人を呪わば穴ふたつ

オバサンだけど、小心者なんで
囁き程度に呟いてみる・・・・

17歳の誕生日を間近にして思うこと

2010-12-23 | 母として

 自閉症児を育ててもうすぐ17年になる。


「精神遅滞を伴う自閉症」と診断を受けた直後は

とにかく情報を得ようと

ありとあらゆる本を読み

紹介された勉強会、講演に出かけ

右往左往していた。


 でも・・・

あまりに混在した情報、

あまりに両極すぎたりする療育に

混乱はしても

安心も納得もありはしなかった。

違和感あり、嫌悪感すら

感じるものも多数。。。

挙句、カリスマ的医師、教師、保護者の

なんと溢れていることか。


 そう思った時

本も講演、講義、すべて捨て去った。

おかげで、多種ある親の会のひとつにも関わらず

最初に診断を受けた、

地元では超有名な小児精神科医のカウセリングも

就学先の意見の相違で遠ざかった。(医師は、普通学級へと言っていたのを

私はどうしても特殊学級に入れたいと思ったのだ。

医師は、普通学級の中で刺激を受けさせて様子を見たいと仰ったのだが

人との関わりに恐怖すら感じていた当時の二男には

穏やかな居場所を与えたかった。

親の先回り、過保護だったのかもしれない・・・

今に置いて、それが正解だったのか、間違っていたのかは

解りかねるのだけれど・・・)


 二男の育児はまさに手探りで

とにかく自分の感覚だけで突き進んできた。

二歳上の長男と何も変わらず育ててきた。

違うのは、長男は一度ですむことが

何十回も言い聞かせ、

練習しなければならないことだった。

気の遠くなるような前進と後退の繰り返し。


 私は学歴がない。

大きな後ろ盾もない。

きっと知っていれば生きやすく

育てやすかったかもしれない知識、情報を

たくさん取りこぼしてきたと思う。

誘われたある団体を断わった時に

多分、孤軍奮闘になるなとは覚悟した。

それでも

自分が混乱しているときに

いろんな助言は邪魔だったのだ。

自分が揺らぐのが怖かった。

母の揺らぎは子供たちに直結してしまう。

それは、健常の子にとっても

障害のある子にとっても同じ。

子にとって、常に不動の母でいたい。

それが一番の私の思いだった。


 次々出回る情報を、咀嚼する力がないから

我が道をそんな風に進んできて、

それはそれで自負もあるけれど、

生き字引のようになんでも知っている母たちの話しや

沢山の療育を受けていらした親子の様子に触れれば

無知な母が育てた二男が不憫にも見えてきて、

いきなり後悔やら、焦りを感じてしまうだろう。


だから、未だに、孤立無援状態であっても

今の二男が、そんなに遜色あるようにも思えず

まあコロコロと、親子、兄弟でおおらかに

過ごしてこれたことは

悪いことではなかったなと

ふたりの息子を見て思うのだ・・・うん・・・




最新の画像もっと見る

コメントを投稿