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アカツキですけど

百戦錬磨 もう百戦越えてますけど その先に何があるのか

多田野吉左衛門の成りすましをしてたのは只野(但野)由右エ門 本物殺して吉左衛門が80歳代まで生きてたように捏造

2023-09-16 11:35:31 | 日記
今書類漁っている上で 1つ勘違いしてた事がわかった
自分は只野由右志と思ってた名前 只野由右エ門だ 
うちの父親が誰かに言われた 只野由右エ門の子は只野豊次郎だとメモあり
只野由右エ門は吉左衛門の乗っ取りをしたコオリ郡源左衛門と只野一郎の家が共同で重複名義の人間成りすましを作って 乗っ取りがわからないようにした

郡  源左衛門👈吉左衛門と文治の遺児が頼った相手と記録あり
只野甚五右衛門👈相馬藩家臣(只野一郎と只野商事の家と推定)
只野 由右衛門👈吉左衛門の土地乗っ取り
   (由右エ門)=由五郎
※散財の形跡あり 與惣治への支払いさせた規模すごい由右エ門=由五郎
文治の私生児という戸籍詐称も嘘
只野一郎の家が多分使ってた只野甚五右エ門なら、子は由右エ門になりそう
しかし、由右エ門の名の支払い明細の規模からこれが唯野新八に匹敵しそう

字が汚くて読めなかったのが原因
こいつが多分 郡

浪江に相馬昌胤がいた! それは北畠顕家の子供だ!
って捏造しようとしてた連中
請戸と幾世橋は一緒 請戸は幾世橋の海側と言うだけ
請戸漁港と言われるのは漁港のそばが請戸だから




浪江の北畠顕家の子はいない あれだけ何年も騒いでたでしょ 
絶対相馬の血と交わる事はないって
郡 桑折

桑折町の献上桃は こういう100年以上もの犯罪の後に天皇にされたアキヒト達への貢ぎ物で そこへ税金落とす国が 国際刑事裁判所へかけられる状態

只野由五郎って書いてある地券書ばかりで気づかなかった
たった1枚だけ 但野由五郎って書いてある 寺内の但野が関係してる
たった1枚だけ 但野由五郎 その住所は鹿島の土地 持ち主由五郎にされた
只野由五郎 (吉左衛門の成りすまし相続者大正時代)
只野由右エ門 (與惣治に糞みそ請求書出して払わせたヤツで書類残ってる大正時代)
由五郎と由右エ門って同時期なんだけど

只野由五郎の子 は只野豊次郎と書いてある ※父親のメモ

今から出していくわ 多田野吉左衛門の成りすまし 由右エ門
これが郡のほうかな 桑折は喜和子の家近辺にいる
この郡コオリが幾世橋生まれとされてるだけで
相馬昌胤の成り代わり行動をする
幾世橋の苗字使うパターンだってあるかもしれないが 
別に幾世橋の苗字のヤツはいる

文四郎と同期に大正時代 由右エ門がいた
この由右エ門の金をなぜか 與惣治が作って払ってる
文四郎が工作員だった 與惣治の父とされて

米倉は小作人以外に土建もやってた?ならば米倉建設もだ
米倉が小作人を受けてた理由は 桑折に頼まれてたんだろ






只野由五郎の子 は只野豊次郎と書いてある
↓これ豊治郎と読めるか? 小作人の帳面あったから探して見つけた
探しても豊治郎になりそうな名の物がまだ見つからない
只野由五郎は只野由右エ門(時期が同じだから)

