■スポニチに掲載された、落合博満監督夫人・信子さんの手記より。中日新聞にも、「大本営」中日スポーツにも載らなかった言葉に、身につまされるものがあったので、表題にしてみた。いつも言われることだが、中日が優勝する年には大事件、大事故が多い。1988年(☆野政権2年目)は上海列車事故、リクルート事件、1999年は東海村のJCO臨界事故、2004年は新潟県中越地震、鳥インフルエンザ、狂牛病(BSE)、2006年はライブドア事件。そして今年は落合監督のインタビューをぶった切って大阪地検の証拠フロッピー改ざん事件だ。乱世を象徴しているとも言えるが、野球は毎日がクライマックスだ。別に大して巧い比喩とも言えないだろう。だけど今年のドラゴンズの歩みは、少なくともこれまでの優勝までの軌跡とは明らかに違ったことがあった。
■あくまで個人的な見方の域しか出ないが、かつてはこのチーム、ペナントレース後半にとことん弱いチームだったのだ。首位で前半を折り返したと思ったら、5.5ゲーム差を広島にひっくり返されたということもあった。かのチームの指揮官は山本浩二監督だったと記憶する。あと、メイク何とかとか言って東京のうさぎさんのチームに良いところ全部もってかれたこともあった。1994年10月8日のナゴヤ球場の決戦が過去最も盛り上がった試合だとはよく言われることだが、あれでもシーズン当初からAクラスをほぼ維持して最後まで行ったというパターンだ。それでも結果として勝てなかった。今回のように、後半戦ギリギリのところで、急激にアクセルを踏んで首位でゴールするなんてカッコいい真似をできるような球団では、少なくとも私の記憶の中でなかった。それだけでも落合博満という監督の類い稀なる才能と感覚と強運に、深く頭を垂れるほかよりない。
■そんな人がいう言葉の一端がこれなのだ。これ以上の説得力はない。監督、僕も頑張ります。見てて下さいなんて言いたくもなろうというものだ。才能は歳月が育てる。その歳月の過ごし方に、選択肢はないのだ。と、いうわけでこれからナゴヤドーム最終戦に参戦してまいります。ダブルブッキングであーっと落ちこんだ午前中もありましたが、それも人生、何もしくじりもせず安閑と過ごすのも人生と自分に都合良く考えて、選手たちと栄冠を祝ってきます。ていうか、今日くらいヤクルトに勝てよ!
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