Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

声を出すこと/支えること(仙台報告)

2011年05月02日 | 舞台特に演劇
■(4月29日)21時30分、岐阜での「潜水生活」を終え、岐阜の名物「枝豆まんじゅう」を買い込んで名鉄バスセンターから仙台行きのバスに乗り込む。仕事方面の疲れが溜まっていたのか、暫くの間は起きていたがいつの間にか意識を失い、起きたら既に福島県を走っていた。国見SAでの休憩の後再び寝入ってしまい、再び目を開けたら、補修用のカバーに全面を覆われた仙台駅が目の前に見えていた。宮城交通のバスターミナル、午前7時。暫く時間を朝食やら珈琲やらでつぶして、市バスに乗り換えて東仙台郵便局近くの会場「Toru's Factory」へ。途中で共演者・寂光根隅的父にばったり。相当不思議な気持ちになる。
■現代の演劇における試演の重要性を考え、劇作や演出、演劇を志す人に、手軽な上演と評価の場を作るというのが京都発祥のC.T.T.の成り立ちの基礎になっている。2008年夏に名古屋事務局に参加し始めて以来、回を重ねるごとに強く感じて来たのは、この仕組みは演劇をやることが大して盛んでない地方にこそ必要なものではないかということ、そして、この活動を進めようとすることを通じて、自分自身を成長させることができるだろうなということだった。と、いうことで言えば仙台に新たな事務局が立ち上げるために見学させて下さい、という声が届いたとき、あれだけの大きな都市でも、外に出てそういう機会を求めようとする人がいることに知ってとても嬉しかった。今回の仙台行きはもちろん震災の発生が直接のきっかけではあるのだけれど、そういう気持ちに応えたいと思ったことが、最も大きな理由であったような気がする。
■「青森挽歌」「和風は河谷いっぱいに吹いて」といった宮澤賢治の詩歌と、太神楽、ギリシア神話を取り交ぜた構成での30分は、急場しのぎであったけど、どうにか一定の評価は得られることができたようだ。ただ、東北の言葉を真似したところで自身の身体から発せられた言葉になるわけではないので、自分が普段使っている生活言語で通させてもらった。これを不満に思われた方もいらっしゃったようだが仕方がない。冒涜したなんて言い方まではされなかったが、その恐れはある。賢治の普遍性は、言葉のイントネーションで云々されるようなものではないとは思うが、それはあくまで東北から遠く離れた土地で暮らす人間の考え方の限界かもしれないし。
■2日目の上演と合評会を終え、17時過ぎに会場を離れて仙台駅に戻った。ちょうど29日に全線復旧した東北新幹線のおかげでその日のうちに帰名することができたが、プラットホームの天井の鉄骨はむき出しのままだった。同じ試演会の舞台に立った仙台の劇団、三角フラスコのプロデューサー、森さんが記した文章にもあったように、みかけの復旧はなされても、復興には相当の時間を要するし、復興はなされても、震災で起こったことの全てを、東北に生きる人々はこれからずっと引き受け続けていかなければならない。それは750キロ離れたところに住んでいる私も、程度の違いはあるにせよ、同じだ。自分がこれから差し出してゆく表現を、自分の力のどうしたって届かない何物かにどう対峙させるか。はしくれながらアーティストとして、日々の生活から仕事から見つめ直して、再構築させる必要を強く感じた2日間だった。こういう割と平易な言葉にまとめるまで、実はとても時間がかかったのだけれども、一応終了の日付のところに掲載しておきます。(5/15 22:00追記)

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