Strawberry Sunday♪

楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、日々徒然・・・。

引っ越し

2005-03-22 19:51:18 | Weblog
発表会が終わってからとても速かった。
月末に引っ越しを予定しているので、その準備も終わってから始めたのだが遅々として進まない。
置いていくものと持っていくものを選びながら箱詰めするせいもあるのだろうが、荷物が多すぎなのだ。

週に2日のゴミ出しの日には周りの人が呆れるほど大量のゴミ袋が並ぶ。
あ~~はずかしーー。
これほどの不要品のなかで生活してたわけーー??
なんて無駄の多いことだったんだろう。

とにかくこんなことでもないと家の中が片づかないから、と思って思い切って捨てたり人にあげたりしている。
まったく引っ越しってのは自分自身の再発見だわ~とつくづく思う。
なんだコレー!?と我ながらびっくりするよーなものが結構でてくるのだ。
面白いよなぁw

とそういうものを眺めてても仕事は進まないのだ。
(●´・ω・`●)ハァー
あと少しで出発。
さぁがんばろーっと。

発表会終わる!・3

2005-03-16 19:34:01 | 保育 教育 
一応成功は成功だったのだが、たくさんの課題も見えた。
でも、課題が見えないとそこで止まってしまうよね。課題が見えないと意味がないと思う。
だからそういう点でも成功だったんじゃないのかな。
次につなげていかないとね。

私は自分の出番が終わった後も、3歳児、4歳児、5歳児の裏方をやらせてもらい、結局最後まで舞台裏にいることができた。
残った子どもも少なかったし、やっぱり裏は人手が足りないのだ。
発表会に参加するのももう最後だろう。
今後はいつこっちに帰ってこれるかもわからない。
たかだかパート職員の私に担当の子を持たせてくれ、発表会では大事な役を与えてくれ、当日は裏方で子ども達の様子を見られるようになんとか考えてくれた園長や他の職員のみんなに本当に感謝している。
おかげで私は立場などまったく気にせず、正規職員と同じように最後まで仕事をすることができた。「どーせパートだから」なんていう卑屈な気持ちは微塵も持たなかった。
周りに助けられ、育てられた一年だったと思う。
それだけ求められるものがあるってことなのだが、背負えないなんて弱音を吐かずに応えていかないといけないと思う。

今度は私と交代みたいになったが、義姉が保育現場に復帰することになった。
義姉と私とで守らないといけないものがある。
本当なら姉妹力を合わせて一緒にこの保育を学んでいきたかったんだけど、それは仕方ない。
私はちょっとこの場を離れることになってしまったけど、何らかの形で勉強していきたいと思っている。

やっぱり現場はいいなぁ。
たとえどんなにキツイことがあっても、一歩家を出て園内に入ればその瞬間こどものことだけだ。
それは不思議なくらい切り替えられる。
思い出しもしないんだから。(娘のことすら・・ハハハ)
現に今ちょっと悩んでることがあって気持ちが沈んでいたんだけど発表会のことについて書き出したらだんだん気持ちが落ち着いて、元気がでてきたのだ。
子どもの世界ってそういう力を持っている。
現場で仕事できる人達に言いたいな。
今の現状をホントにラッキーだと思って精一杯子ども達と関わってほしい。
勉強できる時間は、限られているんだから・・・。

発表会終わる!・2

2005-03-16 11:50:23 | 保育 教育 
ぱんださんが登場した後。
挨拶がわりに流行ってるのが「タッチ」。両手でポンとタッチするのだ。何でこういうのが好きなのかわからないけど我先にとやってくる。
「みんなの声がコロコロ山まで聞こえたよーw」と挨拶してそれから何するか悩んだ末に決まった、手つなぎの集団遊びに入る。
これも悩むのだが、一歳児の遊びが毎年決まらない。両足ピョンピョンっていうのが一番の発達課題なのだが(運動面での)そればっかりやるわけにもいかないし・・・。
だいたい手をつないで輪になっての遊びは2歳児の発達段階なのだ。でももう一歳児後期に入っているからそれを見せることはできる。
今年はそれをとても楽しんで遊ぶことができたので良かったが、遊びこんでないとすぐ表情に出るから安易に決められないのだ。
毎日無理矢理面白くもないのにやらされてると、当日まず手をつながない。輪にならない。これで担任が青くなってパニックに陥る。当日だからね~そんなものなのだ。いつもはやってたのに・・・も言い訳にしかならない。いつもは「やらされてた」ってことなのだ。それが露見するからなぁ 本番は。まったく厳しい。

