【写真は全て3枚ともシシリア島のチェファルの景色】
この旅で私は初めて、バックパッカー的な旅をした。
40歳後半での暴挙である。しかも、子連れ。
子供を生んでから、一貫して子供に広い世界を見せることを
心に留めてきた。別に大上段に立って、○○教育論とかがあってのことではない。
単純に私が親からそうやって育てられたからだ。
父は車で海、山といろんな所へ私を連れて行った。
その幼い頃の経験ははっきりとした記憶として残るような類のものではなく、
私の肉体の一部となって養分となり蓄えられたのだ。
その養分を人生という過酷な旅の中で、エネルギーに換え、消耗させる。
もし、その養分がなければ私の人生という旅は
味気ないものとなってしまったはずだ。
だから、娘にも同じように養分をたっぷり与えようと決意した。
30歳の時、単身で頼る人もいないマンハッタンへと向かった私である。
そこで4年の月日を過ごしてみて、さらに確信したのだ。
異文化に触れることの大切さ、日本の外に出て日本を客観視することの意義を。
自分には不足していたものを、自分の子には与えてあげよう、と決心した。
それは、「異文化に入ってもものおじしない、国際力」だ。
それには私のように大人になってから海外留学をするのでは遅い。
できれば小さいときから呼吸して吸い込むように体内に取り入れてしまえたら、
と思ったのだ。
長くなったが、旅はそのために私が子供へ与えてあげられる最上で最高の
教育のつもりだ。
そんな中、小学4年生になるにあたって、
娘と2人、地図を片手に手作りの、つまり世界でたったひとつだけの
その一瞬にしかありえない偶然に巡り会うために旅に出たのだった。
娘も洗礼を受けたいと言い出した折だったので、
キリスト教文化にまつわる場所を見て回ることにした。
巡礼地というのは既に手あかが付いてありきたり。
なんか、マイナーでも、意味のある場所は?
と探していて、行き着いたのが聖書のこの箇所だった。
パウロのローマへと向かう宣教の旅の途中でのくだり、
「シラクサに寄港して、三日間とどまり」(使徒行伝28:12)
である。そう、パウロが寄港したシシリア島シラクサへと
行くことを決心したのであった。
ローマからアッシジ(聖フランシスコ)→ローマ経由シシリア島パレルモ→シラクサ→タオルミーナ→チェファル→パレルモ経由でミラノ(ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)
この旅の中心は、偉大な信仰の跡をたどることであり、
身の安全も必要な出会いも神に全部委ねることだった。
そして信仰とは現実をどう生きるかであって、
それは崖っぷちに立っても神を信頼し、神だけに頼ることだということを
体験したのである。そう書くと、他力本願、困った時の神頼み、みたく安易で
お気楽なだけじゃんと誤解されるかな。
自分の意志(想念と呼んでもいいのかも)で、神に全てを明け渡し、
「神を味方につける」ことが大切なのだ。
神を味方につけるのは、実はそんなにたやすい事ではない!
毎日毎日、ありとあらゆる誘惑を受け、霊的には崖っぷちに立っていることを
思い知るべきだ。旅はそんな感覚を呼び覚ましてくれる。