読書の森

昭和のニュース −昭和30年−



写真は銀座を歩くマンボスタイルの女性である。
マンボは昭和30年に流行したラテンリズムの踊りの事で、この格好で踊るのが最先端だったらしい。
銀座もファッションも地味に見える。

しかし、この年を境に街は開発されて洗練された都会に変化していった様だ。
前年から景気が著しく良くなり、神武以来の好景気(神武景気)と言われた。

1年前に上京した子供の私が肌で感じたのは、周りの物が豊富になり暮らしが楽になった事だった。
近隣の大人の衣服も持ち物も増えて、貧しい表情が消えていったのを覚えている。

一例として、アルミの1円玉がこの年から発行された。
それまではペラペラの紙幣だったが、材料の金属を調達し技術が進んで硬貨が作られたのだ。

昭和26年、朝鮮戦争の特需景気で潤った日本は、更に対日講和条約をアメリカと締結して占領体制を脱した。
飢えから抜け出し、より豊かで文化的な生活を目指して、勤勉な日本人は働いた。
働く程に報われる高度成長期である。



この年、故ジェームス.ディーン主演の『エデンの東』が上映され、当時の若者の人気を得た。

家族に悩みを抱える若者が主人公で、屈折した青年期をジェームス.ディーンは好演した。
彼自身が自動車事故で24歳で夭折した事もあり、人々の記憶に長く残る映画となった。

これは、終戦から10年過ぎたからこそ、受けたテーマなのだと私は思う。
この年に「ノイローゼ」という流行語も生まれている。

世の中は心の問題に目が向けられる余裕が出来たのだ。



幼かった私は、当時の大人の服装に憧れた。

特にウエストをキュッと絞ったフレヤースカートである。
いい匂いのする綺麗にお化粧したお姉さんが、水色のスカートを優雅に揺らせて銀座を歩くのをうっとり眺めた事がある。

子供の目にはその頃の銀座は夢の様な大都会に見えた。


今日から見ると、当時は電化製品も少なく手間のかかる事の多い生活をしていた。
それでも、昭和30年代はモノの豊かさをそのまま幸せの尺度に出来た時代だと思える。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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