赤間利晴 未来企画創造学舎

赤間利晴の人生 古希以降の社会活動等

墓参り 墓参り 野一日 保原へも

2010年08月15日 09時56分02秒 | 日記
22-8-14 何時ものように自分の家の墓参りは13日にすませ、14日は後藤家とその親族関係の墓参りに。

上の寺の墓参り後、二子塚の墓参り、立ち寄って美味しい若奥様手作りの品を
頂く。創り方を聴いて帰宅後早速創っていた。

大笹生に行って、墓参り後新築中の紺野家に行く。立派にできつつある。
保原町に足を延ばして利晴の母方の墓参り。

まず、母の祖母の二番目の亭主となった広瀬の墓参りに。広瀬正明氏・東京都板橋区・千春君の母のじッ課の墓が同一敷地内にあるが、その阿部家の包雄氏からの花があるだけの寂しい
状態であった。近くに親戚が赤間しかない。

次に保原町二丁目の石川さまのお墓参り。ここは、利晴の実母の生まれた石川家。
ここから黒岩上の町の中村要宅に子どものころに、子守役として移る。

ここから、赤間久平の三男・三平にとついだ。その墓ヲ3年前に探り当てた。
広瀬家の墓の道路一つ南側にあり直線的な距離では、15メートルくらいか。

次に、母方の祖母の妹宅と推定している保原町柱沢の清野文四郎・故人・の墓参りに金山の墓地に。小学生の夏休みには、この二箇所に何時も泊りがけで行っていた思い出の地である。