由五郎→只野 豊次郎 どこのヤツ?由五郎の子とメモがある
    郡  豊太郎 浪江幾世橋生まれ富豪で町会議員にまでなった







桑折と郡はまるで兄弟 まるで分身 両方が分担してるかのようだ

間違ったものが特定の人に流れ、それが本物だと流通してるようだ
これ👇かもしれないが偽物だから出す
ここまでしないとダメなのか

あたしが誰より仕事できるんであって 他のヤツに能などない
んじゃ 血が遠からず繋がってるんだと嘘や遠戚ぶったヤツらは他の人を
不幸にしてる 縁切りだ

あたしが大手と仕事してたって意味 こういう事
すごく仕事するからだ


桑折が吉左衛門殺して乗っ取りしてたのを大勢で知ってたな?
由右エ門なんて絶対出てこない名前
おかしな系図を書いたヤツが、この吉右エ門の名をそこに書いてなかった
あれ書いたのが桑折側だったんだろ バレると困るから
👆直感は正解 載っていない
多田野吉左衛門の成りすまし 由右エ門



①與惣治の記録通りでいけば、與惣治達が住んでた土地は吉左衛門が住んでたのに、吉左衛門の土地の所有者が由五郎にされてる犯行その1
吉左衛門が80代まで長生き出来てたというなら、吉左衛門からの相続が由五郎にいくとは思えない 殺したでしょ❓
②吉左衛門と横並びの文治にまつわる遺品が1つしかない(木札連名の物)
③文治の子で由五郎が私生児と言うなら吉左衛門が長生きしてたら、そこへ
相続が流れるとは思えない 殺したでしょ❓
只野由五郎は只野由右エ門(時期が同じ)文治の私生児だと言ってるらしい
が文治の遺品は吉左衛門と文治連名の木札しかない 文治って存在する❓
※画像で言う右から2番目の札が吉左衛門と文治の連名


④天保年中、流行病で吉左衛門と文治の両親と祖父が死んでしまった為、吉左衛門と文治は親類たる郡源左衛門宅に顕家の遺品と古文などを持ち身を寄せていたと遺書が残ってる その吉左衛門と文治がこの右から2番目の木札になる
文治の「治」が相当薄い文字 ※この「親類たる」の言葉が引っかかる
一番右から、札は與惣治 吉左衛門と文治 與惣治 源孫 文四郎
「親類」なのか「親類のような」なのかで、まったく異なる
これは「昔は親戚だったのよ」の詐欺パターンセリフのほうだよね?
詐欺師がみんな使ってるやり口の1つ
このセリフ言ってた人物 青田・立谷・志賀・只野一郎の家(只野商事含む)
「郡源左衛門」の名は、この天保の「親祖父全員死んだ事件」の時に出て
真野結社のメンバーに「郡源左衛門」の名が出て、墓地文筆者の中に「郡源左衛門」の名が出てくる
⑥郡源左衛門が吉左衛門と文治を住ませてた時期は天保であり、その時代の熊野神社宮司は青田式充ということになるが青田は相馬藩主の血統の1つという見込みがある 実は青田の家系で代々闇で相馬〇胤をやってた1つだと思う
(青田は相馬市の黒木城代を門馬の前にやってたと記録出してる家系)
親類たる「郡源左衛門」宅へ避難した吉左衛門と文治の後、文治の私生児として由五郎(由右エ門)が出てると言って文献作ってるのは郡源左衛門の家!
吉左衛門を殺したでしょ?
その文治私生児が吉左衛門の自宅を持ち主だとして土地の地券登録してる。
その土地の地券書の持ち主を由五郎にしたのは相馬藩の代官下部で、それから
文四郎へこの地券の権利が移行されている(郡いわく由五郎と文四郎は兄弟)
「郡源左衛門」の家に行くまで熊野権現はうちにあって、それなのに青田一族は熊野権現があるかのように神社を造営し、建設費用を出させていた

