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 秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

「超古代日本の謎」②  奇太郎

2019年04月23日 | 地球・宇宙・太古
3月1日のアップ(古史古伝)で「超古代日本の謎」を採り上げた奇太郎さんから、その続編が届いたので以下に紹介いたします。

「超古代」なる表現は、謎にかかわる著作物に使用されていて、考古学や歴史学では登場しない。が、これから述べる謎の文書の時代を考察すると実に的を得た3文字かもしれない。

①「秋田の先覚者」
前述の項では「竹内文書」など古史・古伝について述べたが、この中には古文書関係と日本ピラミッド説を唱えた人物が複数存在する。その中で秋田県に関する重要人物が、かつての「大湯ホテル」初代経営者であり、現在の鹿角市に合併する前の旧大湯町長を昭和22年から2期務めた故・諏訪富多氏だ。

富多氏は明治16年、県議会議員そして大湯村長を務めた父・音治氏の長男として生まれ、毛馬内尋常高等小学校、秋田中学、東京郁文中学、金沢第四高等学校を経て明治39年、東京帝国大学西洋哲学科へ入学、翌40年父の死去により家督を引き継ぐことになり、中央での活躍を諦めて大学卒業後故郷に戻った。
そして明治45年、29歳の若さで「秋田開墾会社」を設立し、温泉開発や観光開発そして農地の開墾などに取り組んだ。

その情熱の一片を紹介すると、石油発動汽船「南祖丸」を十和田湖に浮かべたり、温泉を利用した野菜の促成栽培を成功に導くだけに留まらず、十和田湖高原南の大清水地区の開墾、十和田湖の秋田県側開発、青森・秋田の自動車道開通に尽力するなど功績は大きい。
では、何故?富多氏はそれほどしてまで郷里の十和田高原開発にこだわり続けたのだろうか?それは富多氏が青年時代のある夏の日、大湯から山道をたどって十和田湖に到着したところ、その余りにも雄大な湖面と周囲の神秘性に大きく心を動かされたためだと言われている。

明治の頃の十和田湖は現在の観光地化した光景とは全く別世界の幽玄さを持っていたと見られる。この時を契機に富多氏は十和田高原文明説の世界へ突き進んで行く。やがて時代は大正から昭和へと進み、大湯環状列石が昭和7年に発見され、翌年大湯郷土史研究会が発足、富田氏は初代会長となった。
そして昭和10年、謎の古文書「竹内文書」の公開者・竹内巨麿との出会いによって十和田高原=太古の神都説が大きく浮上することになる。
富多氏は昭和56年、98歳でこの世を去るまで自らの理論を提唱し続け精力的に研究したが、竹内巨麿との出会いは「太古の神都説」の成熟度に一層の拍車がかかったものと思われる。

諏訪富多氏


②「その説とは?」
富多氏の唱える「十和田高原=太古の神都説」には2本の柱がある。その第一は北緯40度線だ。これは富多氏自らが発行したB4判のタブロイド紙「太古の神都・十和田高原第5号」から引用する。

「独断的に申してみる。北緯40度線は世界の運命線で、国際交通路、統一の線でもある。それはアジア大陸の北京、北米のニューヨーク、日本の秋田より十和田・八戸を貫く線。(中略)八戸海岸との連絡線が出来さえすれば、満州の新京に達する路線は、他の路線より3日位は早くなると言うことである。秋田海岸の準備が出来てアジア大陸との連絡が出来さえすれば、世界の明日は北緯40度線の運命になるであろう事は確かである。(中略)

タブロイド紙


かっての大湯中通り台地(タブロイド紙より)

神秘な印度思想、現実的な支那思想を統一して高天原民族は、神武の御世まで復古し、明治維新を生み出した。今や欧米の精神的な科学思想の応用に依って進んで仏教・儒教・キリスト教を生み出した霊の世界にまで、つながりを持とうとしている此の時、日本東北の聖地、その発見せられたる遺跡による世界歴史年代の再検討―埋蔵せられたる資源による将来の文明の推進。
世界で最も多い温泉地と世界的異常の大風景を有する事による人類の保健と文化に関する新たなる認識―神代高天原に脈膊のつながりを持つ宏遠なる魂の響きは、今やこの北緯40度の線より八方に放射せんとしている。明日の歴史を期待する」
富田氏は日本の秋田県の位置する北緯40度線が如何に重要であり、世界的なつながりを持つか力説している。
では、もう一つの柱、いよいよ富田氏の壮大なロマンの世界「十和田高原文明説」が構築された経緯について触れてみよう。
氏の著した「太古の神都・十和田高原」の冒頭部に興味深い記述がある。
「昭和6年、十和田高原を通じて大舘・八戸間が開かれた。満州事変が起こって日本も世界の激動期に入ったのも昭和6年であった。昭和7年12月に国際的の大湯環状列石が発見された。昭和10年に竹内巨麿大人は、その所蔵の古文献に依って十和田高原の探査に来られた。昭和11年に余は高天原の長歌を書いた。まず高天原の長歌から書き始めることにする」。・・・次回に続く。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (秋田犬ハチ)
2019-06-10 13:47:37
東日流外三郡誌にも十和田より広い範囲の、
貴重で面白い情報もたくさんあります!

NHKのダークサイドミステリー
https://www4.nhk.or.jp/darkside/
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