幸いにして私のクラスは今それが面白くなってきたまっただ中だったので15人がホントに自然に手をつなぎ、一つの輪になることができた。
反対にいつもはつながず手を隠したりする子もいたりしてたのだ。
でもそういう場合はきっちりとした態度をこっちは取る。手をつなぐってことがルールなのだ。
それをしたくない子は入れない。それはほったらかしとは違うのだ。どんなに幼くても集団の中で生活している以上、ルールというものがある。(あ、0歳は別だよ)それをわざと守らない子に対して あ、どうしようこの子入らないとかオロオロして、ね、おいでよ面白いよーーなどとちやほやはしない。わかってやってるんだから。そうやってかまってもらいたいだけなのだ。意固地になってるわけ。そういうクセをつけるとホントに後々かわいそうなのはその子だから。
自分で気持ちを切り替えることができないとダメなのだ。
来たかったら自分で入って来なさい、と。
そのうちじわーーっと傍によってくるんだから。(まず間違いなく)
そうしたら「○○ちゃん、入れて は?」と促すと「入れて」と言い、他の子が「いいよ」で無事丸くおさまる。
呆れるほどその繰り返しがあってその結果の本番なのだ。だから本番でスムーズに遊べるってことは、今までの私たちの関わり方が間違ってなかったってことにもつながる。

なんかちょっとそれましたが、とにかく「ひらいたひらいた」って遊びをやって(ばっちりできたw)次はお話・・・・

お話する場所ってのが、舞台の中央。しかも子ども達の顔がお客さんに見えるように座らないといけない。これはお話する側にとってはかなり苛酷な状況だ・・・(T‐T)
当然親の顔が見えるわけだからねー また親も「○○ちゃーん」とか言ってカメラ構えるし・・・(^_^;)\(・_・) オイオイ
「さぁぱんださんの前にあーつまれwおもしろいお話があるんだよ~」となんとか座らせる。
リハのときよりはすんなりお話を聞く体勢になったけど、体はこっち向いてても顔は客席にむいてるんだもん。
(●´・ω・`●)ハァー
けどそれでこそ闘志がわくというもの。これをこっちにひきつけてやる。ってかそれができないとホントにプロじゃないじゃん。なんのために金もらってんだってことになる。
この大勢の人数の中、こどもってのはホントに集中することができる。その集中力をつけるために一年間やってきたんだから。それを見せないと無意味だ。
一人二人と顔がこっちに向いてくる。
それから笑顔もでてくる。
お話に対して反応がでる。
そのうち全員が私の顔を見て話を聞いた。\(^∀^)/やった!
こうなったらこっちのもの。これが醍醐味なんだよねぇ~~~だからやめられないのだ。

一歳児の集中・・・おかーさんがた見ましたか??
たかだか一歳。でも、大人でも緊張してしまうほどお客さんの多い中、お話を楽しんで聞くことができるすごい力を持ってるんです。そんな力が一歳児の中にあることをどれだけの親御さんたちがわかっているだろう。あぁ~~もったいない。
もちろんカンペキとは言えない。まだまだなのだが。
これからさきは保育士の話術、演技力の問題。もっともっと子どもをその気にさせるために保育士自身もいろんな訓練が必要なのだ。
課題ですね。

お話が終わったあとは「ぱんださんね、みんなにお土産持ってきたんだよ。持ってくるから待ってね」と中央の舞台装置(チューリップのお花畑の造形物)を指し、そこで子ども達を待たせてからお土産を持ってくる。
そこでしっかり待てるかどうか。これも重要ポイントのひとつ。
しっかり待つ。待った後にたくさん遊ぶ。このメリハリがけじめのある子どもを育てるのだ。
待てるようになるまでにはやっぱり結構な時間がかかってるものだ。
お土産、今年はミニカー。
待ってる子ども達の前に一台ずつびゅう~~~んと押し出してやる。
(本番用の新品ミニカーなのだw)
そして大喜びの子ども達はミニカーに乗って舞台を走り回った後、「ぱんださんと一緒に向こうの広場に遊びに行こう!!」との言葉かけで退場するのだ。

登場してから退場するまでずーっと一歳児にとって大事な発達ポイントが押さえられている。
これが私たちのやっている保育だ。
これらを一年間の遊びとしてしっかりやれていれば、最高なんだけど・・・。




発表会終わる!