見つけた 只野豊次郎



⑧「郡源左衛門」の名が墓地文筆者にある鹿島の旧菅丞山自在院は、同じ宗派が国見にある
〒969-1781福島県伊達郡国見町内谷舘脇29  自在院

鹿島町の神社仏閣の本には秋葉神社の創建が文政12年(1829)とある
文政13年(1831)に天保に改元
文政12年(1829)まで菅丞山自在院本願寺 これを国見からもってきてた場合
その時期は見込みで、藤田胤乗(黒木中務)が城代と言い出した時期?
この事きっかけで国見方面からの移住者があった可能性あり
1563年あたりから1829年までが寺?
うちの古い墓に「苑主」と彫られてるから、本願寺になる前 うちでやってた墓地なのでは? 苑主という単語は真如苑の方面で使用してるいわば、宗教法人の代表みたいな肩書 真如苑は昔の日蓮方面から分かれた別の一派だと思うが、まさにうちの条件にあうだろう?
もし、うちが真如苑の前身みたいな一派の苑主だったら、その寺に墓を置くと思う 他所でやってたなら他所の寺に墓を置くように思う
うちの古い墓は、秋葉の所の物は1部だ それに苑主と刻んである
うちでやらなくなって、本願寺がそこに入ってきてると推測してる
その文献一切強奪証拠隠滅されてるんだ
うちでいつから鹿島定住?菱垣廻船始まってからは出入りも含め定住だろう そうすると1600年前後に菱垣廻船の吉左衛門が副業で坊主をやったか
娘がやってたか 秋葉の土地は昔うちの土地でそこに苑主となる寺をもうけ
運営やってたら、その時期開始は江戸時代入るの前後

鹿島の自在院の土地:1563から1600までは寺がなく、1600あたりから1700あたりまでがうちの寺・墓地

1700あたりから1829までが菅丞山自在院本願寺。1829年あたりに、土地分割し森が宮司やる一家として式地の半分を占拠
あとの半分を秋葉神社境内にした こう思ってる

本願寺は京都伏見の関係だ うちで関わるのは違和感がある
いわば本願寺とは浄土真宗・一向宗だからだ
今現在 鹿島の犯罪者達は一向宗勢だ
一向宗をぶちこんだ京都の伏見は 朝廷貴族ぶって全部背乗りしてくる
その傘下がまさしく そこのエリアの犯罪者
この伏見らは伏見稲荷を神道分野にし、浄土真宗を仏教部門にしてる

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桑折町の桑折は伊達庶子 国見町の藤田も伊達庶子

①国見町に起源があるように藤田側は言ってるかもしれないが藤田は石川郡藤田城から桑折町方面へ移住で流れたメンツだと思う※城郭資料参考
②藤田は北畠正教を自演してた疑いあり
③只野一郎が息子に正教と名付けたのは只野一郎の家が藤田の替え玉共同者かもしれない
➃藤田が黒木城代黒木中務の父親だとするなら、藤田(伊達庶子)は相馬藩主側だった
➄国見町で北畠顕家の軍幹部として北畠正教 塚野目御館 霊山記略P75
御館とはまるで貴族が住んでたような命名だが顕家の子が住んでたように捏造した?その顕家の子とは相馬昌胤の子?相馬昌胤は顕家の子孫ではなく、郡コオリか、岡田か、幾世橋の線だが、この相馬昌胤の子と藤田をダブらせてる?
それに只野一郎の息子正教とダブらせてる?
⑥藤田は伊達庶子で、出目を塚野目にしてたら黒木中務の親ポジションだ
それが北畠正教がいたとされた塚野目拠点にいたら、相馬藩主が北畠正教の役を演じてる雰囲気で、なぜか只野一郎の家で息子に正教とつけてる
藤田は相馬藩主側なら仇なんだが
➆只野一郎の家で吉左衛門の立場・地位・財を自分が吉左衛門のようにすり替えした 鹿島の墓地に菊紋の壊された石があったが、もう無くなってる
あれうちのだろ 只野一郎は長慶天皇の子孫を演じ、たぶん昔の兄弟只野商事の家が天皇ぶってたんだろう この只野の連中はすり替えて乗っ取りしてた一番の側近だぞ これと郡と桑折
⑧藤田方面が鹿島の本願寺持ってきたのでは?
その時期藤田と只野一郎の家で組んでたのでは?

