Strawberry Sunday♪

楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、日々徒然・・・。

大丈夫

2005-09-28 03:37:17 | Weblog
何があっても私は貴女の側にいます。

だから安心してください。

ここに来たときから それは覚悟の上ですから。

誰がなんと言おうとも、私は絶対に裏切らない。

たとえそれが地獄行きだったとしても、私はその道を行きますから。


だから、大丈夫ですよ。

不満

2005-09-27 20:41:32 | Weblog
自分がされてイヤだって思うことは往々にして自分もやってるものだ。

だからイヤなんだ。

だから目につく。

それに気づかずに相手に対して不満ばかり言うような人間にはなりたくない。

すごく、それを思う。

言葉じゃなくても

2005-09-25 20:45:49 | Weblog
人から元気をもらうのは嬉しい。

どんな形でも自分に受け皿さえあれば、理解することができる。

勘違いかもしれない。
でもいいじゃないかーw
それで自分が元気になるのなら。
これって私を励ましてくれてるの?なんて野暮なことは言いたくない。
だから勝手に解釈する。
そのかわり、全て自分の責任の中。

ただ言えるのは、間違いなく私が救われているということ。

言葉にするのはわかりやすく、てっとりばやい。
でもそうじゃなくても、違うかたちでも、たとえ限りなく勘違いに近くても(笑)暖かな気持ちはちゃんと伝わってくる。

私に温かく接してくれる人たち全てに、感謝。

どっち?

2005-09-24 20:27:47 | Weblog
感情の起伏が激しいね、と言われたことがある。

ちょっと驚き。

そんなこと言われたのって初めてだった。

今まで言われたことがあるのって、「落ち着いてるね」「いつもニコニコしてるね」「穏やかだよね」・・・。

だから私ってそうなんだって思ってた。

まぁなんとなく本来の自分との違和感は感じていたが・・・。
「感情の起伏が激しい」
それを言ったのは、リアルの友人ではなく、ネットの友人。

そうすると自分が本来の姿を出せてるのは、ネット内だってことか?
ネットの中の自分が、本当の自分?

うーーむ。

人と人って、会ってなんぼと私は思う。
いくらバーチャルでいろんな話をしていても、実際に会って表情を見て、雰囲気を感じて、その人というのを知るのだと思う。
でもそういう場で出している自分が、ネットとかけ離れているってこともあるわけだ。

それならいったいどっちが本当の自分なのだろう。

本当の私を見て貰うには、だいたいどっちがいいんだろう。


そう考えながら、私は、ネットの中の自分が本来の自分なのかもしれないと本当はそう思っている。
ここって、誤魔化せるようで、実は誤魔化しにくい場でもあるんだよね。
顔が見えない分、正直に自分を出せるってこともあるから。


うーん。
ちょっとまとまらないけど、もういいやーーーw




2005-09-23 03:33:16 | Weblog
雨がまだやまない。
昨日からずっと降りっぱなしだ。

私がまだ幼かった頃、母が病気で長期入院した。
私には弟と妹がいるが、私だけがその間父方の祖母宅に預けられていた。
理由は不明。
他の2人は当時同居していた母方の祖母の元にいた。
弟が生まれるときも、妹が生まれるときも、常に私はそこだった。
幼少期の大半を祖母と暮らしていた私にとって、祖母は母代わりのようなものだった。
母も働きながら3人の子育ては大変だったと思う。
今ならわかる。
でも当時はわかるはずもなく、私はカンペキに祖母になつき、母が迎えにきても「帰りたくない」と大泣きするようなゆがんだ情操の子供だった。
普通は何より誰より母親だろう。
だが、私は何より誰より祖母だったのだ。

祖母は毎朝5時に起床。
私をつれて散歩に出ていた。
ゆっくり歩道を歩きながら、草花の名前を教えてくれたり、童謡を歌ってくれたりした。
一歳半まで同居してた祖母は、私の子守をするときになんと昔の寮歌や軍歌を子守歌がわりに歌ってくれていたのだ。
おかげで私は1歳半にしてかなり厚い寮歌の本をまるごと覚え、空で歌えるような神童になってしまった。
しかも字も読めないくせに開いたページに載っている歌を歌えるというものすごさ。
(今では「神童」の面影すらないが・・・(TmT)

