赤間利晴 未来企画創造学舎

赤間利晴の人生 古希以降の社会活動等

信夫山御神坂大日如来坐像安置記念賛歌制作

2013年07月31日 14時01分54秒 | 日記
御神坂音頭と盆唄を作詞した。

六社祭での催し物にしたい

信夫山・御神坂/大日如来坐像安置「幸福堂」造立記念賛歌として
信夫山町内会の皆様に日頃のご協力に感謝をこめて贈ります。
信夫山振興会  赤間 利晴 作詞       平成25年7月31日
  御神坂(おみさか) 音頭(おんど)
赤間 利晴 作詞  
                                           ※印は、最初だけとする。
※ ハアーテナー ソレソーレ 御神坂音頭 唄い踊れば 
ソレ 幸せに ソレ みな幸せに
御神坂(みみさか)は 幸福(こうふく)の島 福島の  天下に誇る 幸(しあわ)せの道
御神坂は 六(ろっ)供(く)の社(やしろ) 勢(せい)ぞろい  山伏(やまぶし)偲(しの)ぶ 歴史の小経(こみち)
御神坂は 羽黒神社の 古参道(こさんどう)  人と神とを つなぐ急坂(きゅうはん)
御神坂は 羽黒神社の 参り道(まいりみち)  願(ねが)い念(ねん)じて 天(てん)とつながる 
御神坂は 山伏里(やまぶしさと)の いのち道  深い歴史の 学びの小径(こみち)
御神坂は 上に鎮座(ちんざ)の 羽黒(はぐろ)神社(さま)  里を見守(みまも)る 天守(てんしゅ)の閣(やかた)
御神坂は 心に残る 癒(いや)し道  皆に愛され 信夫(しのぶ)の古道(こどう)   
御神坂の 大日如来(だいにちにょらい) 幸福堂(こうふくどう)  幸福(ふく)と元気を 世界(せかい)発信(はっしん) 
御神坂は 信夫三山 山伏村を 今に伝える シンボル古道
御神坂の お花畑に 咲き競う 桜花桃 笑顔で招く
御神坂の ミニ桃源境 うつくしや 市民手づくり 憩いの広場

歌碑用一句
夢を追い 無心に刻む 一歩にも 幸福(しあわせ)宿(やど)す 古道御神坂
茜(あかね) 晴(はれ)

信夫山・御神坂/大日如来坐像安置「幸福堂」造立記念賛歌として
信夫山町内会の皆様に日頃のご協力に感謝をこめて贈ります。
信夫山振興会  赤間 利晴 作詞       平成25年7月27日

  御神坂(おみさか) 盆(ぼん)唄(うた)
赤間 利晴 作詞 
ハアアーーー
・花の福島 幸福の里ソレ 古道御神坂 神の道
・古道御神坂 六供の社 山伏修行 偲ぶ道
・三百余年 御神坂古道 羽黒神社の 参り道
・古道御神坂 山伏の里 歴史を刻む 学び路
・天と平地を ひとつに結ぶ 古道御神坂 絆道
・御神坂の華 大日如来 幸福堂は 福発信(はなつ)
・ 天にも届く 羽黒神社は 里人守る 天守閣
・花の御神坂 幸福村へ 一歩を印(しる)す 福の道


