します。

 

~メッセージ~

オーストラリヤに行った時のことです。ホテルに泊まる予定でしたが、ある郊外の家に宿泊することになりました。

オーストラリヤは大変危険な国です。何世紀も前にイギリスから犯罪人が送られてきました。国から追放された人々によってできた国です。またオーストラリヤには奇妙な生き物がいます。世界で一番危険な海の魚・・シャーク・・・「大きな白ザメ」という危険なサメもいます。また大きなクモもいます。「黒いやもめ」というのは世界で一番危険なクモです。

それから、世界で一番小さな生き物ですが、世界で一番危険な生き物がいます。ティックスという小さな虫です。ニワトリにかみつくと20分で死にます。犬は2時間、牛は1日で死んでしまいます。オーストラリヤは世界で一番危険な国です。

 

 私と友人は郊外の小さな家に案内され、そこに泊ることになりました。夜の奉仕が終わって、家に入りました。すると、そこに大きなクモがいたのです。胴体だけで、げんこつぐらいの大きさ、足を合わせると、とても大きなクモなのです。クモは私たちをにらみつけていました。クモは私を殺そうとしていました。きっとかみついて殺されると思い、友人に、あのクモを殺せと言いました。しかし、友人は「できません。あなたが殺してください。」といって自分の部屋に逃げて行きました。

私はクモと格闘しました。私がクモをにらむと向こうも私を見ていました。クモは私を襲って、噛み殺そうとしているのです。私とクモとの間には一線が引かれました。

 

今日はⅠサムエル17章からメッセージをします。17章はダビデとゴリアテの話です。「歴史をつくる者になる」、あなたが歴史を作るものとなるのです。17章1節「ペリシテ人は闘いのために軍隊を召集した。」のです。このことが起こる前まではイスラエルの国に敵が攻め込んでくることは一度もありませんでした。イスラエルはいつでも敵のところに行って戦争し、勝利していたのです。

まるでクモのように、敵が私たちの寝る場所にやってきたのです。家にいた先ほどのクモは鳥を殺すことができ、鳥を食べてしまうクモだったそうです。

敵がイスラエルの領地にやってきました。私たちの中にクモがいると言うのは敵が私たちの町、私たちの住んでいるところにやって来ているのと同じです。サタンが私たちの領域を取ってしまいたいと思っているのです。私たちの領域に来て、どんどん家庭を壊しています。若者たちはいのちを取られています。日本の若者が、一番自殺率が高いのです。サタンは皆さんのところ、皆さんの友人たちのところに来て、人生をこわそうとしています。

17章、ペリシテ人はイスラエルの領地を侵略している。2節、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つために、戦いの備えをしました。敵というものは「ここは私のものだ」という線を引きます。クモは「ここは私のものだ」と線を引いた。その線を見て、「ああ」と言って退くか、前に行くか、その時です。神はその線を越えようとする者を探しておられます。特に若い人を探しておられます。

ゴリヤテは大きな力のある人でした。しかし、皆さんの内におられる方は、この世のものより、ずっと力のあるお方です。神様はみておられます。誰がこの線を踏み越えて行くことができるか。踏み越えるためには4つのことが必要です。私たちが歴史を超えたい、歴史を作りたいと思うなら、これを乗り越えて行く、もし越えようとしないなら、破壊していくのです。どのような人が歴史を作る人になるのでしょうか。

 

1.忠実で勤勉である。

少年ダビデはゴリヤテを殺した人です。ダビデは勤勉で忠実でした。Ⅰサムエル16:21「ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。」サウルはダビデをとても気に入っていました。そして、ダビデを召しかかえたのですが、若すぎるので、まだ兵士になることはできませんでした。たて琴を引いて、王を元気づけました。

Ⅰサムエル17:14~15から、2つの仕事を持っていたことがわかります。ダビデは16歳でした。若かったので、軍隊にはいることはできませんでした。それで、道具もちのような役割をしていました。15節を見ると、サウルのところに行ったり、父の羊の世話をしたり、結構忙しかったようです。朝、羊を連れ出し、それから王のところへ行き、夕方には羊を家に連れて帰る・・・そのようにして王に仕え、父親に仕えていました。

 

 現代の若者たちにも2つの役割、仕事があります。

①    家族のために仕事をする。家族に仕える。

②    教会に仕える。

学生の皆さんは良く勉強することです。また、私たちの王に仕える時、王のために学校の学生を救いに導き、魂を勝ち取るのです。神は一生懸命働いて、忙しい人を用いられます。勤勉な人を用いられます。怠け者は用いられません。

 

