読書の森

昭和天皇崩御の号外


お盆休みに「昭和天皇の知られざるお言葉」について放送していた。
昭和天皇ご自身は先の戦争に否定的な考えだった事が徐々に明らかになっていく。
しかし、私たちの世代はそれについて全く無知だった。
昭和天皇の本当の人柄が私なりに理解できたのは、崩御された後だった。

1989年(昭和64年)1月7日、土曜日の昼がた、街を歩いていた私に、ただならぬ様子で号外が渡された。
それが、天皇陛下崩御の報である。
昭和が終わりを告げた日だった。
この号外は黄ばみ、折れ目は切れそうになっているが、私は手放せない。
これを手放すと私の中の昭和の記憶が逃げていきそうで、とても出来ない。


ガンで亡くなられたが、闘病中にも当時の事とてガンは告知されなかった。
ご自身も何も主治医に尋ねられなかったそうである。
最後まで穏やかで、誠実に振舞われた方だった。

史上最長寿(87歳8か月)の天皇で、在位期間も史上最長である。

感慨は深かったが、その時は昭和の終わりという実感がまるでなかった。
バブルの最中にあった私たちは同じような日が続くと思っていた。
そして、その後、急速にバブルははじけていった。


大正13年、ご結婚間もなく、お妃さまと(摂政官の時代)
15年に25歳で皇位を継承された。


「軍国」当時、馬上から閲兵。


戦後、屈辱的な思いを何度もされたあと、自身で「人間宣言」をされた。
そして、昭和21年から29年まで、敗戦に打ちひしがれた国民を励ますため、沖縄を除く(一時日本領土でなかった)全国を行脚された。
この写真は、昭和21年11月のもので、MPが護衛に当たっている。

昭和天皇が果たせなかった沖縄慰霊の旅は平成天皇によって遂げられた。

昭和46年、デンマークの人魚の像の前で。
ご夫妻はいつも睦まじい様子だった。
昭和47年、初秋の那須高原にて。
昭和天皇は学者でもあり、生物に造詣が深かった。

昭和50年、エリザベス女王を皇居に迎えられて。
私にはこの眼差しに感心した。
自分の矜持をしっかり持ちながら、相手にきちんと敬意を示されていると感じた。

亡くなられる前年(昭和63年)の終戦の日。
全国戦没者追悼式で昭和天皇はお言葉を述べられた。
考えていただきたいのは、この時癌がお身体の中を蝕み尽くして、翌年の1月崩御されるのである。後半年も無い御命を削って責任を果たされようとしたと、私は観るのです。
苦しい中でも、責任を果たそうとする凄い意志力だと思う。

堅苦しい話ばかりになったが、昭和天皇は最期まで戦争責任を果たして平和な日本の繁栄のために生きられた気がする。

追記:
昭和天皇の追悼本や写真集は何冊でも出ています。
古びた新聞のぼやけた写真ですが、リアルタイムで入手したモノは大切にしておきたいのです。



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