Strawberry Sunday♪

楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、日々徒然・・・。

(●´・ω・`●)ハァー

2005-10-31 10:30:03 | Weblog
この一ヶ月近くある目的があって頑張っていたのだが、残念ながら報われず。
仕方ないかー。
自分にとってかなり苦手なことだった。
苦手なことをたった一ヶ月でなんとかしようなんて、土台無理な話。
それに他にも報われない要因はあった。
それはまぁ、わかっていたんだけど。
今勉強したいなあと真面目に思っていただけに、やや落ち込み。
あーぁ・・・。

勉強くらいはなんとでもなるのだ。
でも、私に独学が可能だろうか。
自分1人で理解していくことができるんだろうか。
本当に勉強したいなら金をかけろと言われるかもしれない。
けど、今現在自分にそこまで投資するだけの金銭的余裕は、はっきりって無い。
何千円程度の話ではないのだ。
考えはやっぱり堂々巡り。
1人でやっていくしかないんだろうな。

う~~~~~~

一応、次のチャンスってのがあと一回だけある。
それにも当然賭けてみるけれど。
これは前回よりはるかに狭き門なのだ。
レベル的には低いんだけど。

ぐだぐだ言っていても仕方がない。
落ち込んでても悪いことばかり考えててもほんっとに無駄だ。
行動あるのみ。
何か行動を起こせばなんなりと結果はついてくるだろう。
今までだってそうだったし。


所詮自分1人なのだ。
誰にも頼れない。
1人で何とかするしかないのだ。


思い出したこと

2005-10-28 00:20:11 | Weblog
昨日、ある人と会話していた。
内容は、まあいつも話しているようなことだった。
でも、その内容のおかげでなんだか大事なことを思い出した。

自分にとって人を信じるということが、どういうことだったのかってこと。

自分は相当な覚悟を持っていたはずだ。
この道に進もうと思ったとき、まだ私は23だった。
まわりは「本当にいいの?」「後悔しないの?」とその言葉しか言わなかった。
でもそのとき、決めたのだ。
大丈夫だと思ったから決意したんではあるけれど、もし予想と違い、とんでもないことになったとしても、その結果込みで選択をしたのだ。
誰のせいにもできないし、しない。
絶対に。
全てを受け入れよう、と、そう思って決めた。

本当に信頼することって、それだけの覚悟がいることなんだ。
だからうかつにほいほい誰でも信じるってわけにはいかない。
私にとって。

『中途半端な信頼はかならず相手に何かを求め、その通りにならなかったとき、裏切りだの背信だのと騒ぎ立てる。信じるということは責任転嫁ではない、思い通りにならなくても黙ってうけとめられる捨て身の覚悟だ』

この言葉に出逢ったとき、頭を殴られたようだった。
そして、法然と親鸞の関係を話してもらったときもそうだった。
私はこういう形で、人を信頼していこうと決めてたのだ。


忘れてた・・・。


この考え方が、他者にどう思われるかはわからない。
でも別にそんなことはどうでもいい。
これがあったから、今の私がいるんだから。

やっぱり人との関わりって大事だな。
ふとしたことから気づかされることがたくさんある。
身動きとれないくらいに辛いこともあるけれど、きっとそれも何かを教えてくれているんだろうな。


思い出せてよかった。







落ち込む

2005-10-26 10:13:47 | Weblog
あ~~
ここは愚痴専用か?(;-_-) =3 フゥ

人の助言が素直に耳に入らない。
聞いても「だって~だし」とか「そんなこと言っても・・・」とか否定形の文ばかりが頭に浮かぶ。
これは私が一番嫌っていたことなのに。

勤めていた頃、周りはそんな人が多かった。
講師のアドバイス、指導、その場では「ハイ」と聞いていても、研修が終わるととたんに「そんなこと言ってもできるわけないやん」「現場は理想とは違うんよね」とかいう言葉の連発。
何故その場で言わない?
そう思うなら講師の前で堂々と言えばいーんだよ。
それになんでやってみもしないでそんなこと言うんだ?
と、私は腹が立って仕方がなかった。
講師からの指導は、とにかくやってみる。
そうしてこそ結果がでるものじゃないか。
と思っていたのだ。

でも、今自分が考えてることは、その当時の外野と同じことだ。
やってみもしないで出来なかったときのことを考えている。
同僚に怒る資格なんてないよなぁ。


いや、落ち込む理由はこれじゃない。
これもあるけど本当は違うんだよなー。
その理由ははっきりわかっている。
わかっているからこそ余計にイライラする。
その原因がわかっていても、どうすることもできないから イライラするのだ。
どうすることもできない原因なんて、あるんだなー。
解決の糸口が、全くない悩みもあるんだなー。

先日見たテレビで子供の「トラウマプレイ」という言葉が出てきた。
これは衝撃的な場面を目撃した子供が、自分の心の傷を癒すためにわざと見たとおりの衝撃的な絵や、残酷な絵を描くこと。
言葉で感情を表すことが難しい子供ならではの行動だそうだ。

これって大人にもあてはまりそう。
言葉で表現できない問題を抱えたとき、こうやって意味不明なことを書き散らすことでちょっとスッキリする。
これも「トラウマプレイ」に近い物があるのかもしれないな。

どういうこと?