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1542年桑折が田中城の戦で鹿島の真野長者と入れ替わったのが1542年
そこから31年後 しかし、森の文献に藤田の名はここだけ
藤田=国見で伊達庶子
田中城の戦後から顕胤って名が森の本から消える 埋葬死亡記録ナシ
↓ 21年
1563年相馬三郎胤乗が青田に代わり黒木城代 女婿の藤田七郎晴親の子黒木中務宗元(中書胤乗)が城代を継いだ ※実質、戸籍上は藤田胤乗に相当
藤田胤乗=黒木中務宗元 ※藤田が黒木を名のってた計算
↓ 10年
1573年から1592年 (天正)
伊達郡国見より藤田七郎晴近が相馬藩に移民 馬場野エリアに住み着いた
伊達と同族 外天母堂の子孫
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郡側が住吉と山口組混ざった関東連合
メトロパチンコのタダノタダシ方面とアキヒト達
福島県犯罪者は関東軍 郡と桑折伊達市の青果輸入をアラブに禁止したい

あとSS製薬 郡が関係している
相馬藩主側が宮内庁と警察
アラブで得意だろう 調査するの SS製薬だ
幾世橋にSS製薬の工場がある 郡が関係してる

🌸某ブログにあった 郡豊太郎 浪江幾世橋 明治3生まれ 郡コオリ
浪江エリアでは財があったようで薬屋を創業、肥料屋兼業
磐城水源株式会社、双葉たばこ小売商組合長 県会議員 浜街道劇場組合加盟 
顕家の子は相馬昌胤だと捏造した浪江の幾世橋エリア 首謀者は郡豊太郎で別名只野(但野)


薬品屋と肥料屋 郡が会津松平の下で「いろはや」や「渡長」「立谷」らに肥料卸をしたな? 
その肥料産業の元が相馬秀胤(織田信恒)山形天童城主と詐称

郡の子供は海軍側の末裔にいて 他に岐阜県 あと茨城方面 福島県


森伊織の時だ
與惣治の時代だ
皆原先生とあるのは相馬市中野寺町の皆原
只野由五郎は文治の子?で吉左衛門の家の持ち主?
すり替え犯罪者が森鎮雄の祖父と友人
郡源左衛門の子どもだ 只野由五郎(由右エ門)
文治の私生児と称し吉左衛門遺産を遺品のない文治役の私生児役が
相続者と捏造した相馬藩荒専八と北朝鮮犯罪者達

コオリ側が偉そうな態度とってるのは吉左衛門の遺品を相当強奪してるからだ そうだったら余裕で吉左衛門の子孫を熱演しそうだ

日立村長・唯野真太郎
村長の親か子に唯野新八っている?
役人側の集団犯罪 唯野の苗字 日立木なら地番明細の書き物があった 
この時小丸の家と唯野が結託してる 小丸の家に入った文哉とは源孫の兄弟

浪江の郡豊太郎 只野豊次郎の別名だな?
親が郡源左衛門だな?
吉左衛門と文治が遺児になって身寄りがないと、郡源左衛門の家へ一時期行ってるこの時、吉左衛門たちに古文や各種を持ってくるように言った ※郡らが殺した
それが郡源左衛門の家で俺の家の物にした
そうだな?北畠顕家の子孫の自演 郡の家

郡源左衛門の家 浪江で町会議員か?前司使ってるのも郡の方面だ
うちの父親が誰かに言われた 只野由右エ門の子は只野豊次郎だとメモあり
満州関東軍の直参前身が真野結社
幾世橋にも足かけてたなら 相馬昌胤利権は郡含む連中の利権
相馬藩領にいた伊達藩が相馬藩主側にいたって事じゃないか




郡源左衛門の兄弟分だったのは小丸だ
小丸自体 その頃の移民で浪江の小丸城にかこつけて小丸の姓を使い出したと自分は思うし その世話したのが郡や桑折・幾世橋達だと思ってる
小丸文哉は日教組で相馬の教育委員会関係者だ

