Strawberry Sunday♪

楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、日々徒然・・・。

かくれんぼ

2005-01-31 20:12:17 | 保育 教育 
風邪で休んでた同僚が復活~~w
これで担任3人で子どもたちと関われる。よかったぁーーー。

今日はかくれんぼをした。
かくれんぼっていっても、ルールにのっとった「もーいいかい?」「まーだだよ」の正当派かくれんぼではない。
私(ぱんださんねw)が鬼で、子ども達とあとの2人の保育士は隠れる役なのだ。
「もーいいかーーーーい」と私。
「まぁだだよーーー」と子ども達と保育士。
それを何回か繰り返した後、やーーっと「もーいいよぉおお」との声がする。
「よーーーし、探しにいくぞぉーー!」と聞こえよがしに大声をあげて出発。
だいたい隠れてるとこはわかってるんだけど、こどもたちの反応を見ながら探すのがまた面白いのだ。
しらじらしくならないように、「あれぇ~~ ここかなぁ」「どこかなぁ」と探しまくる。
きっと子ども達はドキドキしながら隠れてることだろうw
その様子がうかがえてまた楽しい。
ときにはだまされた振りも必要。「みーつけたっ・・・あれ?」ってやつ。

保育室で隠れてるときに、子どものお母さんが偶然いらして、「しーーーっ隠れるよっっ」と言ってる私に、「先生、マジになってるでしょ?」と言われたことも。

・・ハイ。マジです。
マジだから面白いんです。

今日は思いっきりフェイクに引っかかってしまった。
保育室に入ってきたとき、大きな布の塊があったのだ。しかもデスクの真横。
「おおーーっここだなぁw」とそろそろ近づき、「みーつけたっ」と思いっきり布をめくったのだが、なんとまぁ・・・お昼寝用のお布団と枕が積んであったのだっ。
くっっそぅ。
敵も然る者。その後は隠れ場所すぐわかったけどねw
それも、「どこかなぁ・・」って言いながら探すのってとても楽しい。
こどもたちのワクワク感や、緊張感が伝わってくるのだ。

こどもをその気にさせるには、大人がその気になって真剣に遊ばないとダメなのだ。
適当にやってただけじゃこどもはすぐに見抜いてしまう。
あなどれないのだ。こどもの力は。

けれど、だからこそ、こどもと遊ぶのはとても楽しい。
思いがけない子どもの言葉や行動を目にすることもある。
学びになることだってある。

何も考えずに思いっきり子どもたちと遊べたなら、きっと他の大人たちも何か感じることがあるだろうになぁ。







3月めざしてw

2005-01-27 21:00:41 | 保育 教育 
保育研修終わり。
はぁぁ~~~。

課題だらけの研修だった。(;-_-) =3 フゥ
子ども達がまとまらない。
担任が掌握できてない。
子ども達の発達に保育士がついていけてないのだ。
なんというか、けじめがない。

ああいう場にでると、直前にいくらいろいろやってても、日常の子ども達の姿しか出ないのだ。
だから、日常の私たちの関わりがどうだったのか、的確だったのかってことが丸わかりなのだ。

「あーつまれw」って言っても、必ず何人かはふらふらする子がいる。
その子を連れ戻そうと保育士が行く。
そしたら、せっかく集まった子ども達がばらけてしまう。
そんなとき、講師の助言。「ほっときなさい」
「こっちが面白かったら、必ず来るから。」
んで集まってる子の前で私がお話をした。
じわじわとふらついてた子どもが寄ってくる。ウンw良い傾向だっw そう思って話を続ける。

でも、どうしても一人入ってこない子がいたのだ。
そういう場合、つい追いかけ回して連れてこようとするものだ。だいたいね。
「ほっときなさい。だいたいどうして一人離れているのかわかる?」と講師。
「自分を気にかけてもらいたいから、なのよ。一人離れていたら先生が注目してくれる、それがわかっているから離れるの。先生を独り占めしたいの。でも、そういうことを許してたら大きくなって、自分に注目してもらわないと気が済まない、いつもいつもちやほやしてもらわないと気が済まない、そばに来て、おいでーって言ってもらわないと行くことができない、そういう子になってしまう。」
「欲しいものがあるときは、自分で行く、仲間に入りたいときは自分で行く、それが自立よ。それを一歳のこの時期に育ててあげないと、大きくなってからじゃなおらないのよ。」

