Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

ラジオとともに~RADIO-i閉局に寄せて

2010年09月30日 | ヨミモノ・キキモノ・ミモノ



『今日深夜0時、日本初の「放送停止(閉局)」迎えるRADIO-i。
 RADIO-iのレギュラープログラムを彩るiJたちが総出演して送る17時間の生放送!

 ひとり60分の持ち時間で、リスナーの皆さんとの最後のコミュニケーションを交えつつ、
 それぞれの表現で音楽の楽しさと感動を伝えていきます。

 「LOVE RADIO! FOREVER MUSIC!」

 RADIO-iの最後の1日だからこそ、
 私たちはあえて、そう叫びたいと思っています。

 ラジオがすき。そして、音楽よ永遠に。』




■今、このウェブログを打ちながら、今夜あと40分余りで放送を終え、電波が止まる名古屋のFMラジオ局「RADIO-i」を久しぶりにエアチェックしている。昔は120分のカセットテープをとっかえひっかえ、オートリバース機能のある単体デッキを手に入れたときには小躍りするような気持ちだったが、今では回線の確立を確かめて、波形編集ソフトを立ち上げてワンクリックするだけだ。まったく技術の進歩というやつは恐ろしい。そんな感じで、手元のHDDには何本もの古今東西のラジオ番組が埋まっている。
■1999年の9月だったか、10月だったか、確か通勤途上に渡っていた長良橋の欄干の上で、試験電波として流れてきたのを聞きながら、何だか新しい波がやってくるんだな、JFL(Japan FM League)系列の局は既にあった(ZIP)が、InterFM、FM-COCOLOに続いてモアミュージック、レストークの局の仲間ができるんだなとわくわくしたのを覚えている。さすがに開局後はα-STATION(FM京都)みたくノントーク編成は経営事情が許さなかったのだろうが、「Morning-i」「after dark」や「Travellin' Rock」のような名物プログラムは、欠かさず聞いていた。特に2つ目は時間帯は違えど、試験電波の時の心地よさを濃厚に残していて、城達也さんがご存命であり、未だに降板されていなかったとしたら、「ジェットストリーム」はこんな雰囲気になっていたのではないかとも思わせた。
■親会社・興和が系列の百貨店の経営を継続する代わりにこの局の経営から撤退し、閉局するというニュースが流れたとき、驚いたのは10年間に渡って1度たりとも黒字経営を達成することができていなかったということだった。ラジオメディアというのがそこまで儲からないもの、赤字を垂れ流すものであるなんて、RADIO-iだけではない、東海ラジオもCBCもFM愛知も岐阜ラジオも地元以外の多くの局においても、常に濃密なリスナーとして生きてきた自負のあった者にとっては、思いも寄らないことであったのだ。聞く側の立場だけではない、一時はスタジオの中で発信する側になるかもしれなかっただけに。このことについてはいつか詳しく書く。
■じゃあどうすればいいのか。リスナーとしてだけなら今まで以上に聞く番組をことを周りに宣伝したり、最近増えていると言われる、ラジオの電源の入れ方も知らないような若い世代を洗脳してゆく(笑)なんて動きくらいしかないのかもしれないが、ラジオ番組を創る側ではないにしろ、表現する側の人間として考えるのだ。畢竟その答えは、広域ラジオ放送との関わりでいえば、その経営モデルにとって取り上げるだけのメリットのあるコンテンツを発信できるだけのポテンシャルを保ち続け、かつ活動を高いレベルで継続させてゆくということしかあり得ない。そう思う。
■加えて言えば、RADIO-iの終焉を止めることができなかった名古屋の表現者のひとりとして、いくばくかの責任を感じ、抱えていくべきではないかとも考えている。いや、これは誰か他に強制するようなものではないが、個人的な立場として表明しておきたい。ラジオは人生を変える。声は人を変える。何があろうとも、私はそれを信じている。ありがとう、そしてごめんRADIO-i。

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