本来は、「イチローさん」か、「イチロー氏」と書きたいところだが、これでは何か知合いのような気安さや、選手名の「イチロー」にして「氏」というバランスの悪さともなってしまうので、名前での敬称や丁寧な表現などは全て略させていただきます。
前回の分析では、「自分の理想を実現させようとする気持ちは、彼自身の華々しい経歴を見ても達成されていることが分かる。それは将来に向けての努力のたまものである。しかし自分自身を意味や価値のあるものにしたいという欲求は、それが自分が幸福であるための必要条件となることで、その神経をすり減らすことになるだろう」と書いた。
この分析とは、「イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」というテレビ番組で、去年の大リーグを振り返ってのインタビューを基にしたものだ。
最近でのニュース記事では、新たなイチローへのインタビューが読める。
イチロー 球宴までに3000本安打だ!!(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
イチロー 今季のテーマは「遊び」(スポーツニッポン) - goo ニュース
この記事で最も注目するのは「2007年でようやく苦しみから解き放たれた感触を得たんでここから先は、ちょっと遊びたいなと思ってます。見てる人が『イチロー、遊んどるな、あれ』と印象を抱くような雰囲気でプレーをしたい」というものである。
私は、『確実性を得るまでの葛藤におけるストレスを「越えたい」と願って、それに立ち向かう。本人が強く欲して、追求しているその確実性が得られれば、そのときが「越えた」ときなのであろう』と分析したのだが、本当にイチローは「苦しみから解き放たれた感触を得た」のであろうか?
ニュース記事では『メジャー7年目にして初めて苦しむことなく200安打に到達した。最終戦を終え、技術で精神面をカバーできた1年を「ようやくスタートしたかな」と表現した』と書いている。
最多安打の日本記録、張本勲の3085本が視野に入ってきて、プレッシャーに追われる焦りが失せたのかもしれない。
しかしどうもこの現在的なイチローのインタビューは、前の分析からすれば面目通りには受け取れないものだ。
イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀、から
イチロー 僕、あのー、ストライクゾーン、いわゆるストライクゾーンってありますよね、ベースの上に通る。あのストライクゾーンだけ、もし打つことが出来たら、僕よりヒット打てる人はいないと思うんですよ。間違いなく、僕が一番ヒットを打てる。でもわけの分かんないボールに手を出したりね、ダメだ、これ手を出しちゃダメだ、ということがいけないんですよ。これがなくせるんじゃないか、っていうことなんですよ。で、この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ないな。ようは無駄な技術を駆使する必要がない。普通に打てると思った玉を撃ちに行けば、ヒットが出る、ということなんですよね。
2006年までは、悪玉を打ってもヒットに出来る技術があるというものに拘った。だがそれを変化させようと、ストライクゾーンに拘ることになる。それが2007年だったのだろう。
それで選球眼を優先しボールを見極めようとすると、審判のジャッジと対立することになる。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。
悪玉を打ってもヒットに出来る技術という、感覚的(主体的)なものを優先させると、審判の介入する余地がなくなる。だが、より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまう。
前回はこのように分析した。
確実性を得るまでの葛藤におけるストレスの影響で他者が“硬さ”を感じるほどだ。その硬さがある人により頑固さとして感じてしまうほどであるなら、これからの審判との関係が懸念される。
分かりやすさの追求から心理学用語は書かなかったが、それを使用すれば、イチローの人並み外れた向上意欲とは、“神経質傾向のような特長”があるものだ。
たとえば、彼が心理カウンセラーのサポートを受けていたとすれば、カウンセラーはその完全主義的な意識をより緩和させるような助言をするだろう。
より強く拘るほど近視眼に陥るものであり、そんな視野を広げるために「遊び」という意識を持ち込みたいと考えた。「遊び」とは、1人でも出来るが、より大勢であればもっと楽しいものだ。この幅の広がりが「遊び」にはあるからだ。きっとイチローの“硬さ”を、この「遊び」の意識が緩和させる、とカウンセラーとして考えた。この「遊び」が、より健全で質の高いものであるなら、精神的な健康も育むものであろう。
去年の200安打への到達において、より確実性を得たのであれば、プレッシャーやストレスからより逃れるための「遊び」という考えとは、イチローに、より精神的な安心をも約束させるのではないかと思われる。だがもちろんそれが新しいシーズンの成功を保証するものではないだろうが……。
遊びを意識しすぎて不意のけがに見舞われないように、という心配は天才イチローには失礼な予測であろう。
前回の分析では、「自分の理想を実現させようとする気持ちは、彼自身の華々しい経歴を見ても達成されていることが分かる。それは将来に向けての努力のたまものである。しかし自分自身を意味や価値のあるものにしたいという欲求は、それが自分が幸福であるための必要条件となることで、その神経をすり減らすことになるだろう」と書いた。
この分析とは、「イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」というテレビ番組で、去年の大リーグを振り返ってのインタビューを基にしたものだ。
最近でのニュース記事では、新たなイチローへのインタビューが読める。
イチロー 球宴までに3000本安打だ!!(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
イチロー 今季のテーマは「遊び」(スポーツニッポン) - goo ニュース
この記事で最も注目するのは「2007年でようやく苦しみから解き放たれた感触を得たんでここから先は、ちょっと遊びたいなと思ってます。見てる人が『イチロー、遊んどるな、あれ』と印象を抱くような雰囲気でプレーをしたい」というものである。
私は、『確実性を得るまでの葛藤におけるストレスを「越えたい」と願って、それに立ち向かう。本人が強く欲して、追求しているその確実性が得られれば、そのときが「越えた」ときなのであろう』と分析したのだが、本当にイチローは「苦しみから解き放たれた感触を得た」のであろうか?
