読書の森

ホワイトデーの殺意 その7



太田信は勤続12年真面目一筋の男だった。
主任とは肩書きだけで、営業センスはお世辞にも優れてると言えない。
彼はただガムシャラに営業マンの地位に居座る事で存在を主張していた。
家庭を顧みないために、家庭も安住の場で無かった様だ。

「今時の若者は敬語を知らん。どいつもこいつもバカばかりだ」
その彼の目に要領の良い優秀な保田紘と可愛いカナの恋は腹立たしいものだった。
ロクに挨拶もしない若者が遊び回るとしか見えない。

恋愛に恵まれなかったこの男はある復讐を思い立った。



二人のメールを盗み見して、鍵の細工をしたのもキャビネットからロッカーにCDを置いたのも彼の仕業だった。

そしてわざわざ紘に通報したのも彼である。
他の人の仕業であれば、一番疑わしい筈なのは彼だ。
そうならなかったのは、紘のミスと思い込んだ周囲と、太田の余りに愚直な見かけが得をしたと言えよう。

「太田さん最近胃がんで亡くなったの。
あっと言う間だったわ。
若い時のガンは進行が早いから」
希美がため息を吐いた。
「その前に、全部告白したんですって。
あなたが山谷課長の命令で保田君を誘惑したって彼に吹き込んだのも」

山谷課長はカナが尊敬していた渋い二枚目である。
カナは赤くなったり青くなったりして聞いていた。

希美がざっくばらんに話してくれた事は、ガンの恐怖に怯えてた彼女に生きていく希望を与えてくれた。

屈辱が消えて誤解が解けた今は堂々と生きられる。
たとえどの様な結果は出てもガンを克服して生きよう、とカナは思った。
そして、太田に対する同情心さえ湧いてきたのである。
死の恐怖を味わったカナにとって、一生懸命生きてた筈があっという間に病魔に命を取られた話は他人事と思えなかった。

皮相な見方しか出来ずに、真実を見極めず根拠のない殺意を抱いていたのがシミジミ恥ずかしかった。

暫く雑談を続けて、カナと希美は別れた。
カナを喜ばせるような言葉を希美は何度も口にしていた。それはやっと落ち着き場所を見つけた彼女の幸福感が言わせたのだろうか。
カナは「おめでとう、お幸せを祈る」とやっと口にしただけだった。ここに来た本音を知られない為にも無口でいるに限ると思った。

カナが恨み続け、復讐したかった相手は最早この世の人ではなかったのだ。
持参した農薬は近所のドブに捨て、彼女はホッとする以上に脱力感を覚えた。


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