米国の北朝鮮に対する武力行使の可能性が高まっているという報道が急速に日本国内で広まり、今や森友問題に見切りをつけたメディアが一斉に飛びついている感がある。
過去の経験則から今月にあらたな核実験やミサイル実験の可能性が高く、また米国本土攻撃能力を保持することが秒読み段階に入ってきたこともふまえてトランプ政権がレベルの高い対応措置を検討しており、「武力行使の可能性が高まっている」こと自体は間違いないだろう。
ではどれくらいの確率で、どのような形態の武力行使がなされるのか、については、無数のパターンがあるとしか言いようがなく、事態の推移を注視するしかない。私も一人の市民としては、刻一刻と変わる情勢変化に気をもまないわけではない。
他方、学者としての私が思いをはせるのは、そういったことではない。東アジア地域情勢を専門とするわけではない私も、平和構築の観点から、北朝鮮問題についてはそれなりの関心を長く持ち続けてきた。
したがって平時から朝鮮半島問題の地域における重要性、日本にとっての重要性は、強調しているつもりだ。
私は、北朝鮮問題の本質は、朝鮮半島の地政学的性格にあると考えている。明治時代であれば、多くの人に、当然の指摘だ、と言われるだろう。現代でもそう言われるかは、よくわからない。
第二次世界大戦の結果、ヨーロッパの枢軸国ドイツは分断統治されることになり、ドイツ統一には冷戦の終焉を待たなければならなかった(ドイツ統一は冷戦の終焉を決定づけた)。
しかし日本では、日本は植民地や島嶼部を失っただけで済まされた。そのいわば必然的な結果として、日本にはアメリカのジュニア・パートナーとして生きていく道が与えられた。
ただし1945年の大日本帝国が全く分断されなかったわけではない。日本が1910年に併合していた朝鮮半島を見るならば、大日本帝国が歪な仕方で分断されたことがわかる。
日本プロパーが分断される代わりに、朝鮮半島が分割統治された。なぜそのような不公平な事態が朝鮮半島に訪れたのか。山のような数の学者が山のような研究を遂行しても、語りつくすことは簡単ではない。
ただ、最も簡明な一つの事実を指摘すれば、日本は島国であったが、朝鮮半島は大陸に付属する橋頭保だった、ということだ。日本は「全面講和」がありえず、「単独講和」で甘んじたが、朝鮮半島の場合には「単独講和」もありえず、「分割統治」しかなかった。
分割統治の不条理あるいは不合理を解消するために、1950年という早い段階で朝鮮戦争が発生した。しかし大国が総出で関与し、押したり引いたりした結果、38度線で分断する分割統治以上の安定策はない、というコンセンサスへの出戻りが結論付けられた。
このコンセンサスは、ソ連の崩壊、中国の超大国化、南北の経済格差、といった様々な情勢変化にさらされながら、特筆すべきことに、いまだに維持されている。
アゴラからの引用記事
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