そういうとき、保育士は知らん顔しながらその子の様子を見る。
「あれ、来てくれないなぁ・・・」とその子が思って、じわじわと行動を起こすときが必ずある。
そこを見極めてサッと抱き留めるのだ。
「待ってたんだよw なかなか来なかったねぇ。ホントは来たかったんだよねw」と抱っこしてあげるのだ。

そんな子どもの心理を把握しながらの日々の保育は難しい。
はっきりいって今まではそこまで深く考えてなかった。ついつい、離れてる子のところに行ってしまうもん。
それがその子にとってどんな意味を持つのか、見落としがちだった。

話についても、そうだ。
こどもたちをひきつけるような話術、表現力、発声。
すべてが足りなかった。
そりゃ聞いてくれたけど、でも求められている集中とはほど遠い。
私自身にも課題が山積みだ。

けど、課題が見えたってことは、良くなる方向へ進めるってことだ。
厳しい指摘もたくさん受けたが、本当によかったと思う。こどもたちは本当に素直で明るく、カワイイのだ。問題は大人。(いつもそーだけどさ)
きちんとした発達をお母さん、お父さんの前で見せることができないと子ども達に申し訳ない。
担任3人で、気持ちも新たに3月の「嬉しい春」に向けて頑張って行こうと思う。

そして、私も今年が最後の保育になりそうなので、100点めざしてできるだけのことはする。
自分のやれるだけのことをするのだ。

ふぁいとーーーーっ!!

なんか支離滅裂な文でした・・・・・(T.T)







花を抱えて

2005-01-26 23:55:29 | Weblog
今日はお休みだった。
でも午後からお花のお稽古があり外出。
近づいた華展の試作のため、多目的ホールの会議室を借りて、そこで社中の研究会をやっている。
私の花材は「シクラメン」。
それのみを使って生花正風体(しょうかしょうふうたい)という池坊の型にのっとった花を生けるのだ。
でもでも、今の時期ってシクラメンがなーーーーいっ(T.T)
普通のならある。
でも生花を生けるには、背の高い大きなシクラメンが必要なのだ。
それを求めてお花屋さんを渡り歩き、ついに一抱えもある鉢を見つけた。
「お車ですか?」
「いいえ」
「・・・・・。」
「あ、いいです。どうせ○○ホール(歩いて行ける距離)でお稽古ですから。」
というわけで、植木鉢だけ紙で覆ってもらって抱えて帰ることになった。
まぁ、そっちの方が花も葉っぱも痛まないからいいのだ。

それを抱えての帰り道。
商店街の中を行かないといけない。
当然、でっかい鉢物を抱えた私は目立つ・・・(T.T)
道行く人が振り返っていろいろ声をかけてくれるのだ。
それもほとんどが私のおばあちゃんくらいの年齢の方ばかり。
「まぁ~大きなお花」「高かったやろ~?」
「配達してもらえんとですか?」
「誰かにあげるとね?」等々・・・。
それにいちいち答えてしまう私・・・。
あぁぁ稽古場に戻れなーい(T.T)。

でも、みーんなニコニコして話しかけてくれるのだ。
なんかそんな顔みたらついこっちも返事を返してしまう。
思わず立ち話になっちゃったりして・・・。

お花っていいな。
人を笑顔にしてくれるんだ。
私はそんなお花の力を借りて、生け花をやっている。
お花の命をもらってやっているのだ。
真剣に生けないとバチがあたるよなぁ。
上手にならないと申し訳ないよなぁ。

職場では子どもの力を、日常ではお花の力を、いつもいつも頂いているのだ。
今更ながらに不平不満の多い自分に気づいて、反省。
もっともっと感謝の心で生きていきたいな。

今、自分がここにあることに対しての感謝。
やりたいことをやらせてもらえることへの感謝。
感謝の材料はいーっぱいあるのだ。




日常・・・(T.T)

