
千代は自分が捨てられた子である事を既に知っている。
その時から、会うと親しい肉親のようにまとわりついていた正夫を眩しい目で見るだけになった。
それどころか努めて会うのを避けようとしていた。
正夫にとってそれはひどく寂しい事だった。しかし、心を引き締めて志望校合格の為学問に専念したのである。
無事合格が決まった晩、正夫は密かに千代に手紙を渡した。
二人だけの逢瀬の誘いである。
約束の河原で二人は黙って向かい合った。
約束の河原で二人は黙って向かい合った。
千曲川はさやさや流れ、見上げると満天の星空だった。
正夫には千代の目が濡れているように思えた。
「千代、手紙にも書いた通り僕はお前の生い立ちなんて何も気にしてない。
お互いに子どもの様に遊ぶ事はもはやできないが、僕にとって千代はとても大事な人だ。この世で一番大事かも知れん」
一気に言うと正夫は、しゃがみ込んで河原の小石を拾った。
野球投手の型を真似て河に小石を投げ込んだ。
正夫には千代の目が濡れているように思えた。
「千代、手紙にも書いた通り僕はお前の生い立ちなんて何も気にしてない。
お互いに子どもの様に遊ぶ事はもはやできないが、僕にとって千代はとても大事な人だ。この世で一番大事かも知れん」
一気に言うと正夫は、しゃがみ込んで河原の小石を拾った。
野球投手の型を真似て河に小石を投げ込んだ。
彼は黙ってそれを何度か繰り返した。
そうでもしないと、気恥ずかしさで逃げ出したくなっていた。
生まれて初めての愛の告白が重過ぎたのである。
そうでもしないと、気恥ずかしさで逃げ出したくなっていた。
生まれて初めての愛の告白が重過ぎたのである。
千代は人形の様に立ち尽くし、そんな正夫を眺めていた。
そして一言細い声で呟いた。
「それは私には勿体ないです。勿体ないのです」
正夫の耳にその声がは川の流れる音の様に聞こえた。

その晩以後、正夫と千代の間はすれ違って互いの姿を認め合うだけの日々が続いていた。
口さがない村人が、年頃の二人の仲に気づいて悪い噂が立たぬように気をつけたからである。
そして。
そして。

正夫は、酔いに火照った身体の芯から千代に対する激しい飢渇を覚えた。
肉体の衝動以上に、迫りくる戦いによって追い詰められた恐怖感を癒したかったのである。
正夫の思いなど知らぬげに、大勢の客は一様に彼を激励し手を握り、賑やかに武運長久を祈った。
彼らの前では正夫は穏やかに微笑んで見せる。
名家の長男に生まれた彼は、見かけの自分を生きるのが上手だった。
心の中に嵐と渦巻く激情は決して人に知られまいとしていた。
宴は果て、正夫は軽く湯につかった後、「よしの」の離れに休む事にした。
それは正夫が望んだ事であり、もはや隠居した大女将が勧めた事でもある。
千代の居るこの宿で、最後になるかもしれない故郷の夜を過ごしたかった。
肉体の衝動以上に、迫りくる戦いによって追い詰められた恐怖感を癒したかったのである。
正夫の思いなど知らぬげに、大勢の客は一様に彼を激励し手を握り、賑やかに武運長久を祈った。
彼らの前では正夫は穏やかに微笑んで見せる。
名家の長男に生まれた彼は、見かけの自分を生きるのが上手だった。
心の中に嵐と渦巻く激情は決して人に知られまいとしていた。
宴は果て、正夫は軽く湯につかった後、「よしの」の離れに休む事にした。
それは正夫が望んだ事であり、もはや隠居した大女将が勧めた事でもある。
千代の居るこの宿で、最後になるかもしれない故郷の夜を過ごしたかった。