アモルの明窓浄几

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「生存権」と朝日茂さんの思い

2012年04月16日 | 万帳報
前回、金融資産なしの世帯が三割に達している事をお伝えしました。
今、全国9か所で102人の原告が、生活保護の老齢加算(70歳以上の生活保護利用者に支給)の廃止処分の取り消しを求めて訴訟が行われています。
これらは、「朝日訴訟」以来の生存権裁判と呼ばれています。

福岡訴訟での毎日新聞(4/2日)の記事を紹介します。
『老齢加算訴訟:最高裁、福岡高裁に審理差し戻し』
 国の生活保護制度見直しによる老齢加算廃止は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した憲法などに反するとして、北九州市在住の生活保護受給者39人が市に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は2日、受給者側勝訴とした2審・福岡高裁判決を破棄、一部の審理が不十分だとして同高裁に審理を差し戻した。
 老齢加算廃止を巡る訴訟は全国9地裁に提訴されたが、最高裁は2月、東京都民が起こした訴訟で合憲・適法との初判断を示した。福岡高裁判決は唯一の受給者側の勝訴判決だったが、差し戻し審で判断が見直される可能性が高い。
 福岡高裁判決は、厚生労働相が国の専門委員会の取りまとめを踏まえた検討をしていない点をとらえて違法としたが、小法廷は「専門委の意見を踏まえた検討を経ていないとはいえない」と、逆の認定をした。その上で、厚労相の判断に裁量権の逸脱があるかどうかなどについて高裁が審理を尽くしていないとした。39人のうち死亡した原告分の訴訟は終結させた。
以上
昨年の11月時点で、208万人近くの人が生活保護利用者です。
全国生活と健康を守る会連合会の松岡恒雄会長は、「老齢加算廃止で、高齢者は社会参加費用を捻出できず、孤立させられた。孤立死、貧困死が問題になっているいま、生存権裁判のたたかいは、ますます重要になっている」と訴えています。

この訴訟に対する反響を「2ちゃんねる」から幾つか拾ってみると、
・この年齢に成ってそんなに現金必要かな?
結構な小遣いだと思うんだけど・・??
生活保護なら医療費は全額無料だよ。
家賃は補助で安く入れるし、食費も老人ならそんなにいらないだろ?
目的として何に使うとかくらい書いてくれないと判断できないよ。
何か切迫した必要性が現金に必要だということでないとダメ。
必要だという根拠のものがないと金だけクレ、現金1万8000円余計にクレはもう通用しないと思う。
・効率化という点で人間の価値をもう少し低く見積もらないといけない
競争原理、新自由主義も徹底しなかったのがいけない。
・原告の年寄りは
「ともだちと旅行にもいけない!違憲だ!」とか訴えてたね。
全くもって同情心が湧かない主張だった。
今回は「風呂も3日に1回だ!」って言ってるらしい。
あいつら人の金の有難みってのが分かってないよ
以上

ここで、半世紀前の「朝日訴訟」とはどのようなものだったのでしょうか。
「朝日訴訟」と云う言葉をご存知の方も、朝日茂さんがどの様な思いで訴訟に至ったのかをご存知の方は、少ないかも知れません。私は、憲法25条の「健康で文化的な生活」の補償を求めて、当然の権利をたてに訴訟を起こした程度の認識しかありませんでした。
では、(株)同成社発行「生存権」より、概要を紹介します。

『朝日訴訟』
1957年8月に提訴された。被告は厚生大臣である。訴えは憲法25条と、それに基づいた生活保護法を根拠にしていた。原告の朝日茂さんは重い結核を得、国立岡山療養所に病臥してすでに15年を送っていた。
国立療養所の入所者に対しては「完全給食」の前提の下、その他の生活に当てるべき費用として、当時月額600円のみが給付されていた。これは「シャツがやっと二年に一枚、パンツが年一枚」(新井章『体験的憲法裁判史』)という金額だという。病臥のために寝汗をかき、通常人以上に着替えを必要とする重症結核患者にとって、これはどういう生活を意味する数字であるか。
少なくとも「文化的な生活」を行うための最低限の費用も、そこからは出てきようがない。
(中略)「完全給食」というのも、役所の書類の中でだけ成立している観念であった。そうした費用を認めてもらおうと、訴訟は提起された。
(中略)訴訟提起以前に朝日さんが、岡山県の厚生課の主事に窮状を訴えたところ、さすがに県の事務官もうなずかざるをえなかった。それからしばらくして、どう辿ったのか、35年間も離れて宮崎県に暮らしている朝日さんの兄のもとに、宮崎県の社会福祉主事があらわれ、「民法の規定では、兄弟には扶養の義務があります。できればあなたは、月々三千円を弟さんに送金して下さい」と言う。
兄の生活も苦しかったが、それでも月千五百円を送金することにする。それを知らせる兄からの手紙を読んで、朝日さんは蒲団の中でしばらく泣いたという。
が、数日後、保護条件変更の決定通知書が送られてくる。「あなたの兄さんから、今後、月々千五百円送金されることになったから、今まで支給していた入院患者の生活扶助費月六百円の支給は打ち切ります。入院患者の入院中の生活費は、厚生大臣が決めた月六百円しか使えません。千五百円のうち、九百円は患者の入院費の一部負担として国庫に納入してください」。こうして朝日さんは訴訟を決意するのだ。
その時、形式としてはすでに整った生活保護法の、適用における非人間性を衝くための根拠たる法は、憲法第二十五条しかなかった。
(『結論を急がない人のための日本国憲法』堀切和雅 築地書館 1994より抜粋)

朝日茂さんは、止むにやまれず訴訟を起こさずにはおれない状況にされたといってよいのではないでしょうか。安易に権利を振りかざしているのではない事がよくわかります。
生存権裁判とはそのようなものなのだと思います。


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