2.勇気が必要

勇気を持つということは恐れがないことではありません。たとい恐れがあっても、信仰をもって立ち上がることです。(Ⅰサムエル17:11)「サウルとイスラエル人は、このペリシテ人のことばを聞いた時、意気消沈し、非常に恐れた。」

私が歴史を作る人だとしたら、それは「勇気を持って立ち向かう人」です。クモを見た時、クモも私を見ていました。戦闘の線が私とクモとの間にひかれていました。恐れの中にも勇気があります。勇気とは「私は恐れません」という決断です。神様は「歴史をつくる者はどこにいるか」と捜しておられます。ダビデは勇気を持っていました。32節ダビデは言いました。「私が行きます。あの男のために気を落としてはなりません。私が戦います。」大人たちは40日間恐れ続けていました。しかし、16歳のダビデは恐れてはいませんでした。その勇気はどこから来たのか、ダビデは神にはっきり出会ったので、勇気がありました。ダビデはライオンやくまと戦ったとサウルに申し上げました。はっきり、神と出会った体験があったら勇気が出てくるのです。

もし、私たちが、学校を変えたい、町に神が働いてほしいと願うなら、私たちは日々はっきりと神にお会いするという体験をしなければならない。

 息子が少年の頃、よく家を引っ越ししました。ある時、ただで貸してもらった家に入りました。掃除はしてあってきれいでしたが、霊的に汚れていました。そこでは霊的に奇妙な現象が起こりました。自分だけだと思っていましたが、実は子どもも体験していたことが後でわかったのです。息子がある日話してくれました。「僕は一人で留守番するのが一番いやだった。一人でいるとある男の人の声がした(汚れた霊)。・・その時、聖書を読み始めた。勇気が出てきた。神とはっきり出会った時、その声に立ち向かう勇気が出てきたのです。」勇気というのは恐れと直面した時、勇気をもって立ち向かう決心をした時に出てくるものなのです。立ち向かう決心をした時、恐れていても、勇気を持って立ち向かうことができるのです。

37節「ライオンやくまから救いだしてくださった主は、あのペリシテ人からも救いだしてくださいます。」私の主は私を救いだしてくださいます。必ず救いだしてくださいます。

ジェットコスターに乗るにはベルトを締めます。そのベルトを信頼してジェットコスターに座り、最後まで、ベルトがあるから大丈夫と思って乗っています。ここではベルトを信頼しています。何かを信頼しなければならないのです。霊的な打ち破りをするには、神を信じなければならないのです。

私は3人の子どもたちをまるで、養子のようにお世話をしています。そして、あなたたちは歴史を作る人たちになると教えています。その3人に「3つの家族を教会に連れて来なさい。あなたのお友だちに言いなさい。『あなたとあなたのお父さん、お母さんを教会に連れてこよう。』」と。7歳の子は既に3家族を連れてきました。来年の11月までに連れて来なさいと言ってあります。怖いかもしれません。しかし、怖れを感じる時、勇気も出てくるのです。この人たちが教会に来るようにと伝えるのです。

 

3.新しい自分への油注ぎが必要

私たちは過去の油注ぎによって生きるのではありません。また、他の人々にある油注ぎによって生きるのでもありません。38節サウルは自分のよろい、かぶとをダビデに着せた。39節ダビデは慣れていないからこれはつけることができませんと言いました。

歴史を築く人は自分を通して神が働かれることを知っています。牧師の子どもはお父さんの油注ぎで生きてはいけません。その油注ぎはお父さんのためです。自分のための油注ぎは自分で求めなければなりません。私は神様から新しい油注ぎを受けます。男性の中にはおくさんの油注ぎで生きている人もいます。しかし、自分のための油注ぎを求めなければなりません。

今日、新しい油注ぎが必要です。過去の油注ぎは腐ったミルクのようなものです。マナを余分に取って、一日置いたらウジ虫がわきました。それと同じです。毎日、新しいものを受けとって欲しいと神様は思っておられます。過去の油注ぎではなく、新しい油そそぎが必要です。

 

4.          自分に与えられている権威を知っている。イエスの御名の権威。

ダビデは自分に与えられている権威を知っていました。私の権威は主によって与えられていると宣言しています。

45節「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。』」

ダビデは「主の御名には権威がある」と知っていたのです。「イエスの御名には権威があります。」イエスさまこそ権威を持っておられ、イエスの名には権威があるのです。

ある郵便配達屋の話

犬は郵便配達屋を追いかけるのが好きです。ある日3匹の犬に追いかけられました。そこで、「イエスの御名によって」といった時、犬が逃げ去ったそうです。

イエスさまこそがあなたの権威です。歴史を作る者というのはイエス様の名前を用いるのです。

(Ⅰサム 17:47)「 この全集団も、【主】が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは【主】の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

