オヨパパママは自分と同姓の親を幼少の頃に
亡くしているから
親というもののイメージはその歳止まりではないか?
=イメージを模索した時期があったのではないか?
ということにふと気付いたオヨ。
さて、
いきなりカメラを向けられると人は
なぜか作り笑顔をする。
記念に残るから、その写真を見る時の自分または他人への笑顔、
撮ってくれる人への笑顔、一番幸せな顔
といろいろ理由はありそう。
だからふてくされた顔とか泣いてる顔なんてのは
撮られたくなくて
カメラを向けられたらきっと撮られるということから
避けてしまうでしょう。
泣いてる顔やふてくされた顔で自由に
カメラの前に立てるのは女優さんくらい。
あとのは知らず知らずに撮られてるから
絵になるんだと思う。
とまぁ”いきなりどしちゃったのこの子”という
文を書いてきたけど更に下を読んでね。
小学生のころに見たオヨママのアルバム、
そこには自分よりちょっとお姉さんの
オヨママがオヨママママ(つまりおばあちゃん)の
お葬式の日に遺影を抱えて写っている白黒の写真があった。
オヨはその写真に驚いた。
というのもその少女は悲しそうな顔をしていなかったから。
一連の流れで撮ったような気丈な顔だった。
ん?悲しくなかったの?
その答えが解けたのは高校になって
国語の教科書に出てきたある文章を読んでから。
その少女は心底悲しかっただろうけど
カメラを向けられてつい顔をつくってしまったと思う。
それから周りを悲しませてはいけないという思いも
あったんじゃないかな。
人って
弱さ隠そうとしたり
鏡みるときとか
いろいろ顔作ってるんですよ。
本当の本当の表情なんて
きっと自分でも知らないと思う。
でもそんな作ってる顔全部ふくめて
その人の表情なんでしょうね。固定化できないんだから。
自然とこぼれる笑顔っていいよね。