2005-03-16 08:57:31 | 保育 教育 
先週の土曜日、発表会が終わった。(・ε・`;)ノフゥー
とにかく一年間の集大成なので全職員がほんっとにそれに向かっていた。でも子どもにプレッシャーかけられないので気持ちと裏腹にのんびりと活動しなければならない。発表会前一週間ってのは結構アンバランスなのだ。ハハハ・・・

さて当日。
0歳児がまぁ顔見せ程度に舞台に出た後、いよいよ出番。
一歳児はそれぞれが小さな虫さんや、小動物になって遊ぶ。先に保育士(大きいウサギさん)が舞台に出て「テントウムシさーん、リスさーん、カエルさーん、トントン山の広場で遊ぼう!」と呼ぶ。すると裏で待っていた子ども達が「ハーイ」とわらわら出てくるのだ。
とたんに固まる子ども達。
無理無いよなぁ、だって目の前にはズラリとお客さんがいるんだもん。
それに圧倒されて泣く子。親を見つけて泣く子。だいたい一番懸念されるのがそれだ。
でも今回は泣く子は一人もいなかった。第一関門突破w
まず一歳児は泣かずに遊べるってことがポイントなのだ。
その後の遊びが難しい。だってやっぱり気になるもんね、お客さんの存在。普段の遊びの時にはいないんだから。
手遊びから走りっこ(テントウムシさんになって走ろう)、手遊びから両足ピョンピョン(カエルさんになってピョンピョンしよう)と何回か繰り返して一歳児の身体的発達を見せる。これだけ体の機能が発達してますよってことを親にしっかり見てもらうのだ。
その後が問題の集中力・・・。

「あれ?ぱんださん来てないね どうしたのかな?呼んでみようか」との言葉かけで、子ども達が一斉にぱんださん(私ねw)を呼ぶのだ。
これも内面の成長を見せる遊びの一つで、一歳児には重要なことなのだ。大きな声を出せるということは心が開かれているってことで、のびのびとおおらかな保育活動ができていたかいなかったかの証明になる。
そしてぱんださんがオーイと返事をする。そのときに「あ、聞こえた」と集中。ここも大事。
ぱんださんの返事を聞いてまたその声に対して「オーイ」と呼ぶ。この掛け合いでぱんださんへの期待感を高めていくのだ。毎年思うけどぱんださんが出てくるタイミングが難しい。できるだけ子ども達が全員声を出して呼んだあとに登場したいのだが、幕裏にいる私にはその判断がとても難しいのだ。とにかく上手、下手、中央を走りまわって移動してあちこちから返事をする。
頃合いをみて「オハヨーーーー」と登場。
ここで今までしっかりぱんださんとして子ども達と遊べていたら、子ども達がわぁーーっと寄ってくるのだ。ここもポイントね・・・(ポイントだらけじゃん)

だいたいすんなりとはいかない。
保育士自身も緊張しているので全員把握するのがちょっと困難なのだ。
舞台と客席が続いているので(ゴザを敷いただけだからね)普通にトコトコと親の方に歩いていきヘヘッと笑って手を振ったりする子もいる。でも帰ってきてまた遊びに入ったから良かったがw
と思うと突然園長が子どもを抱きかかえて舞台に戻ってきたりする。親のところにいつのまにか行っていたのだ・・・。
そんなのを後から気づいて(●´・ω・`●)ハァーと内心溜息をついていたりするのだ。
顔は笑ってますが・・・。

さてぱんださんが登場した後はいよいよお話だっ。
長いので一旦切ります。

最近・・・

2005-03-14 21:38:47 | Weblog
なんかちょっと、最近書けない。
書きたいことはたくさんあるし、書かないとって思ってはいる。
でもなかなか言葉にならない。

そういうときもあるんだろーな。

ぼちぼちいきますか・・・。


発表会迫る!

2005-03-10 19:22:08 | 保育 教育 
発表会まであと1日。
とてもそうは思えないほどのーんびりとした遊びが展開されているこの一週間。
でも本番の前一週間はそういう時期なのだ。お天気の良い日はお外遊び、悪い日はお部屋で楽しく、のんびり遊ぶ。
そうやってじっくりと充電をするのだ。
決して発表会でする遊びはやらない。そして「もうすぐ発表会だねw 頑張ろう!」などという言葉かけは、未満児にはしない。上のクラスの子たちには、カレンダーを作って毎日×をつけていく程度は言うけれど。
でないと子どもって敏感だから大人の思いに応えようと必死になる。必死になってそのプレッシャーに負けてしまう子もいるのだ。
でも、どんなにハッパかけても日頃やってきたことしか本番では出ないからなぁ。
今更ジタバタしても同じことなのだ。

