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読書の森

愛しのエリー 再篇 最終章

秋風の爽やかな朝、研究所を依願退職した絵梨は絋の入院する海辺の病院を訪れた。
この病院内の特別室を借り切った形で絋は暮らす。

担当看護師はにこやかに絵梨を迎えた。
「最近はすっかり落ち着かれましてね。好きな読書をなさったり、ゲームを楽しんだり、私も同行して朝の散歩をされたりしてますよ。
絵梨も慇懃に応えた。ただし硬い表情のままである。
「それは宜しいですね。こんなに自然に恵まれた空気の良い場所でのんびり養生出来るのが何よりですわ」(つまりネットも出来ずテレビも見られない、すっかり外界から遮断されてるって事ね)

しかし、その部屋の重いドアは硬くロックされて、専用のカードが無いと開けられない。
絵梨は看護師と共に入室した。

絋は漂白されたような顔をして迎えた。絵梨を見て怪訝そうだったが、やがて得心したように呟く。
「君職場で一緒だった人ですね」
「そう。覚えててくださったのね」
絋は弱々しい笑顔を見せた。
「私の名前は絵梨と言います。あなた、エリーというロボットの事は覚えてらっしゃる?」
「エリー?」
絋は顔をしかめた。
そして情けなさそうに呟く。
「何せ頭がおかしい病人だからね。何も覚えていない。昔この病気を早発性痴呆と言ったそうだよ。僕は痴呆なんです」

その一言で絵梨は胸に蓄積していた想いが溢れ出した。
「あなた、気狂いでもない。痴呆でもないわ。私が悪かったのよ!あなたのような素晴らしい知能のロボット技術者がこんな惨めな状態になるのなら、決して関わってはいけなかった私!ごめんなさい。元に戻ってお願い!絋、昔の優しくて人好きのするあなたに戻ってよ、絋!」
ボロボロと涙を流して、絵梨が訴えるように絋の身体に触れようとした途端に、看護師の思いもよらぬ強い力で押し戻された。

彼女は低い声で威圧するように絵梨をたしなめた。
「やめてください。患者の感情を過度に刺激する事は厳禁になってます。さもないとあなた、、」

「も」という事か、絵梨は看護師の鋭い眼差しから目を逸らし、項垂れて「申し訳ございません」と一言もらして、病室を去った。

そしてそれが絋との別れになった。



外は雨模様の休日、港に近いレストランで絵梨は大場と会った。

「松平は君を好きで堪らなかった。しかし、研究所の規則と人目を怖れて君とデートするどころか、想いを打ち明ける話も全く出来なくなった。
追い込まれた彼は、病欠を装い君のアンドロイドを作る事を思いついた」
「彼はロボット工学の技術に優れていた。おまけに非常に器用な人だったわ。ロボット造りの材料は研究の為に揃えてかなり豊富にあった筈よ」
「彼が夜を日についで作成したロボットがエリーだった。作成中から彼の神経がだんだん冒されてきたのじゃないのか?」
「私、分からない」

絵梨は冷えた紅茶を飲み干した。
「ただ、現実の私よりもエリーの方がずっと従順だった事は確かでしょうね。
そして彼はエリーと自分だけの世界に入りこんでしまった」
絵梨はため息をついた。

現在そのロボット、エリーは研究所内に置かれている。
ロボット技術の優れた見本としてである。
非常によく出来た人型ロボットの見本として見学者もいるマスコット的存在である。
このロボットのお陰で紘の入院費用や日常生活は賄われている状態だった。

ただし、そのロボットの表情は恋人を失った女の物悲しさを湛えているという。


今の絵梨には、苦しみに鍛えられた靭さがあった。
無駄なものを削いだ様な印象である。
大場は自分が女としての絵梨に心惹かれても、もう遅い事を感じた。

「ところであなたは、明日の午後医療ボランティアとして某国へ旅立つのですか」
「はい」
二人は意識して丁寧な口調になった。

某国の医療センターの医療ボランティア募集(宿泊費食費は向こう持ちの)試験に合格した、絵梨は旅立つ。
そこで、たとえ何が待とうとも、彼女は行こうと決心していた。
紘を救えなかった医者として責任を取ろうなんて事じゃない。彼女自身の為だった。

未知の大陸で、彼女は己の持つ唯一の技術である医療知識を活かして、人を生かす仕事をして自分が生きていたいと願った。

「大丈夫かな」
大場が呟く。(君みたいに感受性の強い刺激に敏感な女性がそんな過酷な所で働けるのだろうか?)
「大丈夫かどうか行ってみなきゃ分からないわ。
やって後悔してもいい。
私、何も見ずに何もせずに長生きして、その時後悔したくないの」

「自分を虐めるなよ」
言いかけて大場は口をつぐむ。
窓を打つ雨の他は、シーンと静かなレストランの片隅で二人は黙って遠い海を眺めた。


読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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