葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「早稲田九条の会世話人代表」武藤徹氏が逝去されました

2024年07月09日 | 歴史探訪<南京・上海>

今朝の「しんぶん赤旗」に、数学者武藤徹氏の訃報がありました。心からご冥福をお祈りいたします。

経歴に「早稲田九条の会世話人代表」とあります。同会が開催した明治大学山田朗教授の講演会に参加し、懇談会の席上で武藤徹氏から「大山中尉殺害事件」を聞かなければ、第二次上海事変の謀略が明らかになりませんでした。その経過を詳しくご紹介します。

都留文科大学笠原十九司教授からの手紙

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2008年8月10日(日)に早稲田9条の会が主催した講演会が新宿区立若松地域センター3階ホールで開かれ、講師は、自衛隊イラク派兵差し止め訴訟違憲判決の名古屋高裁で原告側証人として証言された山田朗教授でした。

勝った国側も驚いた,負けた原告も驚いた!!
“イラク派兵判決と市谷・防衛省のトンでもウラ話”
◆ 講師:山田 朗さん(明治大学教授:日本近代史・日本軍事史・天皇制論)
開会挨拶をした早稲田九条の会代表委員武藤徹さん( 83歳・元都立戸山高校数学教師)は東京帝國大学数学科1年生の時、陸軍参謀本部第三部(情報担当)が疎開した長野県下諏訪に勤労動員学徒として昭和20年5月3日から8月15日まで勤務していた。帝大生は20人だった。ポツダム宣言受諾の詔勅放送があったの後、将校たちが米などの物資を運び出すのを見た下級兵士が肩章をはずして「戦争は終わったのだ。士官も兵隊の区別もあるものか」と醜い物資の取り合いをというその時の貴重な体験を話されました。

その後の懇談会の中で武藤さんは大山大尉事件について衝撃的で驚くべき証言をなさいました。管理人はさらに詳しくお聞きしました。武藤さんには自分史として記録していただき若い方に承継していただくようにお願いしました。

>上官だった釜賀一夫少佐第二次上海事変時の大山事件の真相を私に話した。「軍は大山勇夫海軍中尉に家族の面倒を見るから死んでくれと言った。そこで大山中尉は中国軍の三重の警戒線があったが、まず第一、第二の阻止線の誰何(すいか)を突破していった。そして第三の阻止線における銃撃で殺されたのだ」<【注】名誉の殉死として一階級特進し、大尉となる。>また、名前は忘れたがある上官が中国・天津の英国領事館から暗号コードブックを盗んだことを自慢話として私に気安く話してくれた。<

「大山中尉殺害事件」の謀略が歴史的事実としたならば日中戦争の歴史がひっくり返る重大な問題です。

天津の英国総領事館事件は市川雷蔵主演の大映映画「陸軍中野学校」の中で天津ではなく横浜の総領事館となっていますが、イギリスの暗号を盗んだことは歴史的には確認されていることなのでしょうね。

>中野学校の教育もやがて終りに近づいた。次郎と杉本と久保田は、卒業試験として英国外交電報の暗号コードブックを盗め、と命令された。参謀本部では、この英国の暗号が解読できず、苦慮したあげく非常手段に訴えたものだった。次郎たちは横浜の英国領事館に狙いをつけた。次郎は洋服屋に化け、領事館の暗号係ダビッドソンに接近した。中野学校で教えられた技術がさまざまに活用され、見事コードブックを金庫から出して、写真撮影に成功した。(あらすじから)<

管理人が生後6ヶ月の時に父親が、第二次上海事変で応集し、上海に上陸後、蘇州・南京・岳州・徐州と転戦した陸軍第九師団輜重聯隊特務二等兵だったことから、大山中尉事件が謀略だったと聞かされたときは大変ショックでした。何となれば、もし父親が中国戦線で戦死をしたならば「靖国の遺児」となっていたかも知れず、“靖国神社問題“は他人ごととは思えなかったからです。さらに謀略で始まった日中戦争と引きく太平洋戦争で犠牲になった多くの中国人とアジアの人々、そして日本人は改めて戦争責任を追及し、尚且つこの戦争は正しかったんだという靖国派の政治家は許すことは出来ません。
 都留文科大学教授笠原十九司先生(現在は名誉教授)に、2009年7月5日に開催された「南京大虐殺 夏淑金さん名誉毀損裁判 大勝利集会」の終了後、立ち話でしたが「大山中尉射殺事件は謀略だった」という証言をお伝えしました。笠原先生は早速証言者の武藤さんと逢わせて欲しいということになり、7月20日、新宿区議会待遇者控室で二時間半にわたり。聞き取りをしました。


 笠原先生はその証言をヒントにして「大山勇夫の日記」などの文献史料を基にして、2012年9月、「年報 日本現代史第17号」に「大山事件の真相」を寄稿されました。その後、上海市紅橋飛行場事件現場の調査と、さらなる文献史料の蒐集をされて今回の上梓となりました。
 管理人が「初めて海軍の謀略を明らかにした歴史書」である「海軍の日中戦争」の出版に対して些かのお手伝いができたことは、この上にない喜びです。父母の仏壇に謹呈本をお供えしました。

2010年5月25日 岩波書店刊「日本軍の治安戦」注(第一章)236頁に武藤さんの証言を記述しました。


2010年9月 1日 岩波書店刊「図書」1頁「歴史書と歴史小説」に「密命を与えたことを証明する史料や証言が必要となる。ところが、海軍関係者による真相隠蔽の壁は厚い。」と記述されました。


2012年9月10日 現代史料出版刊「年報・日本現代史 第17号 軍隊と地域」に、「大山勇夫日記」を緻密に分析して謀略だったことを初めて発表しました。


2015年6月17日 平凡社刊「海軍の日中戦争」には、現場のイラストを作図して完璧な学説として発表しました。


2017年7月20日 高文研刊「日中戦争全史 上」229頁には日中戦争全史から、この謀略を位置づけられました。

(了)

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