2005-01-25 20:45:49 | 保育 教育 
明日は仕事休みだ。
だからといって何もないわけではない。だいたい休みってのは別の用事があるから取るのであって、本当に休むために取るなんてほとんどないのだ。
それでも午前中はちょこっと余裕がある。(あぁーーうれしーーいw)
決して子どもが嫌いでも、仕事が嫌いでもない。ただちょっと、休憩したいなって思うだけなのだ。
土曜日ももちろん保育園は開いている。(うちは18時まで)
世間は週休2日でも、そうできない人達が山のようにいる。そしてその人たちにも子どもがいる。その子達を預からないといけない場が絶対必要なのだ。
そこんとこほんっとうにわかってんのかなぁ・・・安易に週休2日制を推進している方々は。

まぁそれはいいんだけど。

今日はお昼寝の時間に大事件。ま、でもそれも日常茶飯事かな。
ご飯を食べて、ごちそうさましてそれから排泄を促す。まだ自立してない子もいるが、中にはおしっこもうんちもまず大丈夫な子もいるのだ。食事後に必ずうんちをする、いい習慣の子もいる。
「せんせーうんちーー」「おっw スゴイね、行っておいで。出たら教えてねw」
その子がトイレから帰ってくるのを待つ間、まだ食べ終わっていない子に関わり、「はい、もうちょっとだねーー大きいお口開けれるかなぁーー」とかいろいろ言いながらなんとか食べさせる。
しかし、油断してたらとんでもないことになるのだ。
なんてったって一歳児・・・。出ないって思うとすぐに部屋に帰ってくる。それをキャッチできればいいんだが、帰ってきたことに気づかない場合・・・。
「せんせーーうんちがあるよーー」
「えっっっっっ」
見るとお昼寝のために敷いていたお布団の上に、う、う、うんちがっっっ(T.T)。
「ちょ、ちょっとみんな来ないでーっ」
でも来ないでと言って聞くようなら苦労はしない。
たちまちわらわらと集まってくるのだ。それを押しのけながら、トイレットペーパーでつかみ取り、シーツをはがし、畳の上に消毒液を撒く。その間ずーっと「来ちゃダメだよ。来ちゃダメだってばっっ」と叫び続けているのだ・・・。
もちろん他の保育士もいる。複数担任だから。でも彼らも自分の担当の子どもたちのことで手一杯だし、お昼どきってのはホントに余裕がないのだ。
お互い、あぁーーやっちゃったぁぁ(T.T)って思いつつも、それぞれが責任もって分担された仕事をしてないと、先へ進めない。それでも助けてくれるけど。とにかく畳を消毒して、即シーツを洗濯機に放り込み、(もちろん下洗いはしてます)うんちをした本人を捜し出してお尻を拭き、その子に「さぁパンツ、はこうねw」と声かけしながらまだ食事をしている子のところに走る・・・しかしその子は食べながら眠ってしまってたりするのだ・・・(T▽T)アハハ。

まぁこんな日常です。めったにあるものでもないけどね。

なんだかんだと言っても慣れちゃってます。
そんなもんなんだよねー。
毎日毎日アタフタと、でもやっぱり楽しい毎日かなぁ・・・w





パンダさんと遊ぼう

2005-01-24 20:41:09 | 保育 教育 
保育園で私は「ぱんださん」になる。
ぱんださんは「コロコロ山」というところに住んでいて、毎日保育園の一歳児クラスに遊びに来るのだ。はやーく来ていてみんなを待っていることもあれば、なかなか来ないときもある。
でもこどもたちは毎日、ぱんださんが遊びに来てくれて一緒に遊んでくれるのを楽しみに待っている。

・・・というごっこ遊びをやっている。
当然保育士がパンダさん役。
こどもたちは実は、ダンゴムシさんやカエルさんといった小動物になっているのだ。
パンダさんが来てない日は、こどもたちは「あれ、今日はパンダさん来てないねぇ」「どうしたのかな?」と探し始める。大きいカエルさん(別の保育士だがw)が、「じゃあみんなで呼んでみようか」と誘いかけ、こどもたちは外に向かって「オオーーイ」「パンダさぁーーん」と大きな声で呼ぶのだ。
これは一歳児の重要な発達の一つ。大きな声を相手に向かって出す、ということ。これは、心が開放されてないととても難しいのだ。私たち大人でもそうじゃないだろうか。気持ちが沈んでいるときは、声も小さくならない?まぁ大人はそれでも理性があるからごまかすこともできるが、一歳児はそうはいかない。心の状態がとても顕著にでてくるのだ。
大きい声を出せるか否かで、その子の心の状態がある程度把握できる。