2005-10-19 11:54:46 | Weblog
素直な人ってうらやましい。

自分が特別意地っぱりだとは思わないけど。

でも意地はってないといけない場合もあるのだ。
この線だけは踏み外せないとか、こういうことだけは言うもんかとか。
この感情だけはどんなことがあっても表には出さないぞとか。
だから、その点に関して何か言われるとすぐさま否定してしまう。
「そんなことないよ~w」と。

それで今まで生きてこられたし、またそうやって生きていかないといけない。

それでいいんだけど。

時々、すごく素直に自分の感情や考えを表現している人を見て、なんだかうらやましくなってくる。

基本的に人に甘えることができない性格がうらめしくもあるのだ。


甘えるってどういう感じ?
私は母にも甘えたことがない。
だから甘え方がわからない。

いつ、どこで、どんなふうにそういう感情を出したらいいのか。
いや、もしかして自分で気づかずに出しているのかもしれない。
その判断すらつかないのだ。

情緒欠陥人間かもー。

まぁそれをごまかして人とつきあう癖もすでに身につけてはいるけれど。

ひとまず終わり

2005-10-18 00:00:53 | Weblog
でもないのだが。
終わりじゃなくてこれからが始まりだなぁー。

ホントに本気で目一杯頑張ったかと問われると、きっぱり肯定できない。
サボっちゃったり、違うことしてたり色々やってたから。

だからまぁ仕方ないと言えば仕方ないのだけど、それでもこれで終わるわけにはいかない。
ここで終わったら今までのことが、それこそ無駄になってしまうから。
まだまだ頭の中に存在しているうちに、持続していこう。

ところで、しばらくpcに向かって集中していたわけだが、昨日まではどんなに夜遅くなっても全然眠くならないし、昼間もそれなりに家事やってるし、さすが睡眠時間が少なくても生きている私だよっと変な自信を持っていたけれど。

今日の夕方に書店に立ち寄り、棚の前に立った瞬間、朦朧とした。

ヒ~~~

立ってるのが辛くて、吐き気までしてくるのだ。

・・・もしかして、私疲れてた?

なんかそのとき初めて自覚したかも。
そういいつつこんな時間までまたもやpcやってるんだから始末におえないが。

(今日はね、純粋に楽しみの為にやってるので、ストレスはないw)

本当に、慣れないことって負担が大きい。
今までいかに自分が学ぶということをやってきてなかったのかが伺われる。
頭もビックリしてるんじゃないだろーか。
(T▽T)アハハ


それで、夕方はその辺をブラブラ・・・。
嬉しいことに素晴らしい夕焼けだった。
またそれにエネルギーをもらって頑張るかーw


最近は、あまり悲観的なことも考えないようにしている。
人はみーんな悩みを持っているものだし。
私だけが辛いわけでもない。
悩んで落ち込んで沈んでしまっても、何の解決にもならない。
それでもなんだか地盤沈下のように沈みつつあったのだが、意識的に前を見るようにしている。
そうしたら、不思議と気持ちも明るくなってくるから。

何が起こっても、動じないように、穏やかでいられるように、意識して前向きに生きていきたいものだ。

(ってずーっと前から言ってるんだけどねぇ・・・)

ただのお話

2005-10-15 21:38:58 | Weblog
私の一番昔の記憶と言えば、乳母車(古っ)に寝かされて、横で起きあがりこぼしのようなプラスティックの人形が揺れているシーン。

正直、生後何ヶ月か?というような記憶じゃないかと思う。
あまりにも嘘くさいが。
でもあの人形が揺れていて、私はなぜかそれが怖くて、揺れるたびに泣いていたのを覚えている。

その次に覚えているのが、誰かにおんぶされてあやされているところ。

神社のほこらの前で、わんわん泣く私をおぶってずーっと散歩している誰かの背中。
誰なのかはっきりとした記憶はないけれど、母ではなかった。
そして、物心つくころに同居してた母方の祖母でもなかった。

きっとそれは一歳半まで私を育ててくれた、父方の祖母の背中だったのかもしれない。

当時すんでたらしい家の前には、お地蔵様をお奉りしてある小さな神社(っていうのかな・・・)があった。
よく夜泣きをしていた私を、夜中におんぶしてそこにつれていって、歌を歌ってあやしていたのは 祖母だった。
母は仕事を持っていたから。

そのせいだろうか。
私と母との間には、何か冷めた溝のようなものがある。
自分の気持ちを母にぶつけたこともない。
母から私への気持ちを率直に聞いたこともない。
私と母が真剣に話すのは、保育に関してと、弟や妹に関しての話題のみだった。

なんで私は保育を選んだんだろう。

気持ちが遠く離れていた母と、少しでも近づきたかったからなのか。
同じ仕事を選べば、少しでも近づけると思ったからなんだろうか。
そして、母も同じ気持ちだったのかもしれない。
私には、常に常に自分の仕事のことを話していたから。
どんなに素晴らしい職業か。
どんなに、師と仰ぐ人が凄い人か。
自分が今まで生きてきた道を、自分の娘に理解して欲しかったのかもしれない。

