娘がお腹に入ってから不思議なことが続いた。
正確には生んでみて、なのかもしれない。
例えば、一人暮らしをしているおかあちゃま(夫の母=お姑さん)
の所で、お仏壇を見て、びっくり。
「あ、この人、妊婦の時に夢に出てきた人だ。
無言で私のことじっと見つめてきたから、よーく覚えている」
なんと、おかあちゃまのお父様(つまり旦那の母方のおじいちゃん)
の写真が夢に出てきた人そのものだったのだ。
でも、もっとびっくりしたのは娘が3歳の時、
家族でローマに旅行に行ったときのこと。
【コモ湖。町の中心から徒歩15分くらいの湖畔に、プールがあった。そのプールに訪れた人は湖へとドボーンと入っていく。違法なんだけど、みーんな見て見ぬふり・・・・・!最初は湖に入るのにドキドキしたが、段々慣れて、平気になった。違法行為も慣れるドキドキもしないのね。あーコワイ!】
私も夫も教会通いを始めて1年くらいで、何となく洗礼を受けてもいいかなあ、
と思い始めていたときのことだった。
パウロゆかりの教会の前で私は我が目を疑った。
パウロの銅像が教会の入り口を入ってすぐにあったのだが、
それを見て・・・、「あ、夢に出てきた人と同じだ」と思ったからだ。
【コモ湖から電車に乗って、スイスのルガーノへ。やっぱり湖のまわりにできたカワイイ町でした、ちょっとリッチな感じでね。そこからルガーノ湖をめぐる遊覧船に乗りました、この看板どおりに】
正直、顔とかはっきり覚えていないものの、
そのまとった衣服の感じやら印象やらが、夢に出てきた人そのものだった。
その夢はこんな風だった。、
私と夫がギリシャ風の円柱の前に立ち、
ローマで見たパウロの銅像そっくりな人が
私たちの洗礼なのか結婚の誓いなのか、をとりもってくれたのだ。
さて、その夢の中ではおかあちゃま(お姑さん)が
私の母で、結婚相手(つまり夫)にはちょっと不満があるような感じだった。
【急に空模様があやしくなって、ルガーノ湖の色があっというまにバスクリーンのグリーンに。劇的な変化に私たちも唖然とした】
私は建築の知識がないので、それがギリシャ神殿なのかローマ式なのか
区別はつかなかったが、小高い丘の上に建っていて、
眼下の景色はただただ蜂蜜色の土がどこまでもつづいている感じだった。
たかが夢のことなど、気にすることもないだろう!
銅像なんて本当に本人そっくりとは限らないし・・・・、と
心の中でつぶやいて、夢との関連性など気にしないことにした。
それなのに、その後、パウロが死の直前にくぐったとされる門の下に立った時、
突然に涙が私の瞳をおおい、いつのまにか泣いてしまったのだ。
自分でも訳が分からない、でも、それは押さえきれない何かだったし、
押さえる必要もない気がしていた。
【ジェノバを起点として、サンタ・マルゲリータ・リグレから船に乗って、
ポルトフィーノへと向かった。写真は港に入っていく船の上からとったもの。
入り江にずらっと並んだ建物の色彩が光にとけ込んで本当に可愛かった。お台場のデックとかアクアシティもこの可愛さを狙ったのだろうけど・・・、何かが違う。ポルトフィーノがセレブや大富豪に注目されだしたのは戦後なんだって。もともとは小さな漁村でした】
夢はもはや、無視できない大きさで私に何かを訴えかけていて。
おかあちゃまに対する私の感情がすこぶるよいのは
前世では私の母だったからなのだろうか、と思ったり・・。
私たち夫婦が誰に誘われるわけでもなく、
自然と教会に通い始めたのは、前世でパウロから洗礼を受けていたから・・・?
