葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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〝職住近接〟石井四郎は軍医学校へ徒歩三分だった

2019年02月22日 | 人骨の会・731部隊・石井四郎

富士国際旅行社「東京の戦争遺跡を訪ねる連続講座」の下見で、国立国際医療研究センター資料展示室に行ってきました。
室内一番奥に、明治4年からの医療センター沿革パネルと二枚の航空写真があります。
上のモノクロ写真は1968年ですが、下のカラー写真は撮影年が不明です。戦前の防疫研究室の建物が存在していますので、1994年以前だと考えられます。
何故ならば、この建物を解体して都立戸山公園多目的運動広場の造成工事が1995年に始まった時に、「人骨の会」の元新宿区議川村一之さんと事務局長鳥居靖さんが、工事現場を調査していました。

この写真には、陸軍軍医学校の軍陣衛生学教室(戦後は国立栄養研究所が使用)の建物と防疫研究室の建物が見えます。
下の方にサマリアマンションが見えますが、関東軍第731部隊長石井四郎中将の自宅でした。
陸軍軍医学校の教官として若松町の自宅から通いましたので、徒歩三分の「職住近接」でした。

ここに自宅を構えたことの経緯は、「若松プロジェクト」の門前教三さんから詳細な調査報告がありますので乞うご期待!
参考ブログ記事「731部隊長石井四郎、日本特殊工業㈱宮本光一の所有土地について











(了)





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