郡源左衛門時代に同じ源左衛門を名のり、浪江に関係あるヤツ 小丸だ
今わかった
小丸の家は文哉を婿養子にしたと言って只野の名と小丸の名を
使い分けしてたな? 
牛渡光明・秋夫の家に北畠顕家の仏があるような噂の元は、小丸 そこからだ
小丸の家 相馬市日下石町場
牛渡の家 相馬市日した石高根沢
学校関係者と塾経営陣が「オラんちにある」って言えば世間はそっちを信じる
小丸文哉は小丸の養女と結婚してる なぜ養女なのか これも不思議

日立村長・唯野真太郎が小丸源左衛門に関係してる
この唯野は唯野城助? 唯野城助は津田応助の可能性あり
当然 海東友助も身内か別の偽名が見込まれる
津田応助は明治23年 愛知の郷土史家・教育者 愛知県東春日井郡小牧町

鈴木寿三郎は愛知の人間みたいな感じ しかし会津に戦死者扱いで墓があるらしい これが山形から八沢干拓の権利を得たと言って入り込んでる鈴木
会津兵隊に入って脱走し死を偽装したのか?
田中直紀の父親 鈴木直人は、この鈴木寿三郎と関係がある
田中直紀のほうが言ってる実家とは八沢干拓のそばだ
しかし、住宅地図に鈴木直人の名はない 
逆に鹿島のいろはや肥料屋が鈴木直人みたいだ

なぜか会津に日向左衛門 文政10年(1827) 父與惣右衛門(町奉行)の嫡男
日向左衛門の子が、日向真太郎と名のったそうだ
日立村長・唯野真太郎👈アレ? 会津で町奉行やってた男の名も與惣治に
関連あってすごく???ってなるけど、その親が左衛門っていうのも
???ってなるけど、唯野真太郎日立木村長はこの男だろ?

会津藩移民も幾分入ってきてるんだ 相馬へ
それらが人殺しと結託しさらなる乗っ取り・窃盗・成りすましやって
役所で犯罪やってたのを集団で隠して 源孫まで殺した

どれだけ会津藩武士道吠えて 自分らが天皇存在を作り警察ぶってきたか
福島県と伊達市 一部は青森移民で あと北海道移民もやってるぞ
この一部

吉左衛門天皇の金を使いこみ 殺し すり替えし 他人集団で北畠顕家の子を自演し教科書側つまり大日本帝国帝国教育部の前身で嘘を貼り合わせし洗脳
虐待殺人の金使い込みやってたか

全国放浪したキフウ唯野新八って何人も従えてその金どうしたって?
乞食6万石
それに京都の宮家まで便乗し貪ってた これがこの国の上級国民側だと?

関わりたくない 利用されても困る 
ストレスはんぱない ネットや口頭でいまだにあたしが妄想言ってるようにケッチンつけるヤツは大半が加害者で、掴んだ・持ってる利権にあぐらかいて、余裕ぶっこいてた連中だ
誰しも近所トラブルで、こういう立ち回りしてる区長なんかに遭遇するだろう
どれだけ言っても「信用しません!」って言うヤツ
利権消えると困るって腹で思いつつすぐ虚勢張ってるだけだ そういう態度

あたしは金がいるから清算してくれと言ってる
あたしが311以降決めてやった案件は大規模だから額も大きい
その分 生活が大変だったし金が入らないで もう限界超えてる
あたしが決めてやった案件潰す 払わないなら
仏も返して 相馬福島 とにかく すぐ2重特権作って やめろ!!が出来ない国民達だから この国

宮内庁が運営してるアキヒト達が天皇だから二重での権利流しなんてしないから 何千年たかって何代も殺されるのか朝鮮中華に
郡の息子方面が嘘ついて 天皇家はキエフと関係あるって流布してるなら
天皇家が運営されてる人喰い血統で 混ぜられても迷惑だ