などと考えたりするのだった。
バカらしいと思われるだろうけど、実は霊感の強い方で直木賞作家だった
故景山民夫さんから「君たちは前世でも夫婦だったんだよ、
ニューヨークで落ちあう約束をしてあったんだね」と言われたことが
あったので、すぐそれとこれとを結びつけてしまったのだ。
景山さんにそう言われる前にも
全米で5本の指に入る有名なタロット占い師から、
「あなたと今の旦那さんは前世でも夫婦だったのよ、あなたは
信じられないだろうけどね、前世なんて・・・」と言われたこともあったので、
私としては、そうか前世で私と夫が夫婦だった、
というのは本当なのかもしれない、
と夢のこともあり、ローマではついにそう思い始めてしまっていた。
【ジェノバの町を探索。案外大きかった、都会ですねえ】
その後、夫と2人で同じ時に洗礼を受け、私たちはクリスチャンになった。
夫婦で同時に洗礼を受けることが、この日本ではどんなに珍しいことか?
奥さんがクリスチャンでようやくようやく旦那様が洗礼を受ける、
というパターンか、結局奥さんだけがクリスチャンな場合が多い。
洗礼を受けてから、牧師先生に
「前世ってあるんでしょうか?」とお聞きしたら、
「ありません、1回きりの人生です」と明確に答えられてしまった。
余りにもはっきりと前世を否定されたので、
クリスチャンとして正しくあるために、
前世のことは素直に忘れるしかないかな、という感じだった。
景山さんや占い師の言葉を私の心から追い出すことにしたのだ。
【ジェノバを起点に、イタリアン・リヴィエラの燦然と輝く世界遺産へと足を伸ばした。”チンクエ・テッレ”だ。イタリア語で5つの村という意味なんだけと、
そのままなかんじ。5つの漁村の総称なのだ。それぞれの村の入り江はそれぞれに個性が違っていた】
ところが、やっぱり附に落ちない。何かがしっくりこなくて、困っていて。
前世があるのかないのか・・・、あるようなないような・・・。
・・・ところで、気づくとどんどん気づかされるのだが、
私の出た大学の名前は聖パウロの大学なのよね。
パウロの英語の言い方はポールなんだけど、
立教大学は英語でセント・ポールズ・ユニバーシティと言うのです。
私の人生で大学がどんなに大きく影響してきたか、を思うとぞっとする。
私が勤めたマガジンハウスという出版社は、当時の会長も社長もそして
今の会長も社長も立教大学の卒業生である。
何だか私の人生はパウロがすごく関わっているぞ、と思ってしまうのだ。
ちなみに大好きなミュージシャンはポール(パウロ)・マッカートニーだ。
笑うしかない偶然だけど。いや、何かある? ある気がしてならない。
だから、旅の計画を練っていて、アルルから地中海沿岸をぐるっと回ろう、
と決めてしまってから、パウロがローマから地中海沿岸の町々を
歩いて、アルルで内陸に入り、イスパニア(今のスペイン)まで
宣教の旅をした、という伝承があることを知ったとき、
心底びびってしまった。
知らずに決めた旅行の行程が、偶然パウロのめぐった町々だったのだから・・・。
実は夏の地中海への旅を決めた後で、春の旅を追加した。
余りの偶然に、それからは意識的にパウロゆかりの地を巡っている。
ブログにしてきたけれど、そう2006年春の、
シラクサへの旅。シラクサはパウロがイタリア本土に入る前に
立ち寄った町だったから。
夢でみた景色を求めて、続く2007年もパウロの追っかけをして、
彼が漂着した島、マルタ島へと子連れで行ってきた。
さて、マルタ島イムディーナにあるカフェのテラスから眼下の景色を見たとき、
私は心底、唖然としてしまった。
夢でみた景色にそっくりだったからだ。蜂蜜色の土がうねるように
下へ下へと続いている感じ・・・・がね。
どんどん現実へと繋がっていく私の夢の記憶を、
今ではこの胸で大切に抱きしめている。
前世があるのかないのか私には分からないけれど、
私の体験は前世の可能性を訴えかけ続けているし、
牧師先生の言葉に反して、前世はあるような気がしている。
江原さんや三輪明宏さんの「オーラの泉」の影響かって?