(Ⅰサム 17:49 )「ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。」

ダビデは主の御名によって、戦いに勝利しました。ゴリヤテは倒れたのです。

 

あなたの権威はイエスの名にあります。そうだとするなら、神様の新しい油注ぎを受けようではありませんか。サタンはあなたをこわいと思うでしょう。主にあって、偉大な者になりたいなら、忠実で、勤勉であってください。

 


すべての領域で祈りなさい。

2015-11-16 23:46:48 | Weblog

2015.11.15.すべての領域で祈りなさい。

聖書 エペソ6:18~20

題  すべての領域で祈りなさい。

 

暗唱聖句 エペソ6:18a

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」

 

はじめに

先週、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい」ということを教えらました。その武具とは7つありましたね。

①            腰には真理の帯を締め

②   胸には正義の胸当てを着け、

③   足には平和の福音の備えをはく

④   信仰の大盾を取って、悪い者が放つ火矢を消すことができる

⑤   救いのかぶとをかぶる。

⑥   神の言葉を受けとる。(神のことば=御霊の与える剣)

⑦   祈り

一つ一つのことは、先週のメッセージを思い出してください。今日は7番目の祈りに焦点を当てたいと思います。

(エペソ6:18)「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

ここには「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」とあります。

「どんな時にも祈りなさい。」と言うことは「絶えず祈りなさい」と言うことです。

 

1.成長する祈り

 お祈りは信仰に入りたての人も、熟練した人も、神の前に素直な気持ちで立って、自然と口を開くと出てくるものなのです。「天のお父さま」と呼びかけて、後は正直な気持ちを神に向かって話します。これが最初の祈りの出発です。そうすると、神さまは私たちの祈りに耳を傾けてくださり、その祈りに答えてくださいます。今まで、天のお父様は、私のわがままな祈りをたくさん聞いてくださいました。それは数えきれないほどのものです。主が本当に生きて働かれることを体験し、神がすべてのものを支配しておられることをだんだん知るようになります。

少し、信仰が成長しますと神の御心を尋ねる祈りが始まります。「主よ。私の願いではなく、御心のとおりにしてください。(ルカ22:42)」という祈りができるようになったら、素晴らしい成長です。易しく言うと、「神様は私の将来にどんなことを望んでおられるのかな」と考えます。そして祈ります。特に、将来のビジョンを訪ね求める時など、しっかりと祈って、主の御心を尋ね求めます。

その時、主は素晴らしい将来を備えてくださいます。

(Ⅰコリント2:9)「 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』」私たちは主に期待してよいのです。わくわくしながら、祈りましょう。私の人生で、思ってもみなかったことを主がなされたのは、イスラエルでの生活でした。これは大きな冒険であり、チャレンジでした。おかげで楽しい思い出がたくさんある人生になりました。イスラエルの国の名前も思いうかぶことのなかった頃に与えられたビジョンでした。「人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったもの」です。若い人は特にワクワクして祈りましょう。主の御心を受けとりましょう。

 

さらに成長しますと、私たちはとりなしの祈りをするようになります。とりなしの祈りは誰にでもできるご奉仕です。時には忍耐が必要です。また時間を捧げなければなりません。しかし、わずかの時間でもとりなしの祈りはできます。特に、ご高齢になって、「私はもう身体が動かなくなって、教会のご奉仕ができなくなりました。どうしたらお役に立てるでしょうか。」という話が出てきたりします。そういうお方は、このとりなしの祈りというご奉仕があります。これは霊的な素晴らしい奉仕です。祈りが積み上げられると、堅い要塞をも打ち破ることができるのです。それは多くの人たちが忍耐して、祈った結果、打ち破りが起こるのです。藤先生が証してくださった幻では、針の穴がたくさんついていたものがあった。ある日、その針の穴が集まっているところから、ぽこっととれてしまった。その時、お父さんの救いが起こったと言う証でした。一つの祈りは針の穴のようであったけれど、それが積み重なって、ある日、ぽこっととれてしまい、霊の打ち破りが起こり、人が救われると言う励ましの証でした。とりなしの祈りは堅い要塞を打ち砕くことができるのです。

 

2.すべての領域で祈る。祈りは教会のいのちです。

私たちはいつも祈りに囲まれ、また自分も他の人のために祈るものになりたいものです。私たちが吸い込む空気は祈りの空気のように、祈りが積まれる教会になりたいものです。

最近、私たちの教会の土曜日の早天祈祷は人数が増えてきました。人数が増えると、力を感じます。また、今年は洗礼者が出ますようにと祈ってきました。すると、先週、突然洗礼者が与えられ、びっくりしました。また、礼拝出席者が増えますようにと祈ってきました。すると、去年1家族、今年1家族が引っ越してこられ、私たちの教会に来てくださるようになりました。おかげさまで、神の家族が増えてにぎやかになりました。また、月曜礼拝に新しい方が加えられました。祈りが聞かれることは本当にうれしいです。

