
今日の事は、あらかじめ遥に連絡してある。
昭和50年代でも珍しい事に、遥は呼び出し電話を使っていた。
その訳は、彼女が叔父の家に下宿しているからだと言う。
大学進学の為に群馬の実家から、彼女一人下宿していたのだった。
それを聞いて、人それぞれに思わぬ事情を持っている、と早苗は気づいた。
駅から離れて、小体な家並みが続く静かな道を三人は黙りこくって歩いていた。
そこに突然、紺のコートを羽織った遥が現れた。
長かった黒髪をばっさりとショートにして、幾分はれた様な目をしていた。
明らかに困惑した表情だった。
早苗が笑顔で挨拶しても、視線を避けていた。
裕一が笑顔で「皆待ってるから又部活来ないか?」と話しかけると、びっくりするほど思い詰めた目を返した。
それとは裏腹に、遥は淡々とした声で答えた。
「私勉強遅れてるから、部活どころじゃないの。田舎者だから」
「そんなあ、まだ一年生じゃない。
君読書大好きなんだろ?
勉強の息抜きに部活でお喋りしようよ」
「いいんです。折角来てもらって悪いけど」
遥はピシャリと断ってそのまま背を向けた。
思わず三人は声を上げた。
「中島さん!」
振り向いた遥の顔はしんと寂しそうに変化している。
「さよなら、わざわざありがとう」
そのまま二度と振り返る事なく、遥の細い体は路地の奥に消えてしまった。

行きよりも重い表情になって三人は元来た道を引き返した。
豊島園近くなって、裕一はしゃがみ込みスニーカーの紐を結び直した。
真新しい真っ白なスニーカーの紐を裕一は長い指で手早く結ぶ。
早苗はその引き締まった男らしい表情をじっと見つめた。
「私この人が好きだ。大好き」
強く感じているのに、今日は何故かその心の呟きが悲劇的に思えてくるのだ。
「今日は豊島園で遊ぶのは止めよう」
裕一はポツリと言った。
亮と早苗は顔を見合わせた。
「何故?」
とはとても言えない雰囲気だった。
早苗はこの日の豊島園の秋晴れの美しい空が半世紀近く過ぎた今も忘れられない。
あの後早苗は漠然と遥の嘘を感じていた。
遥が思いを寄せたであろう裕一は尚更それが分かった事だろう。
そして、この日の為に早苗がおニューのブラウスを着た様に、裕一もそのスニーカーを初めて履いたのだ。
狭い部室の中で、自分でも気付かぬ内に惹かれ合う二人を、敏感な遥は切ない気持ちで眺めていたのだろう。
好きなののは自分だけでなかった、早苗はお気楽に考えていた「愛」の不条理をその日初めて知った。
あれから早苗と裕一との間になんとも言えない距離感が出来てしまった気がする。
そして、長い長い年月が過ぎてしまった。
皆どうしているだろう。
思い出を辿ると直ぐに時間は経っていってしまう。
更けていく秋の夕暮れをベランダの窓から眺めて、早苗は冷えた紅茶を一人飲み干した。
(完)