私、見てません! でもね、
私にすごく影響を与えたルドルフ・シュタイナーは
前世のことをはっきりと肯定しているのよね。
ま、神のみぞ知る、だけど・・・ね。
正確には生んでみて、なのかもしれない。
例えば、一人暮らしをしているおかあちゃま(夫の母=お姑さん)
の所で、お仏壇を見て、びっくり。
「あ、この人、妊婦の時に夢に出てきた人だ。
無言で私のことじっと見つめてきたから、よーく覚えている」
なんと、おかあちゃまのお父様(つまり旦那の母方のおじいちゃん)
の写真が夢に出てきた人そのものだったのだ。
でも、もっとびっくりしたのは娘が3歳の時、
家族でローマに旅行に行ったときのこと。
【コモ湖。町の中心から徒歩15分くらいの湖畔に、プールがあった。そのプールに訪れた人は湖へとドボーンと入っていく。違法なんだけど、みーんな見て見ぬふり・・・・・!最初は湖に入るのにドキドキしたが、段々慣れて、平気になった。違法行為も慣れるドキドキもしないのね。あーコワイ!】
私も夫も教会通いを始めて1年くらいで、何となく洗礼を受けてもいいかなあ、
と思い始めていたときのことだった。
パウロゆかりの教会の前で私は我が目を疑った。
パウロの銅像が教会の入り口を入ってすぐにあったのだが、
それを見て・・・、「あ、夢に出てきた人と同じだ」と思ったからだ。
【コモ湖から電車に乗って、スイスのルガーノへ。やっぱり湖のまわりにできたカワイイ町でした、ちょっとリッチな感じでね。そこからルガーノ湖をめぐる遊覧船に乗りました、この看板どおりに】
正直、顔とかはっきり覚えていないものの、
そのまとった衣服の感じやら印象やらが、夢に出てきた人そのものだった。
その夢はこんな風だった。、
私と夫がギリシャ風の円柱の前に立ち、
ローマで見たパウロの銅像そっくりな人が
私たちの洗礼なのか結婚の誓いなのか、をとりもってくれたのだ。
さて、その夢の中ではおかあちゃま(お姑さん)が
私の母で、結婚相手(つまり夫)にはちょっと不満があるような感じだった。
【急に空模様があやしくなって、ルガーノ湖の色があっというまにバスクリーンのグリーンに。劇的な変化に私たちも唖然とした】
私は建築の知識がないので、それがギリシャ神殿なのかローマ式なのか
区別はつかなかったが、小高い丘の上に建っていて、
眼下の景色はただただ蜂蜜色の土がどこまでもつづいている感じだった。
たかが夢のことなど、気にすることもないだろう!
銅像なんて本当に本人そっくりとは限らないし・・・・、と
心の中でつぶやいて、夢との関連性など気にしないことにした。
それなのに、その後、パウロが死の直前にくぐったとされる門の下に立った時、
突然に涙が私の瞳をおおい、いつのまにか泣いてしまったのだ。
自分でも訳が分からない、でも、それは押さえきれない何かだったし、
押さえる必要もない気がしていた。
【ジェノバを起点として、サンタ・マルゲリータ・リグレから船に乗って、
ポルトフィーノへと向かった。写真は港に入っていく船の上からとったもの。
入り江にずらっと並んだ建物の色彩が光にとけ込んで本当に可愛かった。お台場のデックとかアクアシティもこの可愛さを狙ったのだろうけど・・・、何かが違う。ポルトフィーノがセレブや大富豪に注目されだしたのは戦後なんだって。もともとは小さな漁村でした】
夢はもはや、無視できない大きさで私に何かを訴えかけていて。
おかあちゃまに対する私の感情がすこぶるよいのは
前世では私の母だったからなのだろうか、と思ったり・・。
私たち夫婦が誰に誘われるわけでもなく、
自然と教会に通い始めたのは、前世でパウロから洗礼を受けていたから・・・?