祈りの領域に4つの祈りがあります。

①            計画・・・信仰目標が達成されるように祈る。

②            関係・・・神を敬い、愛する関係を持てるように祈る。家庭や職場、教会の人間関係の一致のために祈る。

③            たてられた権威のために祈る。・・・教会の牧師やリーダーのために、職場の雇い主のために、政府のために祈る。

④            人々のために祈る。・・・目:すべての誘惑から逃れるように祈る。

   耳:神から聞き、神に従えるように祈る。

口:福音を分かち合い、神様の素晴らしさを証できるように祈る。

心:神様を情熱的に愛し、人々を無条件で愛せるように祈る。

手:喜びと犠牲を持って仕えられるように祈る。

膝:イエス様の主権と支配に従えるように祈る。

足:神様が呼ぶところどこへでも行けるように祈る。

 

お互いに祈り合って行く時、教会に変化が起きてきます。

①            社会を変革するというビジョンが与えられる。

②            信仰によって強められた計画的なリーダーシップ、指導の賜物が与えられる。

③            神様がやろうとしていることへの情熱が与えられる。

④            活気に満ちた雰囲気が、祈りの中で、礼拝の中で、弟子化の中で与えられます。

⑤            家庭と教会で、驚くべき一致が与えられます。

 

3.主を知る喜び

パウロはエペソ人への手紙でこう言っています。(エペソ1:17~19)「1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

 1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

 1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」

私たちがお互いに相手を深く知りたいと思うならば、お互いに一緒に過ごすことです。一緒に遊んだり、食べたり、スポーツをしたりなど・・いろいろな方法で、相手を知って行きます。だんだん深く知るようになります。そうして親しくなると嬉しいですね。同じように、私たちの主も私たちと親しく交わりたいと考えておられます。一緒に時間を過ごし、ゆったりと交わり、自分のことをもっと知らせたい、もっと愛を伝えたいと思っておられます。

 

アッセンブリー誌の11月号に善徳映子先生が素晴らしい証とメッセージを書いておられました。感動しました。皆さんも読まれたと思いますが、また忘れた方のために、もう一度、紹介します。

 

「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)

 礼拝堂でひざまずき何曲も賛美を捧げ、聖書を読み、み言葉の応答の祈りをします。立ちあがって再び賛美します。そのようにして私は「主を思う」時を持ちます。5年前に大きな試練を体験するまでの私は「主の麗しさを仰ぎ見る。」よりも、山積みする問題や課題を祈ることを優先していました。詩篇34:7,8には

「主】の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。

 34:8 【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」とあります。私も「主に」何かを求めることより「主を」求める祈りに変えられていきました。

 私たちは日々、なすべきことがたくさんあります。仕事、子育て、家事、学業、伝道、奉仕など、時間に追われて疲れ果てること、思い煩うこともあるでしょう。そのような私たちの最優先事項は、神を愛する者として「主の素晴らしさを味わい、これを見つめること」であると思うのです。

 ダビデは試練の中で主に心を注ぎ、主に思いを向けることをやめませんでした。サウルによるいのちの危機、外的との戦い、身内の謀反、自分自身の罪の問題、極限状態の精神と肉体の疲労の中で、主を仰ぎ見ることを選びとった彼は、数多くの詩を記し、主の麗しさをほめたたえました。  

 私たちがすべての思いを主に向け、「天のお父さん。」「アバ父よ。」という言葉を発する時、そこは主の臨在が満ちあふれるところとなります。・・・・・・・・中略・・・

・・・・・主の臨在の中にあることは、他のなにものにも代えることのできない恵みです。

 伝道とは人々を滅びから永遠の命へ導くと同時に、この素晴らしい主への臨在の中に招き入れることであると思うのです。

 

主を深く知ること、主の御臨在にふれることは本当に素晴らしい恵みです。

(エペソ3:14~19)

「3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、

 3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。

 3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

 3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

 3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

 3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」

主の聖名によって祈ります。


神の武具を身につけなさい。

2015-11-11 13:35:53 | Weblog

2015.11.8.神の武具を身につけなさい。

聖書 エペソ6:10~18

題  神の武具を身につけなさい。

暗唱聖句

(エペソ6:10)

「終りに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」

 

