アモルの明窓浄几

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『私は私になっていく』を読んで その1

2012年07月16日 | 万帳報
この本の原題は『 Dancing with Dementia 』で、邦訳では副題(痴呆とダンスを)となっています。当ブログ7月2日にご紹介した『私は誰になっていくの?…アルツハイマー病者から見た世界』(以後、正編と呼ぶ)の続編にあたります。
著者のクリスティーンさん(以後、クリスティーンと呼ぶ)は、前回もお知らせしましたが、この出版時には再婚されボーデンからブライデンへ姓が変わっています。

私は最初に、この副題の「痴呆とダンスを」の言葉に「?」と思いました。
先ず、正編では、アルツハイマー病等の病名または、認知症と云っていたのが「痴呆」と表現が変わっている点です。クリスティーンがアルツハイマー病ではなさそうだと云う事は、正編の精神科医の小澤勲氏の説明でお判りだと思います。[註1]
では、認知症と訳さず、なぜ「痴呆」とするのかについて、訳者の馬篭久美子さんは次のように「訳者あとがき」で述べています。

「日本語の『痴呆』という言葉については、『侮辱的で不適切』な呼称であるとして、2004年12月末、日本の厚生労働省によって『認知症』に改められた。これは賛否両論あるようだが、当面は一般的な表記を『認知症(痴呆)』とする向きが多いようである。本書では、クリスティーンが伝えようとしている内容は『認知症』では網羅しきれないであろうし、彼女が特に問題にしている差別、偏見、固定観念はdementiaという言葉に付随するものと考え、その社会的文化的背景を反映した『痴呆』『痴呆症』という訳語のままにした」。

そして、「痴呆とダンスを」の意味するところは、クリスティーンは「この言葉は、私とケアパートナーのポールとの関係について、また私の痴呆との旅が進むにつれて異なるケアが必要になることを説明するために使っている言葉だ」、「私たちは内なる音楽に耳を傾けながら、変化していく痴呆のメロディに合わせ、それぞれが自分のステップを調整している」と云っています。
又、「自分の意志によって、私たちと一緒に痴呆とのダンスを踊る旅を始めようとしている」と夫ポール・ブライデンさんの事を語っています。
夫のボール・ブライデンさんが、ケアパートナーの役割の中心を担っているのです。

ロウソクの火が消えるまでに、僕らにはどれぐらいの時間があるだろう?
四〇年、一〇年、五年、それとも一年?
六か月、一週間、一日―――あまりに短すぎる!
でも僕は愚痴らない
一日あるほうが何もないよりいい

この詩は、ポールが妻クリスティーンへ捧げたものだが、二人の人生の軌跡がここにすべて凝縮されています。
そして、病人と介護者といった関係ではなく、二人のようなケアパートナーシップの大切さが徐々に明らかにされて行きます。

クリスティーンの云う処の「ジェットコースターの旅」は、1998年の再検査から始まります。

>私は立ち上がり、やっとのことで興奮を抑えながら入室すると、腰を下ろす間もなく言った。「私、本当によくなっているんです」私はきっぱりとこう言い、ニコッと歯を見せて笑った(略)「おや、それはよかった。あなたは今、この病気とよく戦っているようですね。このひと時のハネムーンを存分に活かしてください」と、神経科医は答えた。

>自分は半人間のように感じられた。…とにかく淋しいことばかり気にするなんて、バカみたいだわ!だってどうしようもないじゃないの。結局、私は死に至る病と診断されているわけだし、医学的にはよくてもあと10年の命と予想されているのよ。自宅介護の程度がだんだん上がって、あとは介護施設へ行くことになるんだから。

>階段に立っていると、私と同じ年代だと思われる男性が、微笑みながら近寄ってきた。(略)彼はあざやかな黄色のスイセンの花束を私の手の中に置いた。「こんにちは」と彼が言った。「ポールです」…

>ポールのお母さんは、私を温かく迎い入れ、歓迎してくれた。ポールの弟のイアンと彼の妻にも会い、四人で近くの日本食レストランに行った。(略)レストランの前で別れを告げた時、イアンは私のことをしっかりと抱きしめ、「僕らの家族にようこそ!」と言った。私は言葉が出なかった。

>私たちは全員そろってディナーをし、…食事のあと、みんながダイニング・テーブルのまわりにいた。そこでポールは立ち上がり、私の娘たちに向かって短いスピーチをして、私に手を上げるのは私を助ける時だけだ、と約束したのだ。その日、ダイニング・テーブルのまわりにはいくつかの涙ぐんだ瞳があった。私も娘たちも、彼が誠実な気持であることを知り、自分の意志によって、私たちと一緒に痴呆とのダンスを踊る旅を始めようとしていることに気づいたのだった。

→なぜ、クリスティーンや娘イアンシー、リアノンが涙ぐんだのかは、正編をお読みの方はおわかりだと思います。

ここで、夫のポールさんが何故、介護者と呼ばず、ケアパートナーと云うのか、ご本人の言葉をご紹介します。(『認知症とは何か』小澤 勲 著 より)

>彼は言う。「自分が今やっていることは、これまでの介護概念とは違います。一方的に介護するのではなく、私は彼女と共に認知症と向き合うケア・パートナーなのです。介護は生活のほんの一部で、ごく普通に二人の生活を楽しんでいるのです」

>彼はこうも言う。「彼女の負担をちょっとでも軽くしてやりたいのです。でも、何をやりたいかを決めるのは彼女です。彼女に自分が生活の中心にいると感じてもらえることが大切なのです」

>講演会場でポールさんに、「クリスティーンさんと暮らしていて、楽しいこと、つらいことは何ですか?」という質問が出た。
ポールさんの答えは、「彼女は、今は炊事ができなくなったので炊事は私の役割です。ショッピングもいっしょに行くことがありますが、だいたい私がやっています。掃除、洗濯、そういうこともほとんど全部私がやっています。時には夜中の二時頃に起きだしてきて、これから掃除する、と言い出すことがあります(彼の傍らでクリスティーンさんは笑顔でうんうんとうなずいておられた)。そのような時には、いっしょに掃除をして、そのあとベッドに戻り、彼女が寝ついたら、私も眠りにつくんです」。そして、言う。「これが楽しいんです」

精神科医の小澤勲氏は、「クリスティーンさんは、このような障害が例外的に少ないようにみえる。(略)重要なことは、彼女への援助が実に適切になされていることと関係していると思われる。彼女は援助者(発病後再婚した夫が中心になっている)に全幅の信頼を寄せていて、その都度自分の希望を述べ、それに従ってなされる援助者の指示などを忠実に守っているようなのである。このような事実は、今後の痴呆ケアに大きな示唆を与えてくれる」と云う。(『痴呆を生きるということ』より)

つづく


註1:私を含め健常者は、如何してもクリスティーンがどの様な病名の病気で認知(痴呆)症になったのかを知りたいと思いますが、その詮索はあまり意味がありません。クリスティーンは、「病気の進行段階によって私たちを分類しないでほしい。それは個人のレベルではまったく無意味なことだ。…私たちはそれぞれに異なる能力を持った、ひとりの人間として扱われる必要がある」、「どうか私たちを『痴呆』と呼ばないでほしい。私たちはまだ、病気そのものとは別の人間だ。ただ脳の病気にかかっているだけなのだ。もし私がガンを患っているのだったら、あなたは私を『ガン』とは呼ばないだろう」と云います。





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