それから呼ばれたパンダさん(私w)は「オーーーイ、今すぐいくよーー」と返事をし、何度か呼ばれた後に「オハヨーーーー!!遊びにきたよーー」とみんなのところに行くのだ。
それを毎日、どうやって出ようかと考えるのが楽しいw
いきなり部屋の戸をドンドンドンって叩いたり。あ、これは子どもが一瞬引いたんで即却下したが。
「ぱんださーん」って呼ぶ声に合わせて鈴を鳴らしたり、太鼓を叩いたりもしたっけ。
一番興味を引いたのは、タンバリンだった。
あの鈴と太鼓の混じったような音が面白かったらしく、タンバリンを叩きながら部屋に入ってきた私の周りを取り囲み、集中して離れないのだ。
「タンバリンにタッチだよーーw」とかざしてやると、まぁ我も我もと叩く叩く・・・。
いったい・・・パンダさんを歓迎してくれてるのかタンバリンで遊びたいのか・・・(当然後者だよな・・・)
そうこうしながらメインの遊びに入っていくわけだ。

それからね、今まではパンダさんとして遊んでいながらも、呼ばれるときは「aki先生」だったのが、なんと最近「パンダさん」と子ども達が呼ぶようになったのだ。
子ども達の中で、パンダさんという存在が認識されてきたということ。
それは、こどもたちがファンタジーの中でしっかりと遊べているってことにつながる。

1月もおわろーかという時期になってやっとここまで・・・(T.T)
ちょっと遅かったなぁって気もするが、それでもならないよりマシかぁ・・・とあとの二人の先生たちと慰め合っている。
発表会は3月だから、それまでにはもう少し発達するかなぁと希望的観測をしながら毎日子ども達と遊んでいるのだ。

あとは・・・お話お話お話だよっっっ(T.T)。


たくさんの友人達

2005-01-22 21:29:08 | Weblog
先日、ここにお話を考えていると書いた。
そうしたら、友人の一人がとっても素晴らしいお話を考えてきてくれたのだ。
まるでそのまま絵本にでもなりそうな素敵なお話。思想的に高度なので、一歳児というより4,5歳児にきいてもらいたいようなお話だった(ストックストックw)。
本当に嬉しい。
それだけじゃなくて、コメント欄で励ましの言葉を書いてくれたひと、お話のサイトを教えてくれたひともいる。
ありがたいなぁ。
ネットの世界でイヤな目にあうことが多いと聞く中、私は本当に出逢う人たちに恵まれている。
いやな思いをすることも確かにあるが、それを補って余りある程の出逢いがある。
素晴らしい友人たちからたくさんのあたたかい想いをもらっている。
チャットで話すだけの人からも、感銘を受ける言葉を聞いたり、なるほどなぁと思う話を聞いたり、受けてばかりの私かも。

その人たちに直接何かを返すことは難しいかもしれないが、それが全てじゃない。
私が何かを返せる相手がもしこれから先出てきたら、その人に返そうと思う。
そうすればその人がまた別の人に返すだろう。
そうやって人の情や、感謝の気持ちが廻っていけばいいと思うのだ。
そうやって廻っていくことで世界が少しでもあたたかい世界になればいいなぁと思う。

もちろん友人たちにも応えたい。
私なりのやり方で。

頑張る。諦めない。全力を尽くして目の前にある事に向かう。

もちろん生活全てにおいては無理だよな。
でも、少なくともこのことに対してだけでも、そういう姿勢でいたいと思うのだ。


みんな、ありがとーw



ぬいぐるみ

2005-01-20 20:18:29 | 保育 教育 
0歳、1歳児クラスの保護者の方に、毎年お願いしていることがある。
それは、手作りのお人形を持ってきて下さいっていうこと。なんでかっていうと、少しでもお母さんのぬくもりを感じて、心の安定を図るためなのだ。
 まだ0歳、1歳。ホントならお家でお母さんと二人、ゆったり愛情いっぱいの生活を送っているはず。けれど諸事情によって保育園生活を余儀なくされているのだ。だから新しい環境の中、少しでも安心感を与えるために、お母さん方に「手作りのお人形」を持ってきてもらっている。