はじめに

 先週、ネヘミヤの働きについて学びました。ネヘミヤはエルサレムの城壁をチームで修復しました。70年間、壊れていた城壁でしたが52日間という短い間に修復を完成しました。その間に敵が攻撃してきました。その攻撃に対して、ネヘミヤはしっかり闘い、勝利しました。この時、学んだのは人間の背後にサタンが働いて、攻撃してくると言うことでした。その攻撃方法は「①疑いを持つようにさせる。②恐れを持つようにさせる。③分裂させる」というような策略を立てると言うことです。ですから、これらの策略やわなにかかってはなりません。わなにかかって、つぶやき、不平を言うようになったり、分裂を起こしたり、恐れを持ったりするのは、神の御心ではありません。神の御心は「いつも喜んでいることです。」(ピリピ4:4)。私たちは賛美し、感謝し、間違ったことをしたら神に告白し、悔い改めて、正しい方向を向いて歩くことを、毎日、選びとって、進んで行くのです。そのようにする時、主の大能の力によって強くしていただき、主によって、何でもできるのです。

 1.私たちの戦い

 私たちは毎日霊的な戦いをしています。なぜなら、サタンがこの世の君として、この世を支配しているからです。いつから支配しているかと言いますと、アダムとエバがサタンの誘惑にだまされた時からです。サタンは美しい蛇の格好をして、エバを誘惑しました。目の前の善悪の木の実を「目に慕わしく、好ましいもの」として、見せ、「神のようになり、善悪を知るようになる。」という心の願いを誘惑しました。そして、ついに誘惑に打ち勝てず、その願いが大きくなって、エバは善悪の木の実を食べてしまったのです。そして、アダムにも食べることを勧め、アダムも誘惑に負けてしまいました。その時から、人間はサタンに従うことを選び、天地を創造された神に背を向けるようになったのです。ですから、私たちも、同じような誘惑を受け続けています。神の御子であった、イエスさまも同じような誘惑を荒野でサタンからお受けになりました。サタンもみ言葉を使って誘惑してきます。み言葉は正確に覚えるようにしましょう。それから、そのみ言葉の前後に「何が書いてあるか、」も大事なことです。み言葉は全体を読んで、文の流れにそって、正しく理解しましょう。それは誘惑にかからないための知恵です。

(エペソ6:12)

「 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」創造主訳は「私たちクリスチャンが戦わなければならない相手は人間ではなく、超自然の存在である悪魔と悪霊どもの大勢力である。」と訳してあります。11節では、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、創造主の用意してくださる武具をすべて身につけなさい。」と言っています。相手は目に見えない悪霊に対する戦いです。しかし、私たちは勝利する秘訣を知っています。

①    自分の力では勝利できないことを認める。これは霊の戦いだからです。

②    イエス・キリストの十字架のもとに身を寄せることです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや、私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)私たちは御子を信じる信仰によって生きているのです。十字架と復活のキリストを信頼する。

③    そして、主の大能の力を注いでいただくのです。「主の大能の力によって強められなさい。」イエスご自身の支配の中に自分を委ねるのです。イエス様につながっているだけで良いのです。

 

2.神の武具を身につける目的・・・しっかり立つため

13節「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 6:14 では、しっかりと立ちなさい。」創造主訳では「だから、試みの日に際して、悪魔や悪霊どもに対抗し、勝利を収めることができるために、創造主の武具を取りなさい。そこで、立ち上がり。・・・」となっています。

「神のすべての武具を身につけなさい」という命令の目的は「信仰に堅く、しっかりと立つことができるためです。」サタンの攻撃に負けてはなりません。しっかり、信仰の戦いをするのです。その戦いに勝利するために神の武具を身につけます。道具をつけるのです。剣道をするときには、木刀と剣道着を身につけます。同じように、クリスチャンも神の武具を身につける必要があります。

しっかりと立つことができるためには4つのことが必要です。

①    腰には真理の帯を締め・・立つのです。

イエス様は「わたしが真理です。」と言われました。私たちはそのイエス様を着ているのです。(ガラテヤ3:27)「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」バプテスマを受けたものは、皆、キリストの聖い祝福された服を着たのである。(創造主訳)

既にキリストを着ていることを自覚しましょう。毎朝、洋服を着る時、このキリストを着ていることを思い出しましょう。

②    胸には正義の胸当てを着け、・・・しっかりと立ちなさい。胸当てはサタンの攻撃を防ぎます。「正義の胸当て」と言うのは「神の正義」のことです。これは、十字架の贖いを信じたクリスチャンに無償でくださる神の義です。罪人だった私たちを神の子にしてくださり、正しいものとして見てくださることです。サタンの悪い言葉に失望してはいけません。あなたは神の前に正しいとされたものです。その正義の胸当てをつけてしっかり立ちましょう。

