読書の森

大岡信 「新 折々のうた」

「折々のうた」は朝刊で読むのを心待ちにしていた。
作者、大岡信は詩人である。
折々の歌は短い詩歌、短歌、俳句を紹介し、鑑賞を交えた文章だった。
朝の心が洗われるようで、打たれる作品ばかりであった。
ひょっとしたら、この文章が読みたさに新聞を手に取っているのではないかとさえ思った。

非常に長く続いた記事だったが、身辺の雑事に紛れいつ始まって、いつ終わったかを知らない。
検索すれば一目瞭然の話だか、何故かこの人の検索はしたくない。

虚心に記事を眺めて一時の癒しを得るのと、時空を飛び越えた文学の旅をした心地になる。



さて、本日紹介するのは、平成5年より平成6年までの記事、夏のうたの一部である。

「まんまるな思ひの中でゐたいので机上のメロンいつまでも置く」

作者は女性、夫との離別を味わった。
孤独の中でけば立つ心が浮かぶ。
「まんまるな思ひ」尖がりやすい私自身もそんな思いに浸ってみたい。
言葉遣いの新鮮な切れ味が素敵だと思う。



「夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき」

これはあの寺山修司の歌である。
個人的に彼の人となりは好きでないけれど、歌の感性には強く惹かれる。
天才的である。
しかし、天才と言われる人に放浪を好む人が多いのは何故だろう。

古いところでバイロン、近くは山下清、石川啄木、etc.(いざとなると名前が出てこないので申し訳ありません。ただ、芸術家、作家に移転が多いのは確かのようです)


本作の中には素晴らしい作品がキラ星のように並んでいる。
独断と偏見で選ばせていただくと罰が当たりそうだ。

最後に今の私の気持ちを句に託す。

「物言はぬ独りが易し胡瓜もみ」

昭和30年『そよ風』所収の女性の句である。
大正4年、20代の末に虚子に入門した。
その他の履歴は知らない。
しかし、気持ちも情景もすっぱりと鮮やかに見えるような一句は見事だ。

元来私はかなり口数が多い。
心に憤懣を持つとき喋る、喋る。顰蹙を買う。

心の垢に塗れて、この句を詠むと風が通っていく。

詩歌が救いになるって本当だと思う。
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