■えー、まいどまいど間際のご報告となりましたが、本日午後6時30分より、岐阜柳ケ瀬商店街の「いしぐれ珈琲」にて、毎月恒例『「町奉行日記」を読む』を開催いたします。長いこと閑古鳥がカーカー鳴いていた柳ケ瀬も、さる4月22日でしたかドン・キホーテが旧メルサ(名鉄系のショッピングビルでした)の跡地に入居開業しまして、何だかエラいことになってるぞ@プロデューサーいしぐれの言葉が果たして本当かどうか、この目で確かめて来ようかと思います。ちょっと色変えてみました。はい。
■そして、昨年の今頃は何をしていたかと言えば、これでしたね。うららかなナンジャーレの屋上で、メキシコの神様の格好してましたが、なんと今年のGWも同じようなことになりました。以下,、Twitterでの文言を採録します。
日付が変わるまでにはまだ間がありますが、ご報告です。
今週末、仙台へまいります。ついこの前決まった話です
が、仙台で畏兄・寂光根隅的父と一緒に「春と修羅」を
演ってくることになりました。
(略)このたびの東日本大震災により被災された全ての方
に心よりお見舞いを申し上げます。各種報道を引くまで
もなく、一連の災害はひとと社会が紡いできた「縁(え
にし)」をおよそ想像できないほど暴力的に押し流して
しまいました。それを再起し、再興させるのは、やはり
ひとの、わけても表現者の、俳優の仕事なのではないか
と強く感じます。仙台には、東北には私にも細くとも
「縁」があります。それが僅かでも、未来の、彼の地の
助けになればと考えます。心を読みで届けてきます。
―私の父は油絵を志していた20代、盛岡出身のH氏と
本州から九州を自転車で旅した。そして、「春と修羅」
だ。前々回の「潜水生活」の冒頭は賢治で始めた。それ
を東北、まさに90年の昔に彼が生きた土地で演じら
れることで、そこに住む方々が少しでも元気を取り戻
すことができれば。
準備らしい準備はできないかもしれないが、
やらせていただきます。
やらせていただきますとも。
以上。
4月24日
■今日もYahoo!ニュースは仙台空港が津波で根こそぎ持って行かれた映像が公開されたなんていう、現地の人が見たらどういうことを思い出すのかを顧みないニュースを流していたけれども、新聞に限らず、あらゆる既存の情報伝達の媒体が礎としていた、私を含む「受け取る側」からの信頼感もまた、根こそぎやられてしまったというのが、今回の震災の一側面であるような気がします。当然Twitterもこれに含まれるわけで、やれ誰がデマを流した流された、既存メディアがさすがだ、いや記者クラブの弊害だ、放射能よりタバコや交通事故より安全だ(改めて打つと…なあ。)さまざまな角度からのさまざまな色合いの意見にも「ふむふむ」という思う部分がある自分は、この例えは被災者の方々には本当に申し訳が立たないという気持ちで書き記しておきますが、津波ではなくタイムラインに流されそうになった気がしました。そしてこの2、3日、一度は承諾した仙台行きに悶々としていたのでした。単純に、怖くて。
■でも、昨夜、あるブログを再び読んでカチリ、と自分の姿勢が直り、怖さも消えたような気がしました。
わたしたち生きる者の旅には、つねにすでに死者を伴っている【no size】
もう10年近く、距離は離れているけれど親しくさせてもらっている京都の劇作家、田辺剛さんのウェブログです。3月、まさに地震と津波が生じた日の夜、私はいつものごとく七ツ寺に行きました。田辺さんと七ツ寺が共同製作した日本のへそ演劇祭(へそフェス)参加作品「あの小舟ならもう出た」という作品を見るためにです。ちょうど、この辺りを読んだからかもしれません。
『今週末は京都・アトリエ劇研にて公演をする。俳優とスタッフが揃っていて、劇場の機構と設備に問題がなければ開場する。そして観客が一人でも来るならば、予定通りに開演する。災害やトラブルがあろうが無かろうが、昔からわたしはそうしてきたし、これからも変わらずそうしていきたい。』
■そうだ、自分はかの地へ「日常」を届けに行くのだと。毎日3度の飯を食い、毎月1本の本を詠み、加えて何本かの芝居を肴に飲んだくれる、名古屋という大きすぎず小さすぎない街で自分が何の気もなく過ごしている日常こそが、1ヶ月をかけて一面の非日常と化し、そこから元の姿を取り戻そうとしている東北という土地に力を与えるのだ、そう感じたからこそ手を挙げたのだと。
■そういうわけで、明日と明後日、仙台で宮沢賢治の「春と修羅」からヒントを得たスクリプトを詠んできます。現地でも何らかご報告ができたらと思っています。催事の詳細はこちらからご確認ください。では、荷造りと岐阜へ行く準備をします。
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