今日は舞台装置やその他の物をホールに搬入した。
0歳から順番に始まるので、搬入は最後の5歳児のものからやる。
カーテンで仕切られた舞台裏に順番に道具を並べる。
その時ハタと気が付いたのだが、私は3歳児の出番の時に裏方をやるのだ。
ぜーんぜん打ち合わせやってないっ(滝汗)
搬入してしまったら、もう動かせませんよねぇっとあわてて担任の先生に聞いたら、「じゃ今からやろう」と急遽私のためにリハの時間を作ってくれた。

まず一番最初。
三歳児には保育士作のでーーーっかい「お星様」と呼ばれる造形物が登場する。
それを舞台に出すのが最初の私の役目だ。「星の精」って名前がついている。
どうやって出すか。私の背くらいでっかいが、キャスターがついてて片手でも割とすんなり動くようにはできている。
星出しの曲はまたそれなりに宇宙的でキレイなのだ。それに合わせてすーーーーっと動かす。
とたんに周りからいろいろな文句・・・いやもといアドバイスが飛ぶw
自分がやることには甘いが、人のやることには厳しいのがこの園のいいところw(T▽T)アハハ
だからとっても勉強になるのだ。お互いに。
あーでもないこーでもないとワイワイガヤガヤ・・・・。
「あ、星をクルクルまわしてその間にaki先生も一緒に回ればいいじゃない?」
「そうそうコンセプトはバレリーナだ」
・・・・コンセプトは宇宙でしょーがっっ
「ハーイ」と素直に聞きながら何度も繰り返す。
でも、これが大事なのだ。何度も動かして試す。一番いいパターンを探すのだ。もちろん主役はその後登場する子ども達。でも子ども達は宇宙の世界で遊んでいる。舞台をその雰囲気にするためにはまず客席の保護者の方々を宇宙に引き込んでいかなければならない。
悪く言えばいかにだませるか・・・・だね。
なんだかんだでそれは無事まとまり、終了。後は裏方のみなので、それは三歳の担任をやったことがある私にはそう難しいことじゃない。

当日は、自分が担任している年齢の発表が終わるとあとは子どもを見ながら、裏方の役についている年齢の番がくると舞台へ・・・という感じだ。
そうやって全職員が入れ替わり立ち替わりお互い協力しながら発表会を作っていく。

毎年思うが、この発表会で本当に職員の心が一つになるのだ。
正規の職員も、臨時の職員も、パートの職員も関係なく、みんなで大成功させようと頑張っている。
そして何のわけへだてもなく仕事を分担する。
細かい事を言ったら、給料が違うんだから仕事も違っていいはずだ。でもみんな一緒。
そして誰一人、それに文句を言う職員はいないのだ。
スゴイ職場だと思う。
みんな、こどもが一番。
何よりも誰よりも、こどものことが最優先だからなんだ。
理想のままに動いている集団・・・嘘みたいだが、こういうところもあるんだよね。
子ども達の中にいて子ども達を成長させながら、実は大人が成長していっている職場だと思う。

私も今年が最後になる。
もうしばらく現場には戻れない。
後悔のないよう子ども達とすごしていきたい。


今日はお散歩

2005-03-09 20:03:16 | 保育 教育 
今日はとっても良いお天気だった。
ジャンパー無しでも外で遊べるんだから。当然園でも朝から身軽にお外遊びw
おやつの後、久々に園外へお散歩に行った。

お散歩っていっても一歳児だ。
ほんとにその辺。大人が普通にてくてく歩いて何分くらいだろ。でも子ども達にとってはまるで遠いどこかの広場へ冒険にいくような感じなのだ。
またそれくらい時間かかる(涙)。

「先に帽子、かぶろうねw」
とたんに「ちょーだい」コール。「ちょーだい」「ちょーだい」「○○ちゃんのもちょーだいっっ」
・・・今まであげなかったことがありましたか?
と言いたくなるほど我先なのだ。(しかたない。これも一歳児の特徴・・・)
んでやっとのことで帽子を配り、次は靴。
またこれが途方もないくらい時間かかる。月齢の高い子などはテキパキと自分で履いて駆け出している。問題は、最初からやってもらおうと、ボーッと待っている子たちなのだ。
3人担任なので、一人はすでに靴を履いた子達を把握するために即外へ。あとの二人はできるだけ自分で靴を履けるよう、子ども達のフォローへ。
そりゃ月齢によって発達の差があるんだからさ、カンペキに履けとは言わない。言わないけど、せめて靴の中に足を入れようとする気持ちくらいあってもいーだろっ。
もう、すごいテンションで褒めて褒めて褒めまくるのだ。そして応援・・・。
時には「もうっ 先に行くからねっっ」と強く言うこともある。