それを聞きながら、私は次第に保育士という仕事に対して憧れを持つようになった。

結局。
私は母と同じ道を歩きたかっただけなのかもしれない。

最近自分が何に一番興味を持っているのかすら わからなくなってきている。

バカみたいだ。
最終的には親なんだ。
親が最大、そして最悪の影響力を持っている。

この年になってさえ、まだこの体たらく。
怖い。


あー書いちゃった。
しかも脈絡もない話・・・。
なんか、私の一番のトラウマは、実の母なのかもしれないなぁ。
書くことで、ちょっとずつ楽になっているような気もするのだ。

次へ

2005-10-12 03:28:19 | Weblog
野心というものにしばらくご無沙汰だった。

向上心がないというか、いい加減というか、やる気がないというか。
こんな性格の私・・・。

「この程度でいいや、どうせできないんだし」と最初思っていたのだが、それでもちょっと頑張ってある程度理解が進むと、もう「この程度」ではイヤになっていた。
もっと上に行きたい。
もっと理解したい。
そういう気持ちが生じたことに 自分でも驚いている。


独学でもなんとかなるかもしれない。
でもどっちかというと苦手な分野。
更に加えて理解の遅い私には、指導者が絶対に必要なのだ。
だからこの機会は逃したくない。

実際は逃す可能性の方が高いのだが。(訳ありで・・・)

でも、もし逃したからと言って、それが何だというんだろう。
今まで自分がやってきたことは無駄じゃない。
ここまでできたのなら、次に向かうことだって出来るはずだ。


問題は、やるかやらないか。
ただそれだけなのだ。

車の中で

2005-10-10 05:38:59 | Weblog
私は車を運転するのが苦手。
できるならしないで助手席に座りたいくらいだ。

でもそれなのに、私と娘が何か大事な話をするときはいつも車の中なのだ。

映画を見に行った帰りはいつも、30分程の帰り道、感想を話したり意味がわからなかったというところを説明したり、そういう話がいろいろつながって学校での話になったりする。

昨日もそうだった。

どんなにいいクラスと言えども、やはり敬遠されてる子はいるらしい。
他の子からよく「☆☆(娘)ちゃんは○○ちゃんのこと、好き?」とか聞かれるという
娘曰く、「優しいんだけど乱暴」な女の子だそうだ。
(どうも口調がキツイとか、ずけずけ物を言うとかいうことのようだ)

「あなたはキライなの?」と私が聞くと、
「別にー・・・。私にはそんな乱暴な面は見せないし、優しいもん。キライになる理由がない」

「それにねー、人の言うことだけで その人を決めつけて悪口言ったりしたら、そういうことって周りまわって自分のところに倍になって返ってくるんよね」と、娘。

思わず転校直前のお友達とのトラブルが頭に浮かんだ。

よっぽどあれがこたえたらしい。
あれ以来、お友達に対しての姿勢に彼女なりの考え方というか、信念が感じられる。
(たかだか小六の信念だが・・・)

そういうことを考えるようになったんだ。
私でもふと自分を省みるような子供の言動に、ちょっと驚いてしまった。
最近、そんなことが結構よくある。


車の中。
そういう特殊な場だからこそ、いろんな話ができるのかもしれない。

娘は これからますます難しい年齢になっていく。
親に秘密もできるだろうし、普段の会話が今までのように進むとは限らない。
そんなとき、今後も車の中がそれらの助けになってくれるだろう。
お互いに面と向かってもいいけれど、時には同じ方向を見ながら、前に進みながらいろんな話をしていきたいと思う。


あーやっぱり苦手だなんて言ってられないなぁー。

疲労が過労だが 復活

2005-10-03 01:40:09 | Weblog
さすがに疲れてきた。

思うところあって、パソコンの勉強をやっているのだが、何しろ今までが我流。
自分の興味あることはやれても、それ以外の操作は全くやったことがない。

そんな私が真面目に一からやってみようと思ったのだから、ハードな展開になるのは目に見えていた。

ひたすら画面と教本をにらめっこの日々がすでに数日。
さすがにキツイ。
始めたら他のことにも目がいかず、(というか、余裕がない・・・)放置しっぱななしの場所もでてきている。
(●´・ω・`●)ハァー

これじゃいけないなーと思うのだが。
しかもショックなことは立て続けに起きるもので、こんな疲労困憊した体っつーか精神にムチ打つなよーーーっと実際泣き言を言いたい気持ちは大なのだ。

もしかして自分が呼んでるのかなぁ。
沈んだ心はきっと良いことは呼ばないだろう。

これまでいっぱい乗り切ってきたじゃないか。
今回もがんばろーぜっ!!
何を媒体にしてもいい。
気持ちが上を向くように、自分で切り換えていかなければ。

いつもいつも思っていた。
山のような人間になりたいと。
何が起こっても動じない、強い人間になりたいと。
その練習中だと思えばいいじゃないか。

きっと人生は死ぬまで何かの練習中なんだ。


ちょっと前向きなこと書いたら気分も晴れてきた。

さぁ 明日もまたやるぞ~!!