突然のblog削除でお休み、いつもの事ながら申し訳ありませんでした。
オミクロン株襲来のニュースが駆け抜けた後、激し過ぎる夜来の雨が通り過ぎて、水色の空が覗く朝。
ネットニュースで『神田川』の作詞家、喜多條忠さんの訃報を知りました。
又も「昭和」は去っていく思いです。
『神田川』の歌詞を拾うと、
「赤い手ぬぐいマフラーにして」
今どき手ぬぐいマフラーにして外歩いたら、浮浪者と間違われます。
「ふたりで出かけた横丁の風呂屋」
風呂屋は経営困難で次々と店を閉め、もはや建築記念物(?)的存在になっております。
「3畳一間の小さな下宿」建築基準法が改正されて以来、この間取りのアパートももはや消えていく存在であります。
昭和40年代この歌が流行った頃(私はその前です)、やたらとそんな恋人同士を羨んだ事があります。
戦中の都会の道徳感が未だ残るその頃は周りにはストイックな学生が多くて、共棲み学生って選ばれた(変な言い方ですが)存在でしたけどね。
今考えれば、怖い怖い貧乏と戦ってた訳で、「情熱だけで突っ走る愛はお金に負ける」厳しい現実を味わった事だと思います。(この時間になって凄く気になって訂正致しました。ちゃちな、という言葉は残酷だと反省)。
過去の苦しみも哀しみも、甘いオブラートで包む事が可能です。
過去に拘りを持ったり、やたらと懐かしむより「今この時が何より大切。今を生きるのだ」と疑いも無く断言出来るのは若い内のこと。
過去の苦しみも哀しみも、甘いオブラートで包む事が可能です。
過去に拘りを持ったり、やたらと懐かしむより「今この時が何より大切。今を生きるのだ」と疑いも無く断言出来るのは若い内のこと。
じゃない、コロナ以前の事。
未だ、不可思議な存在で、真の姿が判然としないコロナ菌は、どこからやってくるかわからない透明な魔物みたいで、先の計画どころか今現在の予定も立たない恐怖です。
なので、自暴自棄になったり、享楽的気分になったり、不安に押しつぶされる状況になる人が出るのは、本当はとても自然な現象だと思うのです。人に危害を与える事で無い限り、やたらめくじら立てない方が良いと。
削除したblogに、コロナは生物か無生物か判然としないと書きましたね。
削除したblogに、コロナは生物か無生物か判然としないと書きましたね。
未だ科学的に解明されてないのは飛沫感染か空気感染か、という事もあります。
先の問題より後の問題の方が早急に解明されるべきと思います。
そうすれば、地域的に何処の範囲でストップ出来るかがより明確になるからです。
最初の経緯から考えても、島国日本はコロナ禍が大陸より遅れて流行してます。
という事がとても大事で、安全な内に対処法を確立するのが最善の策と思います。
それも、暮らしを守りながらですので。
どう動くか、それはあなた任せだけでは何も出来ないけれど、先ず国がどう動くかが重要で、それにより住民の暮らしが変わるのだと考える様になりました。
『神田川』の情緒が台無しになってしまって、ごめんなさい🙏