2度目のMD実験、迎撃には失敗 海自イージス艦(朝日新聞) - goo ニュース
防衛省は20日、弾道ミサイル防衛(BMD)の海上配備型迎撃ミサイルSM3を搭載した海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」が、米ハワイ沖で発射試験を行ったと発表した。発射には成功したが、標的のミサイル迎撃には失敗した。海自のイージス艦による発射試験は昨年12月に続いて2度目。
前回の試験では「こんごう」が迎撃に成功したが、今回は昨年と違い、標的の発射時刻などは事前にイージス艦に知らされていなかった。
防衛省によると、米海軍はSM3の発射試験を過去に15回実施し、迎撃を3回失敗しているという。
***以上一部引用***
前回の「こんごう」による迎撃実験と異なり、今回は実戦形式の迎撃実験でした。
別の報道では、今回の実験に60億円がかかったという報道がありました。
その記事では、さも60億円が無駄になったとの論調でした。
そもそも、ミサイル防衛(MD)はSM3だけで100%迎撃できるものではありません。
SM3で打ちもらすことを想定し、PAC3で迎撃するという多段迎撃システムです。
朝日新聞の記事に米国での実験では、15回の実験のうち3回が失敗と報道されています。
3回失敗ということは、12回が成功したと言えます。
これは、迎撃率80%となりますので、想定の範囲だと思われます。
どんなシステムでも100%完璧に動作するものはありません。
100%に近づけるために、度重なる実験を行い、保険(多段動作)をかけます。
今回失敗したのであれば、失敗の原因を解明し、次に生かすことが重要です。
失敗したからといって、実験の全てを否定するのは愚の骨頂です。
MDに頼らない防衛をするのであれば、正面装備の増強と敵地攻撃能力が必須になります。
攻撃側は、攻撃のタイミングや標的など常にイニシアティブを取ることができ、防御側は常に後手になってしまいます。
日本では軍事に関する教育は一部の教育機関を除きほとんど行われません。
軍事は政治の延長であること、軍事を理解した上で軍事に頼らない政治の構築をどのように行うか・・・について考える必要があります。
軍事というだけで、理解しようともせず否定するのは、、頭の中がお花畑と言わざるを得ません。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずや
この言葉は、様々なことに応用ができると思います。
防衛省は20日、弾道ミサイル防衛(BMD)の海上配備型迎撃ミサイルSM3を搭載した海上自衛隊のイージス艦「ちょうかい」が、米ハワイ沖で発射試験を行ったと発表した。発射には成功したが、標的のミサイル迎撃には失敗した。海自のイージス艦による発射試験は昨年12月に続いて2度目。
前回の試験では「こんごう」が迎撃に成功したが、今回は昨年と違い、標的の発射時刻などは事前にイージス艦に知らされていなかった。
防衛省によると、米海軍はSM3の発射試験を過去に15回実施し、迎撃を3回失敗しているという。
***以上一部引用***
前回の「こんごう」による迎撃実験と異なり、今回は実戦形式の迎撃実験でした。
別の報道では、今回の実験に60億円がかかったという報道がありました。
その記事では、さも60億円が無駄になったとの論調でした。
そもそも、ミサイル防衛(MD)はSM3だけで100%迎撃できるものではありません。
SM3で打ちもらすことを想定し、PAC3で迎撃するという多段迎撃システムです。
朝日新聞の記事に米国での実験では、15回の実験のうち3回が失敗と報道されています。
3回失敗ということは、12回が成功したと言えます。
これは、迎撃率80%となりますので、想定の範囲だと思われます。
どんなシステムでも100%完璧に動作するものはありません。
100%に近づけるために、度重なる実験を行い、保険(多段動作)をかけます。
今回失敗したのであれば、失敗の原因を解明し、次に生かすことが重要です。
失敗したからといって、実験の全てを否定するのは愚の骨頂です。
MDに頼らない防衛をするのであれば、正面装備の増強と敵地攻撃能力が必須になります。
攻撃側は、攻撃のタイミングや標的など常にイニシアティブを取ることができ、防御側は常に後手になってしまいます。
日本では軍事に関する教育は一部の教育機関を除きほとんど行われません。
軍事は政治の延長であること、軍事を理解した上で軍事に頼らない政治の構築をどのように行うか・・・について考える必要があります。
軍事というだけで、理解しようともせず否定するのは、、頭の中がお花畑と言わざるを得ません。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずや
この言葉は、様々なことに応用ができると思います。
>軍事というだけで、理解しようともせず否定するのは、、頭の中がお花畑と言わざるを得ません
本当は理解できないものは否定も肯定もできないはずですがねえ。
マスコミに限らず、否定や批判することしかできない自称市民団体や政治家が多いのが悲しいところです。
悲しいというか、将来に不安を感じます。