まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

正しい行いを忘れないこと

2021-12-29 00:38:15 | 中国生活

先日の記事

別にケチをつけているわけではなく・・・

 

ここでこのように記した。↓(斜体がわかりにくいので、括弧でくくっておく)

<女性が多い言語の世界で仕事をしていた経験もあり、なるべく女性がカチンとくるような言葉は避けている。

 

それにどんな仕事をするにせよ、女性を敵に回したら、仕事が成り立たなくなってしまう。

 

だが、そこはやはりデリカシーの無い男であり、ごくたまにやらかしてしまう。

 

 

何がいけないかというと、やはり技術屋としてのある種の常識という習慣であり、怒らそうとして怒らせているわけではない・・・。

 

ただ、日本語教師をしているときに、女性を敵に回したら、それこそ「おしまい」であるわけで・・・。>

 

 

日本語教師の世界は女性の割合が圧倒的である。

私自身は男性が圧倒的な日本語教育の職場にいたこともある。

だが、日本でのボランティア時代の経験でも、中国での日本語教師でも、女性がいてこそ成り立つ世界だとも言える。

 

帰国後の話でいえば、私の技術者気質で女性を敵に回しかけたことがあった。

実際、同じ女性でもそれの何が悪いのかと気にしない方もいらっしゃる。

だが、気を付けたほうが良い。

女性を敵に回すと、リアルに仕事が進まなくなるので。

 

さて、この話は書こうかどうかとずっと悩んでいた。

だが、これから外国で教えたい方も多いであろうから、記しておきたい。

もし、炎上・大荒れとなったら、しばらく潜伏するつもりでいる。

 

今はそれほどないかもしれない。

だが、以前は日本人教師にずっと長く居てもらいたいために、中国人の異性と仲良くなることを奨励する学校も少なからず存在した。

(ちなみに中国に限った話でもないらしい。)

 

その異性とは同僚の場合もあれば、学生の場合もある。

 

私は「それはそれでありだろうね」という考えであり、別に真剣であるのなら、問題ないとさえ思っていたし、今もそう思っている。

これについては賛否両論あるに違いない。

 

ただ、私自身は避けていた。

それでも、夢であった中国生活のために、ずっと独身でいたわけであり、寂しくないかと言われれば、当然寂しい。

いつも学生のことばかり考えていたからこそ、ふと一人になると寂しい。

以前は私のことを良く理解してくださる(一緒に遊んでくださる)気の合う年齢・男女の垣根を超えた日本人女性の教師仲間たちが何かと私を気遣ってくださっていたので、何も考えなかったが、帰国されてしまうと、寂しさが現れた。

 

正直な話、以前の私はどちらかといえば、恋多き部類に属していた。

ある年の冬の初め、ある中国人女性との関係が終わった。

その寂しさがあったことは事実ではあるが、いったいどういう縁なのか、以前のパートナーとなる方と出逢ってしまった。

別に学校としては、真剣であるのならと、認めていた。

 

それまでの流れでは、部屋に呼ぶことさえ学校は何も言わなかった。

私はさすがにそれは避けていたが、前例があるので、私もついつい招き入れてしまった。

 

そういう前例や風習を知らない後から来た女性同僚は当然良くは思わないに違いない。

さらに私はけっこう真面目な部類であり、ある種の訳のわからないことに対してはすぐに怒るというか感情を露わにすることもあった。

私の言っていることは正論であろうが、良く知らない方からみれば、一緒に仕事をすることを躊躇うであろう。

 

さらに悪いことはその数か月前・・・。

引越しに当たって、私は後からの方々が良い生活ができるようにという配慮をしていた。

責任者以外そういうことを知らない。

だが、異国ではある意味自分を押し出さないと馬鹿を見る。

そのひとつ。

私の大切な大荷物到着が遅れることになった。

というより、送り忘れである。

挙句の果てには前のところに残った同僚が、それを欲しいと・・・。

「あんたらのミスで送り忘れたのに、面の皮厚く、『くれ』とは何事か!

電話の後、やり場のない怒りが抑えられなくなり、大声と共に部屋のスチールドアに当たり散らした。

同僚のためを思って行動したことで、半年以上前から自分が馬鹿を見ることが続いていたこともある。

 

この時の外国人教師寮は学外に独立していたが、防音設備などしっかりしていなかった。

私は条件の悪い部屋に入ったことが幸いしてそれほど気がつかなかったのだが、けっこう音が漏れる。

私の怒鳴り声とドアを蹴る音はかなり響いたに違いない。

女性から見れば怖かったであろう。

 

それらのことが重なり、私の再々々契約は満期除隊という形で消え去った。

学校は移動先を確保してくださったが、北京オリンピックの年であり、できるだけ新規の移動は避けるべき時期であった。

その懸念が当たり、その年の私はとんでもない苦労を背負い込んだ。

 

学校としては私を残したかったらしい。

 

それは人づてに聴こえていた。

だが、「誰が二度と戻るか!」と思っていた。

ところが、三顧の礼により、その学校に戻ることとなった。

学校は私の窮状を知っており、助けてくださった。

もちろん、(私が居なくても回っていくはずであったのに)教師が足りなくて困っていた。

当時いくら自分が困っていても、戻りたくはなかったのだが、かつて少しだけ顔を合わせた日本人同僚がひとり奮闘しているという。

さらには私の不安定な立場で当時のパートナーに苦労は掛けたくなかった。

 

