高橋氏の家族が集まる部屋はこじんまりとしていたが、それがお宅のどこにあるかというのは書けない。
様々なテレビ関連機器をつないでいたが、氏いわく
「リモコンばかりがどうにも増えてならないが何とかならないのかね」
何とかしたいのは山々だったが世の中には無理と言うものがあるので、リクエストに答えるべく配線を変えたりしてい
たが、全ての背面端子はめいっぱいでどれがどれだかわからなくなった。
たと . . . 本文を読む
私はたまたま、直木賞を受賞する前から、高橋治という人を知っていた。
よく、「遊びに来なさい」などと気さくにいわれたが、遠慮が先にたちうやむやにしていた。
作家であることは知っていたが「派兵」という長編を書きつつも、苦節10年が経ったとも聞いていた。
正直どうやって生活をしているのだろうというのが、謎だったのだがそれはともかくとして、
「秘伝」という小説で直木賞を受賞したのである。調べたわけ . . . 本文を読む
鎌倉に住み始めてから 不幸な事が多いのでは。
故田中絹代の自宅跡地にさらに土地を買い増ししたそうだ。「鎌倉」は見るところであり住むところではないというのが
私の感覚だ。というのは、道が狭いし入り組んでいるし、場所によってはなんだか凄く重たい空気を感じるのである。
「鎌倉にゆかりの有名人は多い」のである程度の資金があれば「鎌倉に住まう」事がトレンディなのかもしれないけれど。
家を建てるとか、 . . . 本文を読む
思春期に出会った一人も牧師さんがいた。
キリスト教に関する見識が高く自身でも何冊もの著書がある人なのだが、出会ったことがまず私のその後の人生にも
影響を与えたのだが、大学を辞めて別の大学に入りなおしたのはこの人の影響があったのかもしれない。
もっとも、キリスト教に関する話は殆どしたことはないのだが、信じるものがある時の人の穏やかさを絵に描いたような
人だった。大学を受けなおすと話した時、こ . . . 本文を読む
特に知り合いではないが、テレビで泣く優しいイメージとオフの世界では全く違うひとだと徳光の近所の人がいっていた。
箱根駅伝の時は自宅からすぐの134号線で応援していたが、今はどうだか知らないし、横に徳光カメラが張り付いていたので、テレビ至上主義でまわりの迷惑を考えない。それが当然だと思っているようだ。
24時間マラソンの大インチキがばれたというべきか、徳光の意向かは微妙だがまぁそんな感じの人 . . . 本文を読む
昔銀座のペンタックスのプロ部で当時70万するレンズを買ったときに、その横で同じレンズを買っていた 動物の自然な姿を写すのを信条にしていたらしいがアフリカくんだりに行っても順光で写すので、動物図鑑とかそこらの動物園でも撮れる、などと陰口を云われていた人だ。
私も同じ感想を持っていたが、岩合さんは知名度はある写真家なので先生扱いで、私は20代の若造だ。 なんだか牽制をしあうような空気があって、 . . . 本文を読む
市井の人だが90歳の頃三浦雄一郎よりその当時は高齢で親子3代でエベレストだったか?海外の山スキーを成し遂げた人がいる。
冬でも素足に下駄というスタイルであった。
とても優しい人柄であった。その模様をテレビ東京が1時間枠で放送した。
私はカメラ選びやフィルム選び、撮影方法などを教えたが新しいことに対する知識欲はお歳を全く感じさせないほど前向きだった。 ちなみに私は現地に行ったことはない . . . 本文を読む
Jリーグ創世記に横浜マリノスの冠スポだったコダックの関係で井原とか木村とあった。サッカー自体がはやっていない頃だから、サインをもらっても実は何の感動もなかった。
なのではあるがそれからの一時期Jリーグが盛り上がったが、もらったサインはサッカーの熱狂的なファンの人にあげてしまった。 その頃は競技場の照明に対応できるフィルムがなく増感と云って現像で強引に感度を上げたものだった。 ゴール際から反 . . . 本文を読む
不思議なことだが、鈴木宗男にはあったことがないし宗男事件に関連して捕まった外務省の佐藤優ともあったことはない。
ただ内閣府の同行者とは面識がある。ノンキャリで内閣府の官房付?となった人である。そしてロシアにいった後にいろいろなお土産をもらった。気さくな人でそういうものは国費からでるから気にしなくて良いと教えてくれた。しかしその後に宗男事件がおきたのだが、宗男と共同正犯として捕まったのが佐藤である。 . . . 本文を読む
船長さんはたくさんいるが日本丸の船長さんを出航前に写した事がある。
制服が格好良くとりあえずまじめな感じのものを1カットと笑顔のカットを写した。家族の方からこんな笑顔は見たことないとお褒めの言葉を頂いた。
シャイな性格を隠していた?のかなぁー。
だいたいにおいて普段は強面の人を笑わせると全く別人のようなよい笑顔をみせるものなのである。
ただ、タレント系は勝手に自分で笑顔を作る。
私 . . . 本文を読む
私がストレートで入った大学に2週間通っただけで辞めて、違う大学を目指すきっかけとなったのは
ブンガクに対する思いとある牧師さんとの交流があったからだ。 その牧師さんは性格も温厚で、
何よりも宗教の話をしなかったところが気に入っていた。自らの行動が性格と相まって話をしていると
とても心地よく思えた。神に仕えるとそうなるのかな?などとも考えた。当時の私は辞めた大学の係り費用や次の大学の
入学金 . . . 本文を読む
今はスケート解説をしているが、約25年経つか経たぬかの頃キャビネ版の写真を複製してあげた。
あまり上手く写っていなかった白黒の写真には男の人がスケートをしている姿があった。
何でこんな写真をと母に聞いたら日本人男子で初めて表彰台にたった銅メダリストだということだった。 その下手な写真は一応公式カメラマンが写したとのことだった。
俄然本気モードになって自分が出来る複製の方法ー例えばフィル . . . 本文を読む
取材でお会いした。
横浜そごうがオープンする前日の内覧会で。
日本がバブルに突入する少し前だったと思う。
水島さんのバイタリティも凄かったが、私が感動したのは50m以上もあるレッドカーペットを歩いて店の入り口に歩いて行く迄の間店員が一列に並び進行方向の店員が順に一礼をしてくれたことだった。
平民の私には最初で最後のいい気分だった。
もちろん私はある評論家との同行取材なので先回りしてその . . . 本文を読む
京都大学に行っていた頃、下宿していた所から徒歩5分の所に、来日していたダイアナ妃が京都に来たときに来たので当然見に行った。凄い人だったが好位置をキープ右側にテレビカメラ左に後藤まき子?(武藤だっけ)等がいた。
驚いたのはロールスロイスを母国から運んできた事
接近するにつれ芸能レポーター軍団やニュースのアナウンサーのテンションがあがった。その場所ではくるまのまま中に入ってしまっでかすかにしか見え . . . 本文を読む
ユニセフ関係の事で朝日新聞社が主催したパーティでお会いした。もちろんかなり前の話。かなり前と今とを比べても余り変わらない感じなのが凄い。
テレビで見るのと実際合う場合と落差のある人が多いが黒柳さんの場合は、そのまんまであった。
お話をしていて笑ったりすると厚化粧(化粧と言うよりもドーランみたい)が崩れ落ちるのではないか等と思ってドキドキした。
しゃべり方も全く同じーって当たり前ですがーその . . . 本文を読む