かくして園外に出かける前にすでに半分以上の気力を使っている・・・。
けれどそこからがまた恐ろしい。いくら保育園の近くといえども、車は来る。
お友達と手をつなぐのにまた多大な時間が・・・。一歳児だからまだすんなり手を繋ぐだろうと思うだろう。ところがどっこい、反抗期前期に入っている子ども達、あの子はイヤだの、一人で行くだのそりゃもうわがままほーだいなのだ。
でも危険につながるし、手をつなぐということ自体が発達の一つなのでここはまぁいいか、ではすまされない。とにかくお友達とお手手をつながないと行けないんだよ、ともう気が遠くなるくらい何度も言い続けてきたことを再び繰り返し、なんとか2人ずつのペアにするのだ。
それもできるだけ月齢の高い子と低い子の組み合わせになるようにする。でないとペースが極端に変わってくるからだ。それだけこの年齢は発達の違いが顕著だからでもあるんだけど。

さて出発。
あっちふらふらこっちふらふら・・・
「端っこ歩こうねー」「○○ちゃん、こっちだよ」「車来てるよ ストップ」・・・
私としては「あ、かわいいお花があったよ」とか「虫さんいるかな?」とかそういう会話をして自然とのふれあいをしたいのに、出てくる言葉は注意事項ばかり。
油断してたらまったく逆方向にてくてく行ってたりするんだから。(前見てるぅ~??(T‐T)
いつ何時でも、まるで夢の中で生活しているんじゃないの?と疑いたくなるような年齢・・・それが一歳児といえるのかもしれない。

ようやく目的地へ着く。
やっと、やっと念願の「わ~テントウムシさんいるよw」「たんぽぽさん(綿毛)フゥーってしてみようか」とかいう言葉かけができるのだ。(道中言わないことはないけどねw)
一歳児が草っぱらで思い思いに遊ぶ姿はとってもカワイイ。
園庭では見ない草花を見て喜んで摘んだり、テントウムシさんを探したり、ときには近所の人からミカンをいただいて その場で座ってみんなで食べたり・・・。
だから道中どんなに大変でも、園外につれていってあげたいなぁと思うのだ。
それに4月からは上のクラスに上がる。
2歳児は今とは比べ物にならないくらいの活動量だ。それまでに少しでも歩く力、走る力、体力をつけてあげないといけない。それにはこういうお散歩がもってこいなのだ。

たくさん遊んだあと、近くの畑に立っているカカシさんに挨拶をする。
このカカシ、見るたびにAちゃんは「ママ!」と言い、Hちゃんは「パパ!」と言う。
だから他の子達も帰るとき、「Aちゃんのママ、バイバーイ」とか「Hちゃんのパパ、バイバーイ!」とか言って帰るのだ(爆)。
(AちゃんのママやHちゃんのパパって・・・・こんな格好いつもしてるのか・・・?(苦笑)
段ボールにへのへのもへじの顔、古着を着たカカシさんはすっかりみんなのお友達になっている。

帰りの話題は当然「給食」。
疲れてお腹がすいた子ども達は、「給食」の話題につられてなんとか園まで帰りつくのだった。





発表会

2005-03-05 21:01:17 | 保育 教育 
今日は去年勤めていた職場の発表会だった。
今のところも同じ系列で同じ保育内容。というわけで(担任してた子もいることだし)朝から見に行ってきた。

発表会が一年の集大成になるわけだが、終わってみるとたくさんの問題点や反省点が出てくる。
当たり前って言えばそうなんだけど、保育実践の難しさや、理念や思想をしっかり理解できていなかったことなど結構な問題点がでてくるのだ。

1歳児~5歳児まで見ていて私もいくつか気づいたことがあった。
現場を離れても保育の勉強をしていたこともあるかもしれないが、この年になってやっと少しは保育が見えてきたかなって思う。

保育研修の時に講師助手として指導して下さる先生が後から来られ、「どうだった?」と聞かれたので感じたままを話した。
すると、「自分たちがこれからより良くなっていくためには、こういう外から見た第三者の意見を聞かないとねぇ」と、その後の反省会にも参加するよう言われた。
確かに当人達はもう緊張と興奮で舞い上がっているので、その時のことはよく見えていないのが現状なのだ。
なぜなら保育士も傍観せずに子どもの中に入って動くから。
確かに第三者的な目は必要だと思う。(自分も経験アリ)