学校は(あれこれ正論はうざかっただろうが)私がどれだけ学生のことを考えて生活をしていたかわかってくださっていた。

 

もちろん事実上のクビとなった時点で、己の様々な部分の改善を始めていた。

いくら正論であっても、話が通じなくても、声を荒げて怒ることは良くない。

また、女性に対しての言動はウルトラ級に注意するようになった。

もちろん自分の恋物語も極力人に見せないようにした。

 

以前のパートナーとはあることがきっかけで別れた。

その後、中国人の彼女がいたこともある。

 

今はひとりを続けている。

特に帰国後から父親が旅立つまでは父親のことであまり遠くには行けないし、長い時間を家を離れていることもできなかったことは大きな原因のひとつである。

で、今度は某ウイルスの蔓延もあり、老いた母親を今まで以上に守らなくてはならない。

 

話を元に戻す。

 

以前は学校のあるお偉いさんの意見をまともには聴いていなかった。

「特定の方がいる、いないはともかく、中国で彼女がいれば、生活が助かるよ」という意見。

だが、それを経験すると、確かにその通りなのである。

実際に中国がわかっている方が傍にいると、本当に助かるのである。

ましてや私は体が強いほうではないし・・・。

 

実際学生も遠地に彼や彼女がいるはずなのに、どこをどう見ても身近にラブラブの相手がいるというケースもあった。

 

また、最後に私がお世話になった学校経営者夫妻も何かあれば、私に女性を売り込んできたことがあった。

 

人は必ず結婚やそれに近いことをしなければいけないということはない。

私自身は「無理にしなくてもよいのでは」と思っている。

ただ、満ち足りた何かがないと、ある意味超級の変人にもなりかねない。

変人で済めば良いが、変態や犯罪の世界へ堕ちていくケースもある。

私がその究極の世界に堕ちていかずに済んだことはラッキーだと思う。

 

また、女性にうつつを抜かしたことで、苦労を背負い込んでしまったが、得たことは大きかった。

ひとつは私の中の中国文化と中国の風習である。

これは一生私の中に残るであろう。

例えどの国に移住したとしても。

 

まあ、私なんかまだ可愛いほうである。

 

他の幾つかの学校の方からど凄い話を何回か耳にしている。

それも酔って自分で気がつかないうちに秘密を口走っているという失笑もののケースもあるらしい・・・。

 

(ちなみにこの手のことは何も男性だけにある話ではない。)

 

最後に。

私が何かの大きな仕事を請け負ったり、今まで前例が続いていたことに手を出すと、急に風向きが変わり、以前なら絶対に有り得なかった苦労と直面したり、痛い目に遭うという経験を何回かしている。

 

つまり、風も永遠に同じ方向に吹いているわけではないのである。

これはある意味、自分に対しての何かの教えなのだと思う。

過去を参考にすることは悪いことではない。

だが、いつか必ず新しい手法が必要になる。

 

仕事も勉強も「遊び」も。

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2 コメント

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炎上はしないでしょう (ぱんず)
2021-12-30 10:26:26
女性に対してのくだりは、実感ありますね。千葉の日本語学校では、わたしのことをよく思わない女の先生もいらっしゃいました(授業見学を阻止されたり・etc)
台湾では、そうゆうことがなかったですね。
かわいい女性ばかりだったのですが、友だちみたいな感じで男の同僚の先生よりも何かと誘いやすかったです。
たぶん、社会人経験がある、海外で生活したいとか、共通の価値観なのか似た者同士なのか、その辺が千葉とは違ったのかな。

怒ったり、声を荒げたりするのは、海外では特に必要なんじゃないかって思います。
そのくらいしないと、気持ちが伝わらないような気がします。
雨好きさんは、中国にいたわけだから、壁に穴があかなければ、思いっきり強く蹴ってもいいと思います。
そのくらいのこと、1週間もすれば、みんな忘れますよ。
中国も北のほうは、普通の会話も喧嘩してる?と勘違いするくらい声が高いですよね(笑)
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Re:炎上はしないでしょう (雨好き)
2021-12-30 18:23:02
ぱんずさま

特に海外で教えていると、基準になるものは授業の見学だと思います。幸い多くの日本語母語話者、非母語話者両方の教師や教師希望の方々の授業を拝見させていただきましたが、やはり私を嫌いな方は何度頭を下げても露骨に断られましたね。人間離れてもどこかでつながっているので、お互いに助け合う場面も出てくるのに。実際私はその方が去った後、その方の知らないところで、軽い手助けをしたことさえあるのですが・・・。

私の数々の「乱心」は中国人教師や経営者にとってはたいしたことではなかったらしいのですが、後から来た日本人女性には重大事項であったようです。

間違っていることに大声を出すことは中国人教師には「良くやった!」的な評価を受けましたが、日本人女性にはあまり評価が良くはありませんでした。私を評価してくださる方であっても。

学生であれば、私が怒っても、「現時点ではどうして怒るのかわからない部分もある」とは思いますが、良い大人、それも教師がわからないこともあり、それが大声を生む原因でした。

ちなみに、南の中国は自己主張が強くなければ、生活は困難でして、レストランやスーパーでも良く主張していました。

(スチールドアのへこみですが、約一年後に同じ寮の違う部屋に入ったとき、前にいた部屋を確認したところ、直されていました。)
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