③    足には平和の福音の備えをはきなさい。(エペソ6:15)

平和の福音とは創造主と和解し、この地に平和を完成してくださるという希望のある知らせです。「悔い改めよ。神の国は近づいた。」争いに満ちているこの世界で、神の救いが近づいていることを知らせます。いつでも、福音を知らせる準備をしておくことです。神を信じる幸いを告げ知らせる足のことです。

④    (エペソ6:16「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」大盾というのは、扉のようなものを自分の前に立てて、その後ろに身を隠すものです。その目的は、飛んでくる火のついた矢を受け止め、そのまま消すことです。

ここでは大盾とは信仰の大盾のことを言っています。「信仰」とは何よりも神様に対する信頼です。神の約束に対する信頼です。現実を見ると希望がないように見える時でも、信頼できる大きな盾です。エレミヤには希望の持てない時に神の良い計画を示すみ言葉が与えられました。彼にとって大きな慰めだったと思います。(エレミヤ29:11)「 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

大盾の後ろに隠れ続けるには忍耐が必要です。自分では飛んでくる攻撃の火矢を消すことはできません。それが燃え尽きるのを待つしかできないのです。同じように、人生には、ただじっと身を隠して、嵐が過ぎ去るのを待つことしかできないことがあります。その時には、神の真実に頼る信仰が助け手です。

 

3.御霊の剣と祈り

(エペソ6:17)「 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」

かぶとは頭を守るもので、聖霊に満たされていることです。また、「救いのかぶと」は救いの保証です。救いについては「あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」(エペソ2:5)とパウロは言っています。さらにそれは、「聖霊は私たちがみ国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ1:14)と言っています。創造主訳はこう言っています。「その聖霊は、私たちが創造主の国を継ぐことの保証であって、やがて、この世の終わりに、創造主に属する者たちの救いが完成し、創造主の偉大さをほめたたえるためである。(創造主訳)」「また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(6:17)は、み言葉がサタンに対する唯一の攻撃の武器です。それは、聖霊によって与えられます。たったひとつのみ言葉が悪魔の放つ火矢を消すことができるのです。

 

淵田美津夫さんという人がいました。この人は真珠湾攻撃の飛行機隊長だったそうです。その方が戦後間もなく信仰に導かれました。戦後、日本兵がアメリカでどのような扱いを受けたかを調べ始めました。その時、マーガレットさんという20歳前後の娘さんが捕虜になった日本兵の世話をよくしてくれたと言うことを聞きました。

 この人の御両親は日本への宣教師でしたが、日本兵にスパイではないかと思われ、殺されました。熱い祈りの中で、処刑されて行ったのでした。その娘さんが日本兵に愛を注いでくださったのです。どうしてそんなことができるのか、淵田さんには不思議でした。そしてもう一人の人の証を読みました。それは日本の捕虜として虐げられ、日本人を恨んでいたのに、イエスに出会い、回診した結果、日本を愛して、戦後、宣教師として日本にやってきた人の証でした。ここにも不思議を覚えました。 

 

そのカギはイエスが十字架上で「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか自分ではわからないのです。」と祈られた祈りにあったのです。淵田さんは47年間、自分が何をしているのかわからなかったということに気がつかされました。十字架こそが「和解を生む」という真理を、それからの人生の20年間は米国中を駆け巡って語り続けました。

 

サタンは憎しみを生みだすことを仕事にしています。しかし、唯一つのみ言葉が憎しみの連鎖を止める大きな波を起こします。これこそが御霊の剣です。

18節「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

「どんなときにも御霊によって祈りなさい。」、この祈りこそが、サタンの力に勝利する生き方の中心となるものです。自分で祈りの限界を感じる時、御霊にゆだねて祈りましょう。「 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8:26)」このように御霊はとりなしをしてくださいます。

主の大能の力に満たされ、サタンの攻撃のために立ち向かうことができるように神の武具を身につけましょう。信仰に堅く立つためです。

①    腰には真理の帯を締める。

②    胸には正義の胸当てをつける。

③    足に平和の福音の備えをする。

④    信仰の大盾を取る。

⑤  救いのかぶとをかぶる。

⑥ 御霊の剣である神のみ言葉を受け取る。

⑦ 目を覚まして、御霊によって祈る。


敵の攻撃に立ち向かいなさい

2015-11-04 20:54:54 | Weblog

2015.11.1.敵の攻撃に立ち向かいなさい。

聖書 Ⅰペテロ5:6~11

題  敵の攻撃に立ち向かいなさい。

暗唱聖句 Ⅰペテロ 5:8

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

 

