直木賞を受賞する前から知り合いではあったにしても、お宅に出入りする事は私は他のお宅に行くのと
変わるものではなかったが、時々ふと「直木賞作家のお宅に自由に出入りできるのは高橋治のファンからすれば
えらいこっちゃ」なのかなぁ~と思うこともあった。
でも、暇な時に呼ばれると庭の「草花について」講釈をしてくれたりもしたのだが、私はそういうことに音痴なので
本当のところは「成る程、ね」程度にしか感じなかった。
ただ自分なりには「広く浅くでも良いからもっと森羅万象にも目をむけなければならないな」と認識をした。
大体先生は「13時ごろに起きて、食事をとり相撲が無い時はのんびり日中を過ごされていたと思うが、
おそらく夜明けぐらいまで主筆をしていたのだろう。「風の盆恋歌」が確かベストセラーになり、尚且つ
様々なジャンルのエッセイを書き、テレビにも出て、順風満帆とはこういうことをいうのだろうなと思っていた。
小原の風の盆というのを全国的にはやらせたのは前述の書籍で、一時期はバスツアーなどが幾つも組まれて
毎年大盛況だったそうだ。
私は仕事が忙しくなった事もあり、次第に疎遠になったのだが、朝日新聞の朝刊に連載小説を書いている
さなかに、脳出血を起こして倒れられたと、新聞に載っていた。
お見舞いに行こうかどうしようかと迷ったが、一番大変な時期に伺うとかえってよくないだろうと考えて
いかなかった。幸い大きな後遺症は残らなかったので良かったが、それなりにリハビリを重ねる療養期間が
しばらくあった。
復帰宣言ともいえる「連載の中止の理由」が朝日新聞に掲載されたのだが、どういう理由なのか、それを
堺に今日に至るまでの期間一切の出版物がでなくなった。
でないのか、ださないのかは未だに謎だが、たぶん14年間がたつのではないか?と思う。
奇跡的な復活をした後に、一度だけお会いしたことがあるのだが、見た目もなにも大病をしたとは
いわれなければわからないほどにお元気になっていたので安心した。
これを書いていてふとお宅は今どうなっているのか?をグーグルアースで調べてみたら、ご自宅は
さらに増築されているようなのでなんとなくほっとしたが、現実的にはどのように生活されているのか?
不思議でならない。
1 直木賞受賞後の快進撃で一生分の印税がありそれで生活をしている
2 印税で生活はなんとかなるのでライフワークであるロシアに捕虜となった人々の事を書いた
「派兵」を書き溜めている
3 娘さんが結婚して自宅に住んでいて生活は何とかなる
あまりにも下世話な話だが、それくらいしか思いつかない。ただ、元気でお暮らしのことだろうと
願っている。