見出し写真は1976年発表されたレコードのカバー、初々しい岩崎宏美です。
1976年の暮れ正式に就職の内定が決まって、私の忘れられない年です。
その前のアルバイトで電話セールスをした頃から、学生時代のノリが帰ってまいりました。
アルバイト先の場所は有楽町の古い雑居ビルの一角、電話帳から拾った名簿の家庭にアトランダムに電話をかけて規定の教材の宣伝をする仕事。
顧客が電話で購入を希望した時点でベテランに交代して、一件成立です。
勤務時間は一定以上取れば自由に選べ、基本時間給で成約する毎にご褒美が別途報酬となりました。当然時間給は平均以下です。
正社員はごく僅かで社長がどんな人か全然分からない、怪しげではありますが、気楽なアルバイトなので主婦や学生が多かったですね。新聞広告で、一応見た目まともな人であれば誰でも受かったようです。
この教材の中身やどうやって調達するのか私全然知らなかった。今にして思うと違法なコピーだったのかも知れ無いです。
仲良くなったアルバイト仲間の奥さんは、私と同い年でお見合い結婚だとか、恋愛に憧れてたそうで、お見合いで結ばれたと言うのがイヤだと仰る。
身綺麗で真面目そうで同世代なので話が合いました。
当時の私の外見はかなりダサかったし、社員は皆お金持ちと程遠い方々で、外目には冴えない職場でしょうが、そこは売れても売れなくてもアットホームな雰囲気の居心地が最上の場所でした。
この会社の特徴は社員の慰安のレクレーションの時間を催してくれた事です。
その一つに観劇があります。アルバイト仲間たちと一緒に当時の美人スター浜木綿子主演の舞台劇を観に行きました。
数少ない正社員の課長がいかにも人の良さそうなおじさんで、「はまもめんこは相変わらず綺麗ですな」と隣席で仰る、「はまゆうこなんです」とも言えないで私も舞台に見入ってた。
正社員の方々はあんまり頭良さそうじゃないけど、これほど気楽に務められた所はなかったのです。
高度成長期の東京のど真ん中、有楽町の片隅のユートピアでありました。
耳も目も口も若かった私にとって非常に楽な仕事でしたが、一件も成約出来なかった記憶があります。
「この教材役立つのかね」と思いながら宣伝してたからでしょうか?
その頃お昼に食べたモノにパン屋のオカズパンがあります。
特にこのソバパン好きでした。