はじめに

 先週、南紀キリスト教会にセルの学びに行きました。セルというのは英語で、細胞という意味です。教会では一つのグループが伝道して2つに増えていく、そういうグループの家庭集会の事をセルと言います。南紀キリスト教会ではシンガポールのアッセンブリ―教団の理事長の教会でやっているセル、家庭集会を模範にして、実行しておられます。それを私たちの教会でも取り入れたいと思って、教えてもらっています。今回は全体が良くわかるようになってきました。ここでは計画、行動、評価が重要視されています。以前は全体がわからなかったので、計画を立てることができませんでした。今回は南紀の教会のセクションリーダーの人たちが牧師たちに1対1で丁寧に教えてくださいました。セクションリーダーは普通の信徒の方で、リーダーたちを訓練している人です。しかし、牧師と同じぐらい、訓練された人たちです。私を指導してくださったセクションリーダーの人に聞いてみました。「セクションリーダーは面白いですか。楽しいですか。」と。するとこんな返事がきました。「とても楽しいです。忙しいのですが、おもしろいです。何が楽しいかと言いますと、人が変えられ、成長していく姿を見ることができることです。」その時の表情や言葉使いから、いかにも楽しいということが伝わってきました。

 皆さん、牧師たちを教えることができる信徒たちがいる、そこまで、成長することができることは、素晴らしいし、楽しいと思いませんか。皆さんもやれば、成長できます。ただ、そこまで行くには忍耐と時間がかかります。しかし、やれるのです。私はこのセルをやりたいと思っています。神には不可能はありません。私たちもできると思います。みんなで、やって、成長して、神の国を拡大していきましょう。

 

 今日はネヘミヤ記から敵の攻撃に立ち向かうと言うテーマです。なぜなら、世界はますます、大変な時代になってきています。ISIS,シリヤの戦争、難民の状況など、心が痛みます。また世界中で自然災害も多くなってきました。心が痛む一方では、クリスチャンには主の再臨の希望があります。再臨を期待することができます。終末が近づいてきています。終末が近づくと霊的な戦いも多くなります。

 

1.ネヘミヤ記から、敵の攻撃に立ち向かいなさい。

 ネヘミヤ記を読んだことはありますか。歴代誌の次がエズラ記、その次がネヘミヤ記です。これはバビロン捕囚(B.C.586年)の後、70年たって、ユダヤ人たちがエルサレムへ帰ってきた頃の出来事です。ネヘミヤを通してなされた力強い証の物語です。

ネヘミヤはエルサレムの城壁が焼け崩れていることを聞いて、ペルシャの王から、許可をもらって、エルサレムにやってきました。そして、70年間、放置されていた城壁を52日間で修復したのです。70年間、どうすることもできなかった城壁を52日間で修理したと言うことは猛スピードで修理したことになります。ネヘミヤと彼のチームは52日間で、城壁の修復をやり遂げたのです。(ネヘミヤ4,5章)城壁の修理に対する暴力、また、働き人に対する攻撃がありました。

   (ネヘミヤ6:15~16)

「こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。

 6:16 私たちの敵がみな、これを聞いたとき、私たちの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである。」

ネヘミヤが城壁を再建した時、敵は面目を失いました。

あることに対して、もう無理だとあきらめていることがあるかもしれません。しかし、・・・神にあって、可能になります。神にはできないことはありません。

ネヘミヤはどうやってやり遂げたのか。

(エペソ6:11,12) 

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」

 

3つのことを考えます。

①  神は何をしようとしておられるのか。

②  敵は何をしようとしているのか。

③  私は何を願っているのか。

城壁を再建すると、民は城壁の中で安全に生活できます。礼拝が回復すると祝福が戻ってきます。大事なことは敵の妨害を見抜くことです。

(ヨハネ10:10)

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」

イエス様は羊にいのちを得させ、豊かにします。しかし、サタンは滅ぼしに来ます。このサタンの策略にかかってはいけません。ネヘミヤ4~5章の中に疑い、恐れ、分裂をおこさせる策略が立てられていたことが書かれています。

これはサタンの策略です。

①  疑いを持たせる・・・・疑いを持つと前進できない

(ネヘミヤ4:1~3)

「サヌバラテは私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。4:2 彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。『この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。』 4:3 彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、『彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう』と言った。」

素晴らしいユダヤ人をあざけっています。修復して祭りをするのか、そこに生け贄を捧げられるのか、また、一日で仕上げられるのか、また、キツネが一匹、乗っても石垣は崩れるだろうとあざけっているのです。

