又もしなくてもよいお恥ずかしい告白をしてしまいますが、私が生身の男女の愛憎なるものを理解できたのはごく最近の事です。正確に言うと東日本大震災以降の事です。
これが20年位以前ならまだ同情の余地はあったでしょうが、今更言っても「なんで、こんな婆さんが気持ち悪い告白するか」と思われるばかりでしょうが、ホントです。
よっぽどモテなかった訳でもないですが、複雑怪奇な諸事情がありました(全部話せませんけど)。
以前にも述べましたが中学生の頃本気で尼僧になろうと思ったことがあります。
憂世から隠遁したいという理由ではなく、尼さんの清潔さ、凛とした生き様に強い憧れを持ったからです。
これを断念した一番の理由は信仰心が無かったからですが、それ以上に両親が私の決心にさほど驚かなかったからかも知れません。
我儘な話ですが、子供心に大人の常識としてきちんと反対すべきなのにと、拍子抜けしたのです。
多分、両親にとっても、浮世離れした生活に憧れる気持ちが肌で理解できたのでしょうね。
その頃の私にとって両親は立派な大人でしたが、今思うと心は夢を食べてる人たちでお陰で私も長い長いこと夢を見て生活することが出来ました。
又も親の話に触れてしまいますが、どうしても離れることの出来なかったのも諸事情に含まれます。
50代に差し掛かったころの母と祖母、歳の離れた従妹です。祖母は母の母で質素倹約を身上とした女子師範出の人で、母にとって非常に煙たい存在だったみたいです。
母の底抜けの笑顔は殆ど幼児の従妹と同一化してます。
不甲斐ない父のお陰で働く事が多く人並み以上に苦労してるのに、とてつもなく無邪気な人でした。
多分これは天性のもので、勉強も仕事も失敗知らず、娘時代に男女を問わずモテまくったお陰だと思います。
結婚を境に天国と地獄のようだと言いますし、元々父が強引に大嘘をついて結婚したのですから、内心ずっと被害者だと思ってたようでした。
私も母に昔好きな人がいてその好きな人と今も思いあってるという事だけでも、私にとってかなり重かったのです。
ただ、それはまだ許せました。
母を慕ってる昔の恋人(?)それも立派な肩書を持った人が、いい年してしかも結婚してるのにラブレターを出してきて、それぞれが皆母は自分が一番好きなんだと思い込んでる内容なのに唖然としました。
しかも、その手紙を娘に見せる母は、綺麗で可愛くて頭の良い自慢の母どころか、魔女めいて見えてそこから反抗期と尼になりたい病が始まったのです。
この話、母が92歳で死後も続くのですから怖いです。母の恋人は生きていて、その人に死を知らせた時に「母は自分の初恋の人だ」と言われたのですから。
この生々しくも嫌らしい(なんて事実はどうも皆無で、両方のプラトニックラブだった)母と離れたい一心で、其のころ女性が一人で生きる事は非常に困難ですし待ってたら結婚できそうもない(お見合いをさせてもらえそうにもないため)男子を好きになってしまうのです。
私自身は自分の裏の動機には全く気付いてません。
さらに、絶対に一生にたった一人の人を愛するのだと固く心に決めていたのです。この時高校生でした。
ところが、どうも焦って積極的になり過ぎて(手紙書くだけ、実際に上手く近づけない)相手は皆逃げ出しちゃう。たまに近づいてくる人を何故か軽蔑しちゃう、という事で失恋続きで自分では傷ものになったと思い込んでました。(心だけなのに)
一生に一人だけ、その人だけを愛し続けなきゃいけないって、どこで自分に枷をつけてしまったのでしょうね?
自分がその人以外の異性に心を寄せることだけでも汚らわしいなんて、ちょっと異常な心理で無理があり過ぎましたね。
ということで、せめて大人の(?)男女関係になりたいのに、なぜかもうちょっとでなれない、今更言えない、と言う惨めな状態でございました(今言えるホントの話)。
母の死後、昔母を熱愛していた早大出の大先輩からお手紙をいただいた時に(私は最早72歳でしたけど)やっと気づいたのです。
この方は母の近所に住む恵まれた家庭の方で、小学時代の同級生だったのです。勉強を励ましあったお陰で彼の成績は大幅にUPしたそうです。早稲田に進んだのも束の間、学徒出陣して、戦後は名古屋の街で母を探し回ったそうです。
明るい前向きの性格の人ですので、結婚仕事全て順調にいき、よく遊びよく仕事してという日本の働くお父さんの典型みたいな人です。
その手紙も私を励ます明るい調子にあふれてました。私の病気などについて母は何一つ触れてなかったらしく、後輩に当たる私に対する思いやりの手紙、なんですが、「これって母とそっくり」と思わず苦笑いしてしまいました。
「能天気で可愛い、多分周りの皆は自分の事好きだろう」という性格ですね。
この方の奥様は母の事を十分ご存知のようで、「ああ、東京の人ね」とか電話口でおっしゃた時棘を感じたのは気のせいだけではないようです。母は幼馴染と紹介され会ったようですが、奥様が表面上はともかくいい気持ちでいられる訳がないと思います。
ところが、母は自分が初恋の人で彼も初恋の人だと憚らず平然という、全然家族の存在には配慮しない、この気持ちが80年以上続いたら、妻たるもの気持ち穏やかでいられるでしょうか。
二人にとって、戦争に引き裂かれたおとぎ話のような恋だったとしても、現実はそうは見ないのですね。
現実があまりにも過酷だからと言って、昔の淡い恋を再現してしまうと、周りは冷たい視線を浴びせるに決まってます。
老いて可哀そうだった母のロマンスを嫌がりながら、結局それに左右されてしまった自分から、今ようよう脱出しようとしています。気がついたら74歳でした。
同じ話の繰り返しで申し訳ありませんでした。
これは春を感じる果実、その名も「はるか」です。
酸味がごく少なくて、甘味が爽やかです。ナイフで凸部を切ると簡単に剥けます。
母の作った料理の中で一番好きだったのがキャベツ巻きです。
母の作った料理の中で一番好きだったのがキャベツ巻きです。
母はミルク味で(スープに後で牛乳と砂糖を加える)したが、今日はケチャップを加え、ついでにニンジンも栄養強化の為に加えて煮ました。
と、大きな波乱がなくてこんな日常生活を送れるのが一番幸せなのかもしれません。