2015.11.21.歴史をつくる者となる。
聖書 Ⅰサムエル17章
題 歴史をつくる者となる
はじめに
11月21日(土)~23日(月)に四国聖会が愛媛県のウエルピア伊予で開かれました。メイン講師はドミニク・ヤオ師でシンガポールのトルニティ・クリスチャン・センターの主任牧師でした。彼は今シンガポール・アッセンブリー教団の理事長をしておられます。ドミニク先生のメッセージの要旨を紹介します。
~メッセージ~
オーストラリヤに行った時のことです。ホテルに泊まる予定でしたが、ある郊外の家に宿泊することになりました。
オーストラリヤは大変危険な国です。何世紀も前にイギリスから犯罪人が送られてきました。国から追放された人々によってできた国です。またオーストラリヤには奇妙な生き物がいます。世界で一番危険な海の魚・・シャーク・・・「大きな白ザメ」という危険なサメもいます。また大きなクモもいます。「黒いやもめ」というのは世界で一番危険なクモです。
それから、世界で一番小さな生き物ですが、世界で一番危険な生き物がいます。ティックスという小さな虫です。ニワトリにかみつくと20分で死にます。犬は2時間、牛は1日で死んでしまいます。オーストラリヤは世界で一番危険な国です。
私と友人は郊外の小さな家に案内され、そこに泊ることになりました。夜の奉仕が終わって、家に入りました。すると、そこに大きなクモがいたのです。胴体だけで、げんこつぐらいの大きさ、足を合わせると、とても大きなクモなのです。クモは私たちをにらみつけていました。クモは私を殺そうとしていました。きっとかみついて殺されると思い、友人に、あのクモを殺せと言いました。しかし、友人は「できません。あなたが殺してください。」といって自分の部屋に逃げて行きました。
私はクモと格闘しました。私がクモをにらむと向こうも私を見ていました。クモは私を襲って、噛み殺そうとしているのです。私とクモとの間には一線が引かれました。
今日はⅠサムエル17章からメッセージをします。17章はダビデとゴリアテの話です。「歴史をつくる者になる」、あなたが歴史を作るものとなるのです。17章1節「ペリシテ人は闘いのために軍隊を召集した。」のです。このことが起こる前まではイスラエルの国に敵が攻め込んでくることは一度もありませんでした。イスラエルはいつでも敵のところに行って戦争し、勝利していたのです。
まるでクモのように、敵が私たちの寝る場所にやってきたのです。家にいた先ほどのクモは鳥を殺すことができ、鳥を食べてしまうクモだったそうです。
敵がイスラエルの領地にやってきました。私たちの中にクモがいると言うのは敵が私たちの町、私たちの住んでいるところにやって来ているのと同じです。サタンが私たちの領域を取ってしまいたいと思っているのです。私たちの領域に来て、どんどん家庭を壊しています。若者たちはいのちを取られています。日本の若者が、一番自殺率が高いのです。サタンは皆さんのところ、皆さんの友人たちのところに来て、人生をこわそうとしています。
17章、ペリシテ人はイスラエルの領地を侵略している。2節、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つために、戦いの備えをしました。敵というものは「ここは私のものだ」という線を引きます。クモは「ここは私のものだ」と線を引いた。その線を見て、「ああ」と言って退くか、前に行くか、その時です。神はその線を越えようとする者を探しておられます。特に若い人を探しておられます。
ゴリヤテは大きな力のある人でした。しかし、皆さんの内におられる方は、この世のものより、ずっと力のあるお方です。神様はみておられます。誰がこの線を踏み越えて行くことができるか。踏み越えるためには4つのことが必要です。私たちが歴史を超えたい、歴史を作りたいと思うなら、これを乗り越えて行く、もし越えようとしないなら、破壊していくのです。どのような人が歴史を作る人になるのでしょうか。
1.忠実で勤勉である。
少年ダビデはゴリヤテを殺した人です。ダビデは勤勉で忠実でした。Ⅰサムエル16:21「ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。」サウルはダビデをとても気に入っていました。そして、ダビデを召しかかえたのですが、若すぎるので、まだ兵士になることはできませんでした。たて琴を引いて、王を元気づけました。
Ⅰサムエル17:14~15から、2つの仕事を持っていたことがわかります。ダビデは16歳でした。若かったので、軍隊にはいることはできませんでした。それで、道具もちのような役割をしていました。15節を見ると、サウルのところに行ったり、父の羊の世話をしたり、結構忙しかったようです。朝、羊を連れ出し、それから王のところへ行き、夕方には羊を家に連れて帰る・・・そのようにして王に仕え、父親に仕えていました。
現代の若者たちにも2つの役割、仕事があります。
① 家族のために仕事をする。家族に仕える。
② 教会に仕える。
学生の皆さんは良く勉強することです。また、私たちの王に仕える時、王のために学校の学生を救いに導き、魂を勝ち取るのです。神は一生懸命働いて、忙しい人を用いられます。勤勉な人を用いられます。怠け者は用いられません。
2.勇気が必要
勇気を持つということは恐れがないことではありません。たとい恐れがあっても、信仰をもって立ち上がることです。(Ⅰサムエル17:11)「サウルとイスラエル人は、このペリシテ人のことばを聞いた時、意気消沈し、非常に恐れた。」