 こどもっていじらしくてね、どんなに不格好でも、他に既製のカワイイキャラクター人形があろうとも、やっぱりお母さんが作ってくれたお人形が一番なのだ。
そりゃ確かに普段遊んでいるときはお友達のお人形を取ったりするけれど(興味あるからさぁ)、お昼寝の時になると必ず自分のを持って寝る。そういう姿、お母さんたちに見せてあげたいくらいだ。
 朝、早い子は7時半から登園、遅い子はお迎えは6時(一歳児だよ・・・)。ほとんど10時間以上もの間親と離れて過ごす子たちの心のよりどころともいえるのが「手作りのお人形」なのだ。

 手芸の苦手なお母さんも得意なお母さんも、それなりにつくってきてくれる。
中には「苦手なんです~」と既製のぬいぐるみを持たせようとするお母さんも。でもさ、どんなだっていいんだよ。たとえじゃがいもみたいなぬいぐるみでも、子どもにとっては宝物なのだから。

 そりゃー様々なお人形がやってくるw
上手な人は、ディズニーキャラクターをまねたものとか ジョイント付きのテディベアとか(作れないって・・・(T.T)。でも私が感動するのは、決して上手とはいえないぬいぐるみ。
タオル地に目と口をつけたものとか、お団子が二つくらいくっついてるかのような顔と体を持つウサギとか、ガタガタの縫い目から綿がはみだしているものとか・・・。

 あのね、それでも作ってきてるんだよね。
それでも子どものためにさ。
めちゃめちゃ若いお母さんが(17歳とかいるんだよね・・・)「コレ、ウサギだろーか、クマだろーか」と悩んでしまうようなぬいぐるみを恥ずかしそうに持ってきたとき、私は涙が出るほどウレシイのだ。とにかく我が子のために時間や労力を使うってことをしないお母さん方が増えているのも確かなのだから。
「お母さんっ カワイイですよ。○○ちゃん喜びますよーー!」と言葉をかける。
「あの・・・家ではボールのように投げてました・・・」
「・・・・・・。」
お母さんw お昼寝の時間を見て下さい。自分のぬいぐるみをしっかり持って寝ています。
家では投げてたあのぬいぐるみですよ。あなたが作ってあげたあのぬいぐるみですよ。

 もっともっと、感じて欲しい。
子ども達のお母さんへの愛情を。
一日10時間以上関わっている保育士だって、いつもかわいがってくれているおばあちゃんおじいちゃんだって、お母さんにはかなわない。
お母さんさえ傍にいてくれたら、ホントに他には何もいらないくらいに、それほどこどもは必要としているのだ。