当然全ての歌は忘れてしまっているのだが、ただひとつ、覚えている歌がある。
「雨」という童謡。

雨が降って散歩に行けない日はいつも窓から雨降りの外を見ながら祖母が歌ってくれたのだ。

「雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒の木履の緒が切れた」

雨が降ると私の中にいつもその情景が浮かぶ。
繰り返し繰り返し歌ってくれた祖母の姿も。
このままずーっとどこにも行かないでここにいたいと思っていた自分の心情までがよみがえる。
前に「戻りたい時間はない」と書いたけれど、もし敢えて言うなら私の戻りたい時間はそこかもしれない。
私の幼少時の幸せな思い出は全て祖母と共にあるのだ。

だから雨の日はちょっと辛い。



(●´・ω・`●)ハァー

2005-09-22 20:49:02 | Weblog
行き詰まって自分の感情のコントロールができない。

そんなときは家族にも当たってしまう。

絶対やりたくないのに。

話をしたくても、話す人に暴言をぶつけてしまいそうで怖い。

そういうときは、チャットもできない。

口から出た言葉は取り返しがつかないから。


なんとか自分で解決しないと。

自分のことをなんとかできるのは自分しかいないんだから。


まだここに書けるだけ、私はマシなんだろーな。

美しい世界

2005-09-21 11:43:10 | Weblog
この人の写真が好き。

空気がキンとはりつめていて、透明で、怖いくらいに美しい。
この世の中で、生きているのは自分だけのようなそんな孤独も感じさせる。

同じようにこの風景を見ている人はたくさんいると思うのに、どうしてこの人だけが違う世界を切り取れるんだろう。


私もデジカメでお遊び写真をよく撮るが、ごくごく稀にカメラを通して見た景色が思いがけず美しく見えるときがある。
自分の目で見ているよりも美しい。

いったいどっちが本物なんだろう。

今自分がこの目で見ているものは、本当はもっともっと違う姿をしているんじゃないんだろうか、と思う。


きっとこの人のように美しい写真を撮る人は、違う世界が常に見えているんだろうな。
もしかしたらそっちの方が、本物の姿なのかもしれないけど。

例えば 演劇

2005-09-18 20:07:44 | Weblog
私はお芝居が好きだ。

短大生の頃は、弱小演劇部と一般の吹奏楽団とをかけもちしながら、そして勉強もしながら(高校なみの時間割だった・・・(TmT)アタフタと毎日を過ごしていた。

今思えば、保育の仕事に演技力は必要だと思う。
子供と一緒にファンタジーの世界で遊ぶという保育実践なわけだから、当然演技力は求められる。
他の保育理論においても同じなのではないかなぁ。
「ごっこ遊び」は正に演劇の要素が入っている遊びではないだろうか。

いや、それはいいのだけど。


私が生きてきた中で最も影響を受けた人生の師ともいえる人が、やはり演劇狂で、自分で演技もするのだが、特に前衛演劇が大好きでそのために、富山まで演劇祭に行くほどなのだ。
(知る人ぞ知る、富山・・・)

そして、自分が良いと思っているものを理解できない人は、なんとゆーか・・・「それだけの感性の人間」とみなしてしまうというクセを持っている。
私はかわいがってもらったのだが、前衛演劇だけはどうしても理解できない。
単純だから、起承転結がはっきりして、ストレートで、最後はハッピーエンドになるようなわかりやすい展開が好きなのだ。
人気急上昇の芝居も好き。
ミーハーと言われても、好きなものは好きなのだ。

でもその人はそれをわかってくれない。
「本物の前衛を見てごらん。貴女なら絶対に理解できるはず」

・・・いやあの・・・みたんです。
あなたが好きな芝居。
見た上でダメって思ったんです。

私が前衛を理解できないってことが理解できない。

・・・なんで?

