見出し画像

読書の森

夢見たものは

お天気同様、灰色に沈み込む空気に逆らって明るい「貞奴さん」のお話を載せてしまいました。
時勢柄不謹慎かとビクビクしてます。

世の中悲劇の方が多くてメデタイ喜劇で終わる事は結構少ないのではないか、と最近しみじみ感じます。
生きにくいのに疲れてそのまま流されるよりも、貞奴さんのようにしっかり自分の生き方を通す方がカッコ良いですが、それには努力のみならず、天分、人気が必要になります。
何より時勢に合っていないと、カッコ良いどころか、爪弾きの的になるみたいです。




これは2013年秋の新聞のチラシであります。
賑わって光輝く横浜の街を感じます。

ほぼ同時期の「みなとみらい」周辺です。ホントに綺麗です。

これは1996年、友人がニューヨークのセントラルパークで写したもの。見た目今の彼女とはかなり違うので載せました。

実は彼女のニューヨーク行きの旅費は、市民マラソンのジャンケン大会で勝ち残ったご褒美に出たものです。

たまたまマラソン大会に出て、たまたま勝ち残った最後の一人だった為に、ニューヨーク旅行の旅費がタダになった訳ですね。

このように偶然のラッキーチャンスと言うのは、いつどこで待っているか分かりません。勿論自分から行動しなければ何も変化は無いですけど。






気温差がひどくて、風邪を引きやすいです。キンカンが安く入手できたので蜂蜜で甘く煮ました。私の場合かなり喉が楽になりました。





さて、表題の『夢見たものは』は昭和の詩人立原道造が24歳で他界する前に残した詩の一節です。絵も彼の作品です。

「夢みたものはひとつの幸福
 願ったものはひとつの愛
  
 山なみのあちらにも
 しずかな村がある
 日曜日の青い空がある」

繊細かつ病弱だった立原道造の生き方も詩も生活感に欠ける印象で、以前は全然惹かれる事はありませんでした。

しかし、今しみじみ「優しい詩だな、良いな」と心に沁みます。

彼は東大の建築家を出た一級建築士兼詩人であります。建築事務所に勤めていた頃、結核を患って夭逝してしまいました。
旅と詩を愛した彼の夢のような恋の相手が同じ事務所に勤めていた19歳の事務員でした。
彼と彼女の唯一のデートの場が、銀座の資生堂パーラーで、そこで「彼がご馳走してくれたシャーベットの味が忘れられない」と後年彼女が語っていたそうな。

淡い綺麗な初恋でございます。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「エッセイ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事