だから、自分の全生命をかけて応えてあげて欲しい。
こどもの想いに。

本当に、切実に、そう思っている。




寝ても覚めてもお話

2005-01-19 01:16:46 | 保育 教育 
発表会が近づいてくる。
3月に予定されている保育発表会。でもその前に「全通し」と称されるリハーサルがあるのだ。
舞台に出す大道具、小道具、遊びの内容、全て本番通りにする。子ども達ももちろん参加してのこと。
 私の担当する一歳児クラスは、保育研修のモデルになっている。その研修が今月末に迫っていて、しかも研修内容ってのが保育発表会の「全通し」になってるのだ。
本当なら園内で行う「通し」を、十何人もいる研修生と指導講師の前でやらないといけない。その緊張がわかるだろーかっ。
 いやそれだけではない。一歳児は発表会の中で「お話」を聞く。詳しい説明は割愛するけどとにかく保育士は一歳児相手に「創作童話」なるものを素話で最低でも5分弱くらい聞かせないといけない。なぜならそれが一歳児の発達を見せることになるからだ。
 一歳児の発達・・・大勢のお客さんの前でも泣かずにその気になって楽しく遊ぶ、ってことの他に「集中力を育てる」という重大目的があるのだ。
その発達を、お話を聞く、という形で見せなければならない。それがうまくいかなかったら一年間の苦労は水の泡ってことなのだ。
 だいたい考えてみてもわかるだろうけど目の前には自分たちの母親父親、おじいちゃんおばあちゃんがずらりとそろっている中、保育士の話を5分も聞くってことがどんなにどーんなにスゴイことか。また保育士の力量を問われることか(ヒィィ~~)。もし仮に聞く体勢ができてたとしても、話が下手だったら当然聞かない。
 それを私がやることになってしまった。
いや、去年もやったんだけどね。一歳児担任だったし・・・。
でもそれが決まってからは 毎日毎日頭の中はお話のことばかり。
寝ても覚めても創作童話を考えている。
一歳児にわかるには、あまりストーリー性のあるものじゃ高度だし、かといって擬音ばっかり続くのも、月齢の高い子には物足りないし、第一面白くなかったらまったく聞かないからなぁ・・・などなど。
 あぁまたあの日々が帰ってくるのかぁ・・・といささか凹み気味なのである。ふぅ。
とにかく面白いお話を、と考えついた端からこどもたちに話す。
でもそううまくいかないんだよね。最初は周りにきちんと座っていた子たちが、一人、二人とどっかに行く。そのうち何人かが走り出す、暴れ出す、もう手におえなーーい。かくして自分の話のまずさと話術のなさを思い知るわけなのだ。あぁとっても正直なお子たち・・・。
 これを書いている間も頭の片隅で「明日は何のお話をしようか・・・」と考えている。片時も忘れることができない。
お話お話お話・・・とりあえずは月末月末月末・・・。
この状態が3月まで続くのである。



ミニカーでかっとばせ!

2005-01-17 18:25:46 | 保育 教育 
ほとんどの園にだいたい置いてあるミニカー。知ってる人は知ってるだろうな。子どもが乗れる大きさで、それにまたがり、両足で床を蹴って進む車。
 あれって一歳児の足腰の発達のためにはピッタリの玩具なのだ。一見簡単そうに見えるが、「両足で床を蹴る」というのが一歳児にとってはなかなか至難の技で、まず最初に両足は使わず大抵の子が車に跨って歩いている。まだ月齢が低い子だと後ろに進むのだ。それがしだいに前進し、スピードアップし、ついには両足で床を蹴り、そのうちまるで暴走族か?というくらいにまで跳ばすようになる。
そこまで飛ばされても困るのだけど、まあとにかく一歳児向きではある。
 今日はそのミニカーを使って遊んだのだけど・・・
当然保育士も乗る。そりゃそーだよね、子どもと一緒に遊んでるんだから。
しかーし。
もともと子どものオモチャだ。しかも未満児用と言っても過言ではない。
それに、それに大人が乗れるのかぁぁ~~??いや、小さい人ならいいよ、子どもと同化して一緒に走ってかわいらしい。でも私は背も高いしその分足も長い。(フフッ)
その私があーんな車に跨ってビュンビュンとばすなどかなりの負担なのだ。
しかも子どもは疲れないっ!
ホール中とばしまくって、こっちがハァハァ言ってるのに平然と涼しい顔。
オマケにピアノ担当の先生が「もっかい行くよぉ~~!!」・・・っておいっっ(T.T)
ピアノ私が弾くから替わってよぅ・・・と内心思いつつ笑顔で「オーー!!」とか言ってしまっている私って・・・。

