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読書の森

メルヘンチックな学園での日々

私は中学は私立の女子校、高校は公立の共学校を出てます。
女子校は大東学園と言って、上野毛のお屋敷町の中、芝生に囲まれたとても綺麗な学校でした。
担任教師の勧めで私立進学を決めたのです。

毎朝讃美歌を歌って聖書を読む、乙女チックな中学時代でありました。

一年上に当時の子役スター松島トモ子さんが在籍してました。
学生数が少ないので、お会いする機会が何回かありました。透き通る様な白い肌でとても芳しい匂いのする人です。「さすが!」と思って見てました。近寄り難い当時の人気や一見とは全く異なる、気さくな言葉をかけてくれる人でした。

初夏はふっさりと美しい藤棚を楽しみ、夏の夕べに集まって白玉団子を食べ、学校の庭の芝生に腰掛けてフランス刺繍を楽しむ、勉強というよりメルヘンの中で生活している様でした。

大東学園の創立者で園長が守屋東先生です。自立した女性に厳しい戦前戦中の時代を凛として生き抜いた方です。
アメリカに渡って教育を受けられ、非常にリベラルな考え方でした。
障害者の教育に尽力した時期を経て、「良いお母さん」を育てる学園作りを最後の仕事としたのです。

先生は単に甘い砂糖菓子の様な母親でない真に優しいお母さんを育成したかったのでしょうね。

一見、真面目そのものに見える守屋先生の親友の一人が戦前オペラ歌手として一世を風靡した三浦環です。
「蝶々夫人」が当たり役で世界的プリマドンナとして華やかな半世を送った人です。

晩年彼女は癌に冒され、最初は大東学園病院に入院してました。
その時、守屋先生に愛用の真珠のネックレスを渡したそうです。戦後間もない時でしたので宝石は今よりずっと価値がありました。

守屋先生も三浦環さんも子供に恵まれなかった人です。「良き母親になって欲しい」という二人の思いを込めて、大東学園の卒業生代表に真珠の一粒を贈る慣わしがありました。

柔らかな思い出に包み込んでくれたこの学園は今は影も形もありません。
守屋東先生の後継者の不祥事で負債を負った学園は転売され、今は瀟洒なマンションが立ち並んでいます。
あの綺麗な松島さんも中途で海外の高校に転入されました。

私も進学の為に都立高校に編入学しました。

今になると、まるで砂糖菓子の様に甘く溶けてしまうと思われたこの学園の思い出が、自分の心の根っこに深く存在している事に驚きます。何度も歌った讃美歌のメロディは今も響いてます。

誰にしても、10代の頃の経験は人間形成にとても大事なものなのですね。




読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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