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読書の森

北帰行

「窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れて止まぬ」

「独り凍てつく北へ帰る」この歌を私は燦々と陽の降り注ぐ房総の青く広い海で聞きました。半世紀以上前の学生時代の話です。
大学のサークルの研究会を兼ねた夏合宿が房総の蓮沼海岸でありました。
サークル仲間の歓声が海辺で聴こえて、凡そ歌の雰囲気と似合わいません。
歌って聴かせてくれたのも凡そメランコリーと縁の無さそうな健康そのものの女子でありました。

それでもこの歌に強く惹かれるものがありました。
その頃私たちは、殆どが青春期の言葉に表現し難い鬱屈を抱えこんでいたのです。
歌声喫茶で広まり昭和61年歌謡曲としてヒットした『北帰行』は青春期の思いにフィットしていたのでしょう。

キラキラ光る夏に凡そ不似合いな『北帰行』が何故か遠い青春の遠い海の思い出を呼び覚ましてくれます。



『北帰行』はさらに昔、旧制旅順高校の学生、宇田博によって作られた歌です。

旧満州の旅順からそれより北方の奉天へ帰る汽車の中で作った歌に由来します。実は宇田は「性行不良」ということで退学処分を受けていました。
かなり頭の良い人だったらしいですが、不良っ気が多かった。
好きな女の子が出来て当時としては許されない交際をしていたのですね。

「富も名誉も恋も 遠きあくがれの日ぞ
淡き望み 儚き心 恩愛我を去りぬ」
(元歌のまま)

友人が多い人でしたので同情した友の口から口へこの歌が広がって、旅順高校の寮歌となるのです。
当然反対が多かったのですが、当時は未だ戦乱も激しくなくて、広く歌われたそうです。
思想とか反抗とかではなく、学生好みの歌だからでしょうね。


後に宇田博は帰国して旧制の一高に合格、終戦後はTBSに入り常務まで務めました。
戦中戦後はいわゆる優等生よりも、個性的な面々が活躍した時代の様です。

「今は黙して行かむ 何を又語るべき
さらば祖国 わがふるさとよ
明日は異郷の旅路」
これは元歌で、歌謡曲になると、
「わがふるさと」は「愛しき人よ」
「異郷の旅路」は「いずこの町か」
に変わってます。
この方が時代に即してるからです。

異郷への憧れはいつの時代も変わってません。
いつも感じる事ですが、日本の歌謡曲の歌詞は何故「帰る」のが「北」であって「南」では無いのでしょうか?
北に帰る歌『北へ帰ろう』『津軽海峡冬景色』など枚挙にいとまはないです。南ってロマンチックじゃ無いのですかね。

コロナ禍で、北どころか東西南北、動きの取れない身はひたすら遠い場所を憧れます。

注:尚写真は古い雑誌のグラビアの旧満州風景です。





読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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