ニュース記事では『メジャー7年目にして初めて苦しむことなく200安打に到達した。最終戦を終え、技術で精神面をカバーできた1年を「ようやくスタートしたかな」と表現した』と書いている。
最多安打の日本記録、張本勲の3085本が視野に入ってきて、プレッシャーに追われる焦りが失せたのかもしれない。
しかしどうもこの現在的なイチローのインタビューは、前の分析からすれば面目通りには受け取れないものだ。
イチロースペシャル(2008年1月2日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀、から
イチロー 僕、あのー、ストライクゾーン、いわゆるストライクゾーンってありますよね、ベースの上に通る。あのストライクゾーンだけ、もし打つことが出来たら、僕よりヒット打てる人はいないと思うんですよ。間違いなく、僕が一番ヒットを打てる。でもわけの分かんないボールに手を出したりね、ダメだ、これ手を出しちゃダメだ、ということがいけないんですよ。これがなくせるんじゃないか、っていうことなんですよ。で、この感覚を得れば、今までの技術なんか必要ないな。ようは無駄な技術を駆使する必要がない。普通に打てると思った玉を撃ちに行けば、ヒットが出る、ということなんですよね。
2006年までは、悪玉を打ってもヒットに出来る技術があるというものに拘った。だがそれを変化させようと、ストライクゾーンに拘ることになる。それが2007年だったのだろう。
それで選球眼を優先しボールを見極めようとすると、審判のジャッジと対立することになる。バットを止めたとしても、塁審からハーフスイングでのストライクをとられてしまうこともある。
悪玉を打ってもヒットに出来る技術という、感覚的(主体的)なものを優先させると、審判の介入する余地がなくなる。だが、より客観的なストライクとボールの見極めなどを優先させようとすると、審判がより介入してしまう。
前回はこのように分析した。
確実性を得るまでの葛藤におけるストレスの影響で他者が“硬さ”を感じるほどだ。その硬さがある人により頑固さとして感じてしまうほどであるなら、これからの審判との関係が懸念される。
分かりやすさの追求から心理学用語は書かなかったが、それを使用すれば、イチローの人並み外れた向上意欲とは、“神経質傾向のような特長”があるものだ。
たとえば、彼が心理カウンセラーのサポートを受けていたとすれば、カウンセラーはその完全主義的な意識をより緩和させるような助言をするだろう。
より強く拘るほど近視眼に陥るものであり、そんな視野を広げるために「遊び」という意識を持ち込みたいと考えた。「遊び」とは、1人でも出来るが、より大勢であればもっと楽しいものだ。この幅の広がりが「遊び」にはあるからだ。きっとイチローの“硬さ”を、この「遊び」の意識が緩和させる、とカウンセラーとして考えた。この「遊び」が、より健全で質の高いものであるなら、精神的な健康も育むものであろう。
去年の200安打への到達において、より確実性を得たのであれば、プレッシャーやストレスからより逃れるための「遊び」という考えとは、イチローに、より精神的な安心をも約束させるのではないかと思われる。だがもちろんそれが新しいシーズンの成功を保証するものではないだろうが……。
遊びを意識しすぎて不意のけがに見舞われないように、という心配は天才イチローには失礼な予測であろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます