チョツトした関係 すなわち 知り合いの内閣府の人とこの人とが
ムネオ事件に関わったとされているが 実は両方とも知っているのです
ムネオ事件の時はロシアの三等外交官?だったそうです。
五年間完全黙秘で過ごしたというのは、すごいことだとおもいましたが、
ムネオとムルアカという秘書の事件なのですねぇ本筋は。
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写真家といえども ピン切りだ、私同様のもどきも沢山いる。ただいろりおな写真家と
出会ったけれど やはりできる奴らは丁寧なのです。
例えば白川義員死も 仏教伝来の写真展では なんかお高く止まっていっる感じが
したが、南極大陸の写真展を富士のプロ課の人と見に行った時は、温厚な対応だった
話したいことがあったのに、途中でNHKのインタビューが入ったので、退散となった。
モーターショーなどでもそ . . . 本文を読む
まさかのというのはその人の力量ではなくて 50ちょい過ぎでという意味です
おめでとうなのです。
それにしても「友人が大臣なので」と言えるのは今しかない!!(かもしれない)
だいたい言えるところにはみんな言ってしまったのだ。
ちなみに 警察関係は ちょっとの違反でとか 職質を受けたら名詞をちらつかせようと
思っています . . . 本文を読む
前方のナンバープレートにちょっとおしゃれなカバーを付けるという事を
考えついた人がいた。ちょうど中年域のサラリーマンだったそうだ。
いわゆる脱サラしちゃった人で、車の雑誌に載せる広告の撮影を
頼まれた。言いにくかったが、どうにも売れそうではないと思ったが
それは言えないし、適当に白金にある知り合いの自動車屋で
撮影を行った。400mmのレンズを開放で利用した。
そうするとナンバープレー . . . 本文を読む
ユニセフの交流会でお会いしたことは前に書いたけれど
最近は流石にあの独特の早口に衰えがでてきた。
それにしても、あれから25年以上の時間が経っている。
という意味ではモンスターのような気がする . . . 本文を読む
富士フォトサロンでお会いした時は既に70代を超えていた。
でも、とても気持ちが熱い方でお年を聞かなければ、そんなお年だとは感じさせないオーラがあった。
ふと、ネットで調べたら2007年に逝去されているとの記述があった。残念ながら人間である以上
いつかはその日が来る。
サインを頂いた本が幾つかある。サインをする人ってなんで皆達筆なのだろうか・・・。
それとは別に、健三さんが、京都を離れ奥飛 . . . 本文を読む
北杜夫が亡くなったのは11月だった。もう、3年、ん?2年経ってしまった。
その死因については実は医療ミス説が出るなどしているが、家族がその死を受け入れているのだから
外野が騒ぐ必要はない。何度か書いたように北氏との私信で氏は「許されるならできるだけ長く生きたいと
思っている」と打ち明けてくれた。この頃北氏は大うつ病であり、原稿を書けない日々が続いていたのだが
面識のない私に素直な人間として . . . 本文を読む
俳優でわき役だった人だ。アルバイトをしていた高校の夏に表札を見て聞いたことがある名前だなぁ~?と思ったら
その本人だった.
勝手口から入ってとインターホンごしに言われたが、どっちも同じような門じゃん・・とは口にしなかったが
言われたとおりにした。決して大きくない家だったが勝手口から入っていくと当時では個人の家にあるのは珍しい
駅に付いているような大きな防犯カメラが着いていた . . . 本文を読む
もう30年以上前になるかもしれない。
11PMという番組で釣り名人としてその名をとどろかせた服部さん。
実はその番組は見せてもらえなかったのだが、カジキマグロの大物を釣り上げたときの写真を
年賀状に使っていた。その頃はモノクロ中心の時代だったが、11PM終了後もつり番組などにでていて
時には地元の相模湾などで、釣りの醍醐味を余すところ無く知らしめていた。
実際に何度かお会いしたことがあっ . . . 本文を読む
ある記念パーティーに、ある人に連れられてその会場に来ていた。
それでそのある人が、山崎さんに「この前話したように、彼が新進気鋭の写真家です。どうかよろしく」と
話してくださり、名刺交換と挨拶をした。
背の低いちょっとやわい感じの人だったのだが私は口下手で名前を名乗っただけだった。
「話は聞いています。お時間のあるときに編集部に作品をおもちください」といわれて
「はいわかりました」と答えて . . . 本文を読む
展覧会などで写真を見るとき、引き伸ばした倍率によりその写真をみる距離というものが定めてあるという事を
知らない人が多い。
例えば横4m縦3mに引き伸ばされた写真を、1m位でみれば、フィルムの粒子などが目立つのは当たり前だ。
今でいえばPCで写真を拡大すれば、ピクセルが目だつのと同じ原理である。
白川義員という写真家を知ったのは、そもそもは写真というよりは「仏教の発祥から伝道」を写真で表現し . . . 本文を読む
学生時代に京都の写真を撮ろうと思ったのは、そもそもは白川義員という写真家の影響があってのことだ。
そんな中で今から30年前に京都の写真といえば「山本健三」のものが、卓越していた。
なので、同じ場所に行って見て同じアングルから撮影をしたはずなのに、仕上がッたものはどうも少し違うもの
ばかりだった。これは撮影時のカメラの高さが違う事に起因するものだと気がつくまでは、時間がかかった。
また、散り . . . 本文を読む
直木賞を受賞する前から知り合いではあったにしても、お宅に出入りする事は私は他のお宅に行くのと
変わるものではなかったが、時々ふと「直木賞作家のお宅に自由に出入りできるのは高橋治のファンからすれば
えらいこっちゃ」なのかなぁ~と思うこともあった。
でも、暇な時に呼ばれると庭の「草花について」講釈をしてくれたりもしたのだが、私はそういうことに音痴なので
本当のところは「成る程、ね」程度にしか感 . . . 本文を読む
演歌の世界で頑張っている歌手がいる。
この子は、3.4歳の頃からNHKの喉自慢コンクールで何度も優勝していた。
何度もというのは、地区大会でのとか、優勝者だけを集めたコンクールとかと言う事である。
歌のうまさは抜群であるということは自宅にあるトロフィーの数が物語っているのである。
いちおう、プロとしてデビューする前に、歌で勝負するかどうかについて迷っていた時期があり、その為
大学似進学し . . . 本文を読む
私が最初に入った大学を辞めて、2つ目の大学に入ったときに、高橋さんは自身の著書「秘伝」を取り出して
最初のページにメッセージを書いてくれた。物凄く達筆であり、今もって読めない部分がある位だ。
ちなみに私は、何度もお宅にお伺いしていたので、時系列と記憶が合致しない部分も多々ある。
先生は、私の仕事上の名前ではなくて、本名で呼んでくれていたのだがどちらかと言えば本名で呼ぶ人は
少なかったので、 . . . 本文を読む