私は娘が家に一人でいることもあり、そういってくださるのは嬉しいけど失礼しようかなと思っていた。
すると先生の言葉。
「物を言うということは大事なこと。なぜかというと言うことでその言葉に責任が生まれるから。自分の言葉に責任を持って意見を述べるということは、自分を成長させる大事な要素ですよ。誰でもイヤなことは言いたくない。でもそれでは貴女自身も成長しないし、他の人も問題点に気が付くことができない。」
「それに、仲間でしょう。どこに勤めようと、どこに行こうと共にこの保育を学びあう仲間には変わりはない。みんなで高めあっていきましょう。」

確かに。

意見を言うってことはコワイことでもある。
ましてやみんな恐ろしいほど真剣にこの保育を学んでいる。
そんな人達(ってか私も仲間だけどさぁ)に対して自分のつたない意見を言うってことは、すごいプレッシャーと責任を感じるのだ。
いい加減なことは言えない。またその意見が間違っているかもしれない。
けれど。
これが私たちのあり方なのだ。
そう思って反省会に参加した。

いろいろ話しながら思った。
話すということは理解しているということにも繋がる。
問題点が見えるってことは、何が正しいかが見えるってことだ。

あ、ここまではわかってたんだ、私。
この思想は理解できていたんだ、私。

いつまでも、全く分かってないと思っていたが、多少は目が開いてきている・・・?

この発見は嬉しかった。
理論がわかるってことと実践ができるってことはまた別だが。
実践はやっぱり経験がものを言うので。

初めてこういうことに参加したが、新しい気づきや反省があった。
そして私のつたない意見をみんな真剣にしっかりと聞いてくれた。
私よりずっと経験年数も長い人ばかりなのに・・・。
そして前向きに、子ども達のために試行錯誤を重ねながら保育を学んでいこうとしているのだ。

こんな仲間たちの中で私は保育を学んでいる。
とても嬉しい。





続きじゃないけど

2005-03-03 21:47:11 | 保育 教育 
「変身ごっこ」の続きを、と思ったのだがちょっとワケありでストップ。
下書きは書いてるのでオッケーが出たらアップできるかなぁ・・・。
(イヤー色々と複雑で・・・ハハハ。こんなブログ、そんなに沢山の人が見てるわけじゃないと思うんだけどねぇ・・・)

というわけで、今日のこと。
今日は3月生まれのお友達の「お誕生会」だった。
保育園の中でも一番末っ子w
保育士泣かせ(?)の幼くてカワイイ子たちの、やっと来たお誕生会だったのだw
一歳児からは2人。
男の子と女の子。
やっぱりこの年齢は月齢の差ってのがかなり大きく、4月生まれの子と3月生まれの子とでは約1年違うわけだからそれこそスゴイ差がある。
だって新年度当初はまだ歩けなかったんだから。その二人。

それが今日、みんなの前に立ち、「お名前は?」の質問に泣かずにしっかり答え、嬉しそうにニコニコしていた。
もう感涙っ。
なーんだそんなこと、と思う無かれ。
一歳児にとって公衆の面前で泣かずに何か話せるってことは、すごいことなんだから。
そこまで自立してない子は、人前ってだけで萎縮しメソメソしてしまう。
ましてや自分の名前や年を言うなんてもってのほかだ。
それが、それがっ・・・(T.T)

お誕生会でどうだったか。
それは発達のバロメーターでもある。
全園児と保育士がそろった中で泣かずに自分の名前を言える、ということは、自意識が過剰ではなく、周りの状況を理解する力があり、不安感がなく心が安定しているということなのだ。

あ、別に泣いたからってその子がダメってわけではない。
とても繊細で敏感な子どもだっているのだから。
その子その子の個性もある。
こうだからこうって決めつけるのはとても危険だし、子どもにとっても不幸だ。
ただ、できるならそうあってほしいという願いは、保育士としてはいつも持っておくべきだとは思う。
その願いが子どもの発達を促すための力になるのだから。

そして今日の給食は、お祝いのメニューw
ワンプレートにキレイに盛りつけられ、ちょっとしたレストラン風のゴハンなのだ。
毎月そうだから子ども達は大喜び。
そういう「特別な日」の感覚はとても大事だよねw