御神坂・六供の皆さま保有の神社合同祭として「六社祭」創設提案

2013年07月27日 16時43分25秒 | 日記
来年の六月9日を、創始の初回祭礼日として六神社が合同で行ってはと提案した。

以前に、小野会長との会話から発想。渡辺町内会会長にお話し、理解を求めていた、

今日の幸福堂のオープン・小宴席で浦部会長にも小野様の前で提案・協働で計画し

来年の実行を約束した。


信夫山御神坂・大日如来坐像安置式無事終了

2013年07月27日 16時20分37秒 | 福島市ふれあいクラブ
信夫山御神坂・大日如来坐像安置式は、加藤・尾形両氏による除幕。

続いて、薬王寺御住職の読経と入魂で始め、全員でご焼香後

施主・加藤様のご挨拶。感謝状贈呈で式を終えて加藤様宅にて小宴

 平成25年7月27日
御神坂・木造大日如来坐像安置について(:その経過など)
信夫山振興会 会長 赤間 利
このことについて、信夫山羽黒神社旧参道の御神坂に仏師尾形様作の木造大日如来坐像の安置
  を行うこととなったが、その動機と経過等についてごく簡単に述べます。
その根本的な動機は、人々に幸せ感を贈りたいという小生の理念から、人々の限りない幸福を願
い、東日本大震災を風化させず、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、信夫山の存在
に感謝し復興と観光福島のシンボルとして信夫山の魅力増による振興を図ることにあります。
簡単な説明
福島市のシンボルとして古くから市民に親しまれている信夫山。毎年厳寒の二月に行われる三百
余年の伝統を誇る信夫三山暁参りで大わらじが奉納される羽黒神社。その旧参道である「御神坂」
の最上部(一周道路との交差点角)にある加藤家(第79代ご当主・加藤様・82才)の御神
坂寄りの一角に大欅古木の切り株があります。同じ敷地内にある『島屋の石燈籠』の少し上側にあ
る土手の真ん中にあり数年前に芯が止められています。
  その切り株の根もと辺りに丁度人が入れる程の大きさの「うろ」(祠のように空洞になった部分)
があるのを今年の5月に赤間が見つけました。
 以前からあったのであるが、関心がなかったことから視界に入ったとしても認知しなかったと思
われます。たまたま、小生が35年前に信夫山とのご縁を頂きました元御山敬神会会長の故加藤伝
様の長女・加藤様とお話をしていたときに、信夫山観光活用プロジェクト実行委員会(委員長浦
部博)で整備を推進していた西坂稲荷(ねこ稲荷)に話が及び話に花が咲いていきました。
  その際に、ふと数年前に『幸福神社』を高湯温泉入り口の姥堂地内の小高い展望のよい山に建立
できないだろうかと思い駆け回ったが実現に至らなかったことを思い出しました。
 これは、その頃多くの観光客が北海道の幸福駅にわざわざ切符を買うために立ち寄るという観光
客がいることが報じられていたことから、それに学ぼうとの思いでありました。
あるとき姥堂に知人が構えるお店に立ち寄り、お茶のみ話しから観光客を福島市にひきつける方
法として高湯温泉にも幸福神社を建立したらどうだろうとなりました。
即場所探しと行動に入り裏の小山以外にも高湯温泉近くにも山があるからと、その土地を案内し
て貰ったことなどを思い出しました。
数日後、前御山敬神会会長の小野様をお訪ねした帰り道、御神坂を登ったときに、藪の中に
霞んでむろが見えました。その瞬間に幸福神社の話題を思い起こし、この中に仏様をとの思いが閃きました。これが、この事業の発端になり、ただちに加藤ヨシ様にこの構想を示して相談したところ、お花作りのときと同様に即座にその趣旨に賛意をお示しくださいました。
 早速旧友で数々の仏像製作を手懸けている福島市在住の仏師尾形様にこの趣旨と経過をお話し
たところ、二つ返事で現場を見てみようと応えてくれました。
翌日、加藤様のご案内を頂き現場を綿密に調査し、自作の仏様を安置してもよいとのご判断を
示されました。その上、趣旨に賛同されまして大日如来坐像一体をご寄贈して下さるという思いも
かけなかった嬉しいお申し出を頂戴致しました。ありがたい大日如来坐像を安置すれば、何らかの
表示が必要と思い友人の鈴木建匠店社長鈴木様に相談しましたところ、どうせ作るのであれば
と、貴重な堅い木のもみじ板を使った看板をと提案され、これまた寄贈を申し出て下さいました。
その上に、堅い木に文字を彫りこんで、塗料を埋め込んで文字が鮮明になるようにしてはと提案さ
れ、ご多忙の中を自ら腕をふるい彫り上げて下さいました。大日如来/御神坂・幸福堂と命名させて
頂き墨黒黒の看板が完成し、大日如来様の安置を皆様にお知らせすることに大いに役立つものと心
から感謝しています。まさに善意の結集で感謝あるのみであります。
 多くの人々に幸福の島・福島市から「幸福」を発信する拠点の誕生を祝したいと思います。以上