などと考えたりするのだった。
バカらしいと思われるだろうけど、実は霊感の強い方で直木賞作家だった
故景山民夫さんから「君たちは前世でも夫婦だったんだよ、
ニューヨークで落ちあう約束をしてあったんだね」と言われたことが
あったので、すぐそれとこれとを結びつけてしまったのだ。
景山さんにそう言われる前にも
全米で5本の指に入る有名なタロット占い師から、
「あなたと今の旦那さんは前世でも夫婦だったのよ、あなたは
信じられないだろうけどね、前世なんて・・・」と言われたこともあったので、
私としては、そうか前世で私と夫が夫婦だった、
というのは本当なのかもしれない、
と夢のこともあり、ローマではついにそう思い始めてしまっていた。
【ジェノバの町を探索。案外大きかった、都会ですねえ】
その後、夫と2人で同じ時に洗礼を受け、私たちはクリスチャンになった。
夫婦で同時に洗礼を受けることが、この日本ではどんなに珍しいことか?
奥さんがクリスチャンでようやくようやく旦那様が洗礼を受ける、
というパターンか、結局奥さんだけがクリスチャンな場合が多い。
洗礼を受けてから、牧師先生に
「前世ってあるんでしょうか?」とお聞きしたら、
「ありません、1回きりの人生です」と明確に答えられてしまった。
余りにもはっきりと前世を否定されたので、
クリスチャンとして正しくあるために、
前世のことは素直に忘れるしかないかな、という感じだった。
景山さんや占い師の言葉を私の心から追い出すことにしたのだ。
【ジェノバを起点に、イタリアン・リヴィエラの燦然と輝く世界遺産へと足を伸ばした。”チンクエ・テッレ”だ。イタリア語で5つの村という意味なんだけと、
そのままなかんじ。5つの漁村の総称なのだ。それぞれの村の入り江はそれぞれに個性が違っていた】
ところが、やっぱり附に落ちない。何かがしっくりこなくて、困っていて。
前世があるのかないのか・・・、あるようなないような・・・。
・・・ところで、気づくとどんどん気づかされるのだが、
私の出た大学の名前は聖パウロの大学なのよね。
パウロの英語の言い方はポールなんだけど、
立教大学は英語でセント・ポールズ・ユニバーシティと言うのです。
私の人生で大学がどんなに大きく影響してきたか、を思うとぞっとする。
私が勤めたマガジンハウスという出版社は、当時の会長も社長もそして
今の会長も社長も立教大学の卒業生である。
何だか私の人生はパウロがすごく関わっているぞ、と思ってしまうのだ。
ちなみに大好きなミュージシャンはポール(パウロ)・マッカートニーだ。
笑うしかない偶然だけど。いや、何かある? ある気がしてならない。
だから、旅の計画を練っていて、アルルから地中海沿岸をぐるっと回ろう、
と決めてしまってから、パウロがローマから地中海沿岸の町々を
歩いて、アルルで内陸に入り、イスパニア(今のスペイン)まで
宣教の旅をした、という伝承があることを知ったとき、
心底びびってしまった。
知らずに決めた旅行の行程が、偶然パウロのめぐった町々だったのだから・・・。
実は夏の地中海への旅を決めた後で、春の旅を追加した。
余りの偶然に、それからは意識的にパウロゆかりの地を巡っている。
ブログにしてきたけれど、そう2006年春の、
シラクサへの旅。シラクサはパウロがイタリア本土に入る前に
立ち寄った町だったから。
夢でみた景色を求めて、続く2007年もパウロの追っかけをして、
彼が漂着した島、マルタ島へと子連れで行ってきた。
さて、マルタ島イムディーナにあるカフェのテラスから眼下の景色を見たとき、
私は心底、唖然としてしまった。
夢でみた景色にそっくりだったからだ。蜂蜜色の土がうねるように
下へ下へと続いている感じ・・・・がね。
どんどん現実へと繋がっていく私の夢の記憶を、
今ではこの胸で大切に抱きしめている。
前世があるのかないのか私には分からないけれど、
私の体験は前世の可能性を訴えかけ続けているし、
牧師先生の言葉に反して、前世はあるような気がしている。
江原さんや三輪明宏さんの「オーラの泉」の影響かって?
私、見てません! でもね、
私にすごく影響を与えたルドルフ・シュタイナーは
前世のことをはっきりと肯定しているのよね。
ま、神のみぞ知る、だけど・・・ね。