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読書の森

誰もいない海 後編

「じゃあ、ひょっとして、、テレパシーがあるって事?」
「って言うか、本音か本音じゃないかすぐに分かっちゃうのね。子供の時から他人に育てられ大人に嘘つかれて酷い目に遭ったから、用心の為に直感が発達したみたい」

「、、、」
「おばさんの身の上話して良いかな」
「聞きたくもないけど。良いよ、あの世までその話一人で持ってきたくないんでしょ」

詠美は苦笑いしながら、それにしても急に余震が収まって静か過ぎる、と思った。
ひょっとして、、この人と私はもうあの世とやらに行ってしまったのだろうか?


聞きたくもないでしょうが、ざっと私の身の話をします。と女は話し出した。


彼女、仮にトモコとする。トモコの父はある病院の勤務医、母は看護婦だった。父に愛されて母はトモコを身籠ったが、父の親族がこぞって結婚に反対、同僚の妬みやイジメも重なって耐えきれず心を病んでしまった。
そしてトモコは精神病院で生まれたのだ。

出生の秘密は隠されていたが、父の親族の開業医の家で末っ子として育ったトモコはかなり利発な子で、ある大学の医学部に無事現役合格した。そしてその春、来るキャンパス生活にワクワクしてるトモコの身にとんでもないアクシデントが降りかかった。
何浪しても合格できない養家の長男にレイプされたのである。そしてさらに彼女の出生の秘密を聞かされた。

「それでも私負けなかった」と女は呟いた。

安い下宿を探してアルバイトしながらトモコは学業に励んだ。恋が出来るどころではない忙しい時期だった、そして国家試験の関門通過。小児科医を目指して大学病院に通うトモコを見染めたのが同期の医師である。仮にヤマダとする。ヤマダの家は代々の医師だったが彼はそれを鼻にかけない、意見をしっかり持った骨のある医師とトモコは感じた。軟弱なくせに獣のような義兄とは大違いと思う。

ヤマダとトモコの間に具体的には何もなかった。が、女子の少ない医学部の事で男子学生から露骨に妨害され、ヤマダを慕う看護師から陰湿に虐められた。わざと違う処方箋を渡されすぐに訂正を出す。トモコがドジを重ねているように周りが噂してるとトモコはノイローゼに陥っていく。自分の母の狂気の状況と重ねて、、
ある朝医局で着ている白衣を引き裂き出した。白衣の下はヌードである。更衣室に掛けてた新調のワンピースが誰かのメスで切られていたのに気づいてカーッと血が上ってしまった。
抑えに抑えた性欲の発露かも、と後にトモコは思うが、病院側はそれどころでない。
医局全員がトモコの身体を隠してシーツに包まれた。
即興奮止めの注射を打たれてトモコは昏睡し離れた精神病院に入院して、当然医師の資格は剥奪された。


それでもトモコは普通に生きたかった。薬漬けになるとメンタルが弱いと思われる、と思って通院せず過去を隠す生活にはいったのである。
SEXに対するトラウマがあって、親しくなっても男性とその事ができない。理由を話せない男は誤解して追いかける。そこから逃げて移転し職を失った。

その繰り返しの人生の暮れ方。
トモコは偶然ヤマダと再会した。それも道理でトモコにさしたる意図はなかったが、見つけた手頃なアパートの近くでヤマダが住んでいたからだった。

平日の午後に出会ったヤマダは不思議な程昔と変わりなかった。
トモコを認めると無邪気な笑みを浮かべた。
「トモコさん、、」(じゃないですか)
「ヤマダさんですか」
ヤマダは寂しく頷く。

「懐かしい!」
度々二人が会うようになったがトモコは不思議だった。一体ヤマダは仕事をどうしているのだろう。
風の噂では家庭を持っている筈だがまるで家庭の匂いがしない。そして
「ずっとあなたが好きだった」と熱い視線を向けるが普通に会話をしようとすると寂しそうに避ける。
男盛りの人である筈なのに決してその欲望を見せない。

そして、ある秋の午後。トモコはヤマダにアパートの部屋の鍵を渡した。
「来てくださいね。ご馳走するから」
「、、、」
「気が向いた時で良いの」

紺青色のビロードのような空の夜、トモコはご馳走を作って待っていたが、ヤマダは現れなかった。
直ぐに来る訳ないし、出し抜けの言葉にヤマダは驚いて来ないかも知れない。
とトモコは諦めた。
そして、市販の眠剤を飲んで床につく。彼女が昼間の疲れも手伝って泥の様な眠りに入った時、身体に激しい痛みを感じた。
誰かが襲ってきた。
もがこうとしても凄い力で抑えつけてくる。首がしまってきた。苦しい、死ぬ。その瞬間
「ヤマダさん!助けて!」と大声で叫んでトモコの意識は途絶えた。

気がつくと誰かが熱心にトモコの頬をさすっていた。
「生きててくれ!お願いだ」と男の声が聞こえた。
「ヤマダ、、さん」
その誰かは弾かれたようになって起き上がり逃げていったようだ。トモコは再び意識を失った、、、。

「ゴクン」とつばを呑み込んで女は黙った。
「それで?」と詠美は意地悪く聞いた。これって恋バナ?惚気?つまりそう言うプレーって事。
又、女はトモコの思いを先取りした形で言った。
「そのどれでもないの。ヤマダは若年性痴呆にかかって病気の自覚はあったんです。青春期の恋は覚えてた訳です。子供は独立、奥さんも去って、彼はつけられたお手伝いさんの目を盗んで私と会っていた」

「、、、」
「いくら好きでも二人とも独身でも結ばれる事は殆ど不可能です。もう自分の前途は暗闇と言うことは分かっている、その時、ヤマダは無理心中を図ろうとしたのです」
「そして、、私病気が再発しちゃった。誰にもこの悩みが言えなかった」

「そんな話聞かせないでよ。あんまりです!」詠美が叫んだ時、地面が大きく揺れた。
「逃げて!」
女の手からコートと荷物が渡されて、詠美はただひたすらに走って病室を抜け、病院の門の外に逃げた。
ガラガラと大きな音を立てて建物が崩れていく音が聞こえた時、彼女は近くの竹林の中にいた。
竹の生える土地は硬いと聞いた事があるからだった。
詠美はコートのポケットにチョコレートのカケラがあるのを思い出してそれを舐めた。

蘇った心地がした。



そして、翌年の夏の終わり。
「今はもう秋 誰もいない海」
詠美は季節外れの時代遅れの歌を口ずさむ。

あの女はどこにいるのか?生きているのか?それとも全て一瞬の幻なのか?

あの大震災で詠美の一家は全滅してしまった。詠美の好きだった男はその土地を離れたらしい。
詠美は役所に罹災届を出して、見舞金をもらい、今は地元の公共住宅で暮らしている。
この先の人生は読めないけれど一人で生きて行くしかないだろう。せっかく生き延びた命だから。

「ひとりでもひとりでも死にはしないと」
涙も出ない目で詠美は海を見た。









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