修復しているユダヤ人を見る目を変えようとしています。彼らは素晴らしいのにゆがめて見ているのです。これは私たちにも当てはまります。神は一人一人を素晴らしく創造されたのに、自分の姿を正しく見ることができないで、私はダメだと思いこんで、ゆがめて見ている人がいます。また日本に対する見方で疑いを持っている人もいます。日本にはリバイバルは起こらないのではないかと。でも日本にもリバイバルは起こります。また一匹のキツネや猫が乗っても壊れてしまう、・・そんな疑いをかけます。皆さんの中にも、そういう疑い深い人がいるかもしれません。新しいことをするとき、疑いを持ったりします。サタンは疑いを持たせて、前進できないようにするので、それを見きわめるようにします。

 

②  恐れを持たせる。

(ネヘミヤ4:11~13)

「4:11 一方、私たちの敵は言った。『彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。』

 4:12 そこで、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も私たちに言った。『私たちのところに戻って来てほしい。

私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。』

 4:13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。」

「10回も帰ってきてほしいと言った」というのは「何度も何度も懇願した」と言うことです。

教会の中にも恐れを持つ人が出てきたりします。特に洗礼を受ける前には恐れが起ったりします。恐れを持っているために、他の神がもっと良いことをしてくれるような思いになったりします。敵は目に見えない偽り者です。サタンは嘘を本当のように見せかけます。そして、不信仰に陥らせます。そのような嘘に、はまらないことです。私たちは神の約束とみ言葉を告白し続けましょう。いつも神を信じ続けましょう。神の言葉を考え続けることです。私たちは良く心配をします。思い煩いをしますね。どうやって、心配や思い煩いが出てくるかと言いますと、その悪いことばかりを考え続けているからです。この考えをやめて、神の約束の言葉を考え続けるようにすると、恐れや疑いは消えて行きます。ですから、神の言葉を黙想するのです。黙想する時、神の言葉を繰り返し考え続けるのです。神の言葉には力があります。

 

③  分裂・・・エルサレムには貧しいユダヤ人と金持ちのユダ人がいた。そして貧しいユダヤ人たちは自分の子供たちを奴隷に売らなければ、生きていけないほど貧しかった。

このような経済格差が分裂をもたらしていた。

ネヘミヤ5章(貧しい人たちに対してどうするか。)

ネヘミヤ5:5「現に、私たちの肉は私たちの兄弟の肉と同じであり、私たちの子どもも彼らの子どもと同じなのだ。それなのに、今、私たちは自分たちの息子や娘を奴隷に売らなければならない。事実、私たちの娘で、もう奴隷にされている者もいる。しかし、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」

これを聞いたネヘミヤは身分の高いお金持ちの人々にたいして、怒って言いました。「借金を帳消しにしなさい。私もそうしよう。」と言って実行しました。

家族の中に分裂があったりします。サタンは私たちが分裂したり、失敗したりするように仕向けます。サタンは巧妙に私たちを神から引き離そうとします。サタンの策略に、ひっかかってはいけません。

 

2.いかに勝利をして行くか。

(ネヘミヤ4:9)「 しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。」祈りは力です。まず、祈ることです。そして戦うことです。

24時間の祈りをする教会が出てきました。良いことです。小さな教会では、市内の教会がいくつかが力を合わせるとできるかもしれません。

ネヘミヤ4:13では城壁の低い所の空き地に、民を、槍や剣を持たせて配置しました。低いところというのは弱いところのことです。自分の人生の中で、どの部分が弱いかを知っておくと、強いのです。敵は弱い部分をついてくるからです。

ネヘミヤ4:23「ネヘ 4:23 私も、私の親類の者も、私に仕える若い者たちも、私を守る見張りの人々も、私たちのうちのだれも、服を脱がず、それぞれ投げ槍を手にしていた。

いつも人々は敵の攻撃に対して準備していました。日本にも自衛隊がいます。軍隊は敵が攻撃していない時も攻撃の準備をしています。私たちも霊的な面で準備が必要です。

(エペソ6:13~18)

「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

 6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

 6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。

 6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

 6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

(Ⅰペテロ5:8~9)

「5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」

ネヘミヤは祈りながら、神の知恵をいただいて、戦いました。そして、70年間、くずれたままにしてあった城壁を52日間という短い期間で修復したのです。神が私たちのために戦ってくださいます。

私たちも、試練の中を通る時、御一人子のイエス・キリストを下さった創造主を信頼して、信仰を持って戦いましょう。ネヘミヤはチームで戦いました。私たちも、互いにキリストの体です。お互いに重荷を負い合って、祈り、助け合い、霊の戦いに勝利していきましょう。今日も私たちを守り祝福してくださる神を見上げ、希望を持って進みましょう。