 でも確かに。
こういう、体を思いっきり使う遊びって大切なことなのだ。
さんざん走り回ってヘトヘトになるまで動いた後の子ども達の落ち着きようは、さっきまでの顔さえ合わせばケンカしてた同じ子達とは思えない。
 攻撃的な遊び。(つまり体を思いっきり使う、ちょっと乱暴な遊びね)
これは心の発達においてもとっても重要なこと。
思い切り発散して暴れまくった子ども達は、その後に待っているトイレや食事、お昼寝といった生活の流れにとってもスムーズに移行することができる。
イライラがなくなってお友達とのトラブルも少なくなる。また保育士の言うこともきちんと聞く。
なんだか出来すぎのような話だが、実際にそうなのだから仕方がない。
もちろん今日みたいに毎日ばっちりいくわけではなく、もう少し遊びを考えればよかったなぁとか、今日はイライラしてたなぁ 子どもも、とか反省することの方が多い。
それにあまりの運動量に、保育士自身がちょっとバテバテになることも・・・(あぁ情けない)
 でもなぁ・・・実際に変わっていく子ども達を目の当たりにしている私たちは、やっぱりやめられないのだ。部屋の中に押し込めて、折り紙、ままごと、お人形遊び・・・それでもたしかに一日は過ぎる。その上ケガも少ない。
だけどだけど子どもの心身の発達ってそれだけじゃ絶対に望めないのだ。
 私たちはなんのために子どもを預かっているのか・・・保育のプロとして、この一年で子ども達をしっかり発達させるためなのだ。その辺の単なる子守ではない。プロなのだ。
それが保育士のプライド。

 だからこそ。
筋肉痛でヒーヒー言いながら、日夜こどもたちと遊びまくっているのである。
(まぁ・・・、いい仕事だわ。)

よーっしゃ。今後もミニカー暴走族めざして園中をかっとばすぞ~~!!






トイレ・・・

2005-01-16 16:48:19 | 保育 教育 
保育園のトイレって本当に子どもたちにはキツイと思う。
お部屋は暖かいのにトイレはひんやりして寒い。掃除しやすいように床はタイル張りなのでしんしんと底冷えがするのだ。保育室に隣接してあるから戸を開ければすぐにトイレっていうのはまぁ、利点かな。
 普段遊んでいるときはまだいいのだ。体を使って動き回って走り回って遊ぶ遊ぶ・・・そういうときはポカポカしてるのでトイレに行くのも気にならない。
 問題はお昼寝の後。
ほかほかのお布団にくるまってる子ども達を涙をのんで起こす。「おはよぉーーー朝ですよーーーw(違うし)」
当然起きません。
 よく寝てるよなぁ・・・ってホントによく寝るのだ、一歳児って。起こしたくないなぁと思いつつおやつも食べさせないといけないし云々と時間がせまっているので心を鬼にして布団をはがす。
 こどもってエライと思うのはその時。起き抜けで意識もうろうとしているのだがそれでも習慣というのはスゴイもので自分で歩いてあの寒ーいトイレに向かう。エライよっ 見習えよ大人っっ。
南国から雪国に行くようなものだが、それでも泣かずに行く。また便座が冷たいのだ(座ったことないけどきっとね)。お家では暖房便座か便座カバーがかかってるかだろうにさぁ、自分だったらと思うと泣けてくる。
 16人のこどもたちみんながみんなそうなのだ。時々寝起きが悪くて泣いてぐずる子もいるけど、考えてみたらそれが普通だよなぁ。
この子たちって本当に集団生活で鍛えられてるなぁって思う。
たくましくなるはず。あ、でもここ10年くらいの子どもたちってどんどん弱くなってきているらしい。体だけじゃなくて心もね。親からの注文も多い多い。それだけ心配性で過保護になってきてるってことだろうけどね。
 起き抜けに自分の子が一人でトイレに行って、あのあのつめたーい便座に座ってちゃんとおしっこして戻ってくる様子を見たら、親はびっくりするだろうな。自立してんだよ。
いや・・・「トイレなんとかしてください」って言いそうだ。
確かに快適とはいえないトイレだけど、毎日毎日消毒液まいてスリッパもごしごし磨いて床もデッキブラシでガンガン磨いて清潔にしております。(あ、当たり前かw)
 あとは冬場の便座かなぁ・・・便座シート貼ってあげようかなぁ。
イヤイヤ・・・一歳児の排泄の状況はかなり厳しい(笑)
掃除時間じゃないのに水を流して消毒液をまくことなんか日常茶飯事なのだ。
だからどうにもならないのだ。
いつでもごしごし洗えるようにしておかないといけないってことだね。

早く暖かくならないかな。