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あきらの稽古日誌~合唱、日本舞踊、ETC

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八丈からのおたより

2012-02-08 07:40:16 | 日記
八丈島のyさんからのたより、頂きました。
yさんは、昨年の秋、池袋のシニア演劇大会でお会いして以来、情報交換しています。
少しはなれたところに同じように演劇に打ち込んでいる仲間がいることは、とても励みになります。
私達の劇団は、池袋で「海を渡る娘」(作:小島真木)という地元静岡弁で語られる芝居を演じました。だんだん聞かれなくなっていく静岡弁が、懐かしさと哀切を湛えた民話風の芝居の中にみごとな効果を発揮していました。
yさんは、所属する劇団が、「八丈語」を残すしくみの一つとして、芝居に取り入れていると伝えてくれました。
八丈島というと、私などはその昔、高貴な流人により伝えられた優雅な「王朝語」の名残でもあるのかなと思いますが、なんと、yさんのたよりでは、もっともっと古い縄文時代の痕跡も残っているとのこと。なにかすごいロマンを感じます。
今年の冬は、南の島の山にも雪が積もっているとのこと、またどこかでお会いしたいですね。
写真は、私のマンションの居間から見える朝の富士山です。
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急な話ですが、明日(9日)AM11:00~、私が地元のFM放送ラジオ f(エフ)に出ます。
近くの方は、聞いてくれるとうれしいです。


玉三郎はすごい

2012-02-06 12:46:54 | 日記
昨日(日曜日)午後、BSを見ていたら、玉三郎の京都賞受賞記念番組をやっていた。
玉三郎の舞姿は、最近、特にその姿が感動的に見えるようになった。(私自身の心境変化のため)
すばらしい舞台姿の後、玉三郎が観客の質問に答える場面があり、それを聞いて、彼の舞台イメージと異なり、案外骨っぽい性格(失礼)の人なんだアと思う。
彼の話の中で、ちょっと私の理解が違っているかもしれないが、次のような言葉があったように記憶している。
「舞台では、女を演じるのではない。ある瞬間に女になるのだ」「稽古に稽古を重ねて、舞台に立つ。すると、自分でも意識しない『女になる』瞬間が訪れる(ことがある)」「この無意識の瞬間は、自分の意思では、コントロールできない。この瞬間は、来ないこともあるが、ただ、とことん稽古を積まない限り、この瞬間が来ないことだけは、確かである」と。
そういえば、私が入団したばかりの頃、尊敬する劇団のMさんに「どんな練習をしているのですか?」と聞いたところ、「台本の読みを深めていくと、自然に『天の声』が聞こえてくる」という意味のことを言われたような記憶がある。
やっぱり、死に物狂いの稽古が必要なんですね。
●玉三郎の言葉「命と相談して、それ以上やると危ないと感じたら、その時は、やめなさい」と。
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写真は、出番を待つ「末摘む花」

地声の女形?

2012-02-01 20:41:48 | 日記
今日の稽古には、山口久雄さんが来てくれました。
山口さんは、前回の「海を渡る娘」と「嫁田」のディレクター。
入団したばかり、右も左も分からない私を、なんとか指導して舞台に立たせてくれた人です。
現在、練習中の「こいこく」、「末摘花」の舞台設定、音響、照明などの設計のために来られました。
稽古中、山口さんのパソコンから音楽や鳥の声が聞こえて、だんだん本物らしくなってきて、わくわくします。
写真は、「こいこく」メンバーのWさんが撮影してくれた、「末摘花」の姫、少将、叔母の対話シーンです。
今回も、私(姫)の稽古についてです。
これまでの私の考え:姫は周りの人々(少将、侍従、宰相、右近、左近)とは異なる上流階級の品格、優雅さを表現する。
話し方は、ゆっくり。女性らしい声。
この日のディレクターのコメント:
地声でいいから、もっと張りのある声で。
普通の声で生き生きと、もっと自由に感情表現すること。
女性であることを意識して、無理に高い声を出さないこと。
高い声は、単調になり、感情がのらない。
そう言えば、ディレクターは、今までもそれを言っていたな。
今日のコメントを機に、かなり頑張って喋りを、変える必要があるなと思う。
地声(男声の)で、感情をこめて、しかも、姫らしい気品をかもし出す、ウ~ン、かなり難しいナア。
ともかく、次回の稽古は、姫らしい気品はともかく、感情を載せた喋りを目指します。
これが、私の演技では、まだまだであることは、自覚しております。ハイ