人それぞれ好きなものは違うだろう。
どんなものに惹かれ、どんなものを拒絶するのか、それは十人十色だ。
なぜそれをわかってくれないんだろう。
なぜ自分の色に染め上げようとするんだろう。

いろいろな人を受け入れ、指導していく立場になければならないのに、突如として入り口が狭くなっていく。

その急激な差を見るのがすごく辛い。


私はその人の前で、正直な自分でありたい。
その人の機嫌を取るために、思ってもないことを言うなんて、そんなことは絶対にしたくない。
いつかわかってもらえる時がくるんだろうか。
それとも、今度は私の方がそんなその人を受け入れるしかないのだろうか。


今はまだ、
その人の前で「前衛は苦手です」と言い続けている。


例えば、演劇の場合。


あ~~~

2005-09-18 01:57:15 | Weblog
一日更新できなかった・・・(TmT)。
せっかく今週は頑張ろうと思ったのにぃぃ~~。

ま、いーや。
今日の夜もう一個書けば数はあう(って、何が・・)。

今日は映画を観てきた。
今超話題の「ナナ」。

本当はもうすでに一回見てるのだ。
とても感動して良かったから、娘が「また行こうね」と言っていたのだが、まさか今日行くことになろうとは・・・。
それでも2回目といえども前回と同じように感動し、同じように涙して帰ってきた。

あ~見てよかったねw
と感想も同じ。
ホントに歌える人をキャスティングしてるから嘘っぽさがないのだ。
イメージも、原作のナナとよく合っている。
この分じゃDVDまで買いそうな勢いだw

本編が始まる前にこの先公開予定の映画の予告がいくつか出てくる。
その中でも面白そうな映画を見つけた。
「この胸いっぱいの愛を」という作品。

原作は「黄泉がえり」の著者の本。
逆黄泉がえりって感じかなぁ。
自分の大事な人をそれぞれ失っている人たちが、まだその人たちが生きている時代に戻ってくる。
何のために戻ってきたのか。
最初はわからずとまどう人たちも、だんだん理由がわかってくる。
自分なりに答えを探して見つけ出して、そうしてまた還っていく。
それぞれが還っていく場所は違うけど・・・。

単純かもしれないなー。
設定は面白いけど、登場人物の心のあり方や動きなんかはベタだなぁ・・・。
でもそんな単純な暖かなお話がやっぱり一番いいのかもしれない。

しかもこれ、流れてる音楽が「カヴァレリア・ルスティカーナ」っ
泣かせよーとしてるのかっ。
見え見えなんだよーーーー(TmT)。
そしてきっと絶対、のせられて泣いちゃうんだよーー。
予告見ただけで泣いてるし・・・。
あーぁ。

私には戻りたい時間なんてない。
愛している人は現在にいるし、戻ってやり直すっていったって、その過去があってこその自分だと思うから。
それがなかったら、今の自分はあり得てないし、大切な人とは会えてなかったかもしれない。
存在すらしなかったかもしれない。
だからもう、そのままでいいって思う。

人生戻ってやり直すなんて、そんなのアリ?
自分が歩んでいた道をまた過去から軌道修正するなんて、アリなのー?
そう思いつつも、一生懸命誰かを愛している人たちの姿を見て、やっぱり涙してしまうのだった。

見にいきたいなぁ・・・。

カノン

2005-09-16 10:15:04 | 音楽
なかなか順調に書いている。
この調子でできるだけ毎日書こうーっと。

今「パッヘルベルのカノン」を聴いているのだけど、私が持っているCD、そのカノンを様々にアレンジしたものを入れてある。
すごく有名なあのカノンがちょっとアレンジしただけで また違って新鮮な曲になっている。
聴いていて楽しい。

いいなぁって思うのが金管アンサンブルで演奏しているもの。
金管でカノン???
ちょっと想像つかない。
なんだか音堅そうだし・・・とか思ってたらとんでもない。
すごく豊かでやわらかい。
細かな動きも、木管だと転がるような感じなのだが、金管のこれはふんわりと暖かい。
それでいて力強くて伸びやかだ。
大聖堂に音が広がっていくイメージ。
いいなぁ~~~~w

私は元々木管を吹いていたんだけど、そのときから金管アンサンブルが大好きだった。
フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルなんて、テープが(テープっ!!古)伸びきってしまうくらい聴いた。
そういえばあれ、どこに行ったんだろう。
行方不明・・・


吹奏楽器ってとてもいい。
もちろん楽器は何でも好きだけど、自分の息を吹き込んで音を出すってところが、まるで歌を歌うことにもつながるように、そのまま自分の想いを表現できそうな気がする。
(上手い下手は 当然別として・・・(TmT)

楽器から離れてもうかなりたっているので、今はとても以前のようには吹けない。
でも音楽を聴くのは、以前と変わらず大好きだ。
すっかりご無沙汰になってしまった吹奏楽曲も たまには聴いてみようかなぁ。