私が歴史を作る人だとしたら、それは「勇気を持って立ち向かう人」です。クモを見た時、クモも私を見ていました。戦闘の線が私とクモとの間にひかれていました。恐れの中にも勇気があります。勇気とは「私は恐れません」という決断です。神様は「歴史をつくる者はどこにいるか」と捜しておられます。ダビデは勇気を持っていました。32節ダビデは言いました。「私が行きます。あの男のために気を落としてはなりません。私が戦います。」大人たちは40日間恐れ続けていました。しかし、16歳のダビデは恐れてはいませんでした。その勇気はどこから来たのか、ダビデは神にはっきり出会ったので、勇気がありました。ダビデはライオンやくまと戦ったとサウルに申し上げました。はっきり、神と出会った体験があったら勇気が出てくるのです。
もし、私たちが、学校を変えたい、町に神が働いてほしいと願うなら、私たちは日々はっきりと神にお会いするという体験をしなければならない。
息子が少年の頃、よく家を引っ越ししました。ある時、ただで貸してもらった家に入りました。掃除はしてあってきれいでしたが、霊的に汚れていました。そこでは霊的に奇妙な現象が起こりました。自分だけだと思っていましたが、実は子どもも体験していたことが後でわかったのです。息子がある日話してくれました。「僕は一人で留守番するのが一番いやだった。一人でいるとある男の人の声がした(汚れた霊)。・・その時、聖書を読み始めた。勇気が出てきた。神とはっきり出会った時、その声に立ち向かう勇気が出てきたのです。」勇気というのは恐れと直面した時、勇気をもって立ち向かう決心をした時に出てくるものなのです。立ち向かう決心をした時、恐れていても、勇気を持って立ち向かうことができるのです。
37節「ライオンやくまから救いだしてくださった主は、あのペリシテ人からも救いだしてくださいます。」私の主は私を救いだしてくださいます。必ず救いだしてくださいます。
ジェットコスターに乗るにはベルトを締めます。そのベルトを信頼してジェットコスターに座り、最後まで、ベルトがあるから大丈夫と思って乗っています。ここではベルトを信頼しています。何かを信頼しなければならないのです。霊的な打ち破りをするには、神を信じなければならないのです。
私は3人の子どもたちをまるで、養子のようにお世話をしています。そして、あなたたちは歴史を作る人たちになると教えています。その3人に「3つの家族を教会に連れて来なさい。あなたのお友だちに言いなさい。『あなたとあなたのお父さん、お母さんを教会に連れてこよう。』」と。7歳の子は既に3家族を連れてきました。来年の11月までに連れて来なさいと言ってあります。怖いかもしれません。しかし、怖れを感じる時、勇気も出てくるのです。この人たちが教会に来るようにと伝えるのです。
3.新しい自分への油注ぎが必要
私たちは過去の油注ぎによって生きるのではありません。また、他の人々にある油注ぎによって生きるのでもありません。38節サウルは自分のよろい、かぶとをダビデに着せた。39節ダビデは慣れていないからこれはつけることができませんと言いました。
歴史を築く人は自分を通して神が働かれることを知っています。牧師の子どもはお父さんの油注ぎで生きてはいけません。その油注ぎはお父さんのためです。自分のための油注ぎは自分で求めなければなりません。私は神様から新しい油注ぎを受けます。男性の中にはおくさんの油注ぎで生きている人もいます。しかし、自分のための油注ぎを求めなければなりません。
今日、新しい油注ぎが必要です。過去の油注ぎは腐ったミルクのようなものです。マナを余分に取って、一日置いたらウジ虫がわきました。それと同じです。毎日、新しいものを受けとって欲しいと神様は思っておられます。過去の油注ぎではなく、新しい油そそぎが必要です。
4. 自分に与えられている権威を知っている。イエスの御名の権威。
ダビデは自分に与えられている権威を知っていました。私の権威は主によって与えられていると宣言しています。
45節「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。』」
ダビデは「主の御名には権威がある」と知っていたのです。「イエスの御名には権威があります。」イエスさまこそ権威を持っておられ、イエスの名には権威があるのです。
ある郵便配達屋の話
犬は郵便配達屋を追いかけるのが好きです。ある日3匹の犬に追いかけられました。そこで、「イエスの御名によって」といった時、犬が逃げ去ったそうです。
イエスさまこそがあなたの権威です。歴史を作る者というのはイエス様の名前を用いるのです。
(Ⅰサム 17:47)「 この全集団も、【主】が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは【主】の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」
(Ⅰサム 17:49 )「ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。」
ダビデは主の御名によって、戦いに勝利しました。ゴリヤテは倒れたのです。
あなたの権威はイエスの名にあります。そうだとするなら、神様の新しい油注ぎを受けようではありませんか。サタンはあなたをこわいと思うでしょう。主にあって、偉大な者になりたいなら、忠実で、勤勉であってください。