昭和50年代、年下の友人二人が岡山市の病院に検査技師として勤務していた。
フリーターの私は、何度か彼女たちを訪ねて岡山に行き、その度に心も身体もリフレッシュできた。
昔ながらの街並みの残る空気の美味しいこの街と、自然そのものの明るさに満ちた彼女たちによって、私はパワーをもらった。
1977年、晴れて正社員になれたのも、前年に色々な友達や自然との触れ合いが特別多かったお陰だったと思っている。
1976年は彼女たちの下宿に泊まり、初日は吉備路を歩いた。
吉備路は国分寺を始めとして、田園風景の中に神社仏閣が点在する。
ローカル鉄道やバスを利用して、長閑な小旅行が出来た。
あまり長閑で、私たちは殆ど子供帰りしたこの旅を満喫したのである。
翌日、宇高連絡船で宇野から四国の高松へ行く。
本四連絡橋など、まだ工事も着工されていない頃である。
内海は凪いでいて、嘘の様に早く四国に着けた。
高松の港で讃岐うどんを食べた。
太くてこしがあってとても美味しかった。
ここから栗林公園はバスに乗って直ぐ先にある。
由緒ある公園で、何故か私の後を付けすり寄ってくるワンちゃんがいた。
写真撮影の時に、必ず入れてよと私たちの間に登場するのだ。
私はあまりの可愛さに、大胆なポーズ(?)をとって誘惑してみた。
ワンちゃん、あきれたんでしょうか?
あれから40年以上過ぎ、宇高連絡船はもう通っていない。
素朴で天然だった時代の夏、懐かしく思い起こします。
昭和51年は『泳げたいやきくん』という漫画チックな歌がミリオンヒットした。
又、昭和天皇在位50周年(!)の年でもある。
そして、団塊の世代が親となり、団塊ジュニアもよちよち歩きの時代だった。
うららかな春のような年で、その夏も春のような優しい日差しが降り注いでいた。