Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

「アラビアの夜」を越えてー俯瞰する読み

2012年01月23日 | 朗読・声の周辺



■昨日(1/22)のtweetでも少し触れましたが、改めて一昨日、七ツ寺企画+愛知県立芸術大学ドイツ語研究室/七ツ寺プロデュース第17弾「昔の女」プレ・リーディング公演『アラビアの夜』&トーク「ドイツ演劇は今」、終了しました。ご来場頂きました皆様、雨の中をありがとうございました。台本頂いて約1月、しかし稽古は実質4日間、一体どうなることかと不安におののいていましたが、6年半ぶりに立った七ツ寺の舞台で深い示唆と新たな確信に出会うことができた上演でありました。
■この戯曲他の作者である、ローラント・シンメルプフェニヒ(リンクは日本独文学会へ飛びます。執筆は今回の戯曲翻訳をされた、愛知県立芸術大の大塚先生です)は現代ドイツ演劇シーンで最も先鋭かつ人気のある劇作家であり、その特徴は「語りの演劇」だ。だからニシムラ頼む、と演出のジャコウネズミのパパさんから依頼があった時には、言っている意味が全く分からず「?」が何個も頭の中に浮かんだのですが、一旦戯曲を読みはじめると、最初は面白かったのです。しかし、だんだんと込み入り度が増す構造に、次第に黙読するのも難渋したので、実は途中で読み進めるのをやめてしまいました。「もう、稽古になったら何とかなるかも…」とか淡い期待を持ちながら。
■今になって考えてみると、普段「潜水生活」で各種の小説や文学作品を読むことに慣れている自分でも、その対象はあくまで地の文/会話/モノローグがある程度の明快さをもって提示された基本的な構造を持ったものであったり、人称が固定されているものに馴染みがあるだけで、今回の「アラビアの夜」のように、それらが綯い交ぜになって、読み進める自分と、読んでいる人物が今どのような時空間にいるのかいつの間にか分からなくなってしまう形態の作品を俯瞰できるようなや経験やスキルを持ち合わせていなかったということだと思います。
■どうしたらいいのか?それに対するとても心強い示唆に、火曜日(1/11)から始まった稽古で出会えました。大して特別なものではなく、身体と感覚をほぐす若干のストレッチとトレーニングだったのですが、そこで自分の身体がある部分に偏った負荷がかかっていたことに気づかされたのです。具体的に言えば、ちょうど両胸の、剣状突起を挟んだ辺り一帯です、ここに、足首手首、指の関節、肘肩の可動部と一連のストレッチと呼吸法を経た後で、「そこ」に何かが残りました。何なのかは今になってもわかりません。いわゆる「凝り」のようなものだったかもしれません。いずれにしてもそれに気づいた瞬間、これまでの読み方が正しいか誤っていたかに関わらず、ある種の「俯瞰する視線」を手に入られたのだと思います。
■そしてもう1つは「身体の中心線を意識する」という視点に再会したことです。かつて少しだけジャズダンスを習っていたころ(があったのです実は)に接して以来、すっかり忘却の彼方だったのですが、読むという行為と連関させて考えるということを、今回の稽古のおかげで初めて意識的に試すことができました。上下左右、体幹のどこへでも少しズラせば読みは確実に変わることは、これまでの「潜水生活」でも無意識ながら行っていたという記憶があります。しかし、これまでのいずれにも増して確たる実感を手に入れることができた感触です。やっぱりまだ言語化するには自分の頭が足りませんが、シンメルプフェニヒ戯曲の「綯い交ぜ」構造がきっかけになったことは間違いなく、文面から発せられる「寄る辺なさ」が原因であったのでしょう。いずれにしても確実に、これからの自分の読み方は変わるなという気にさせられたということだけはご報告しておきたいと思います。
■これまで舞台に関わってきた中で、2003年夏にひとりで即興実験学校に通い始めたとき、翌年の冬にやっぱりひとりで「潜水生活」を始めた時、その後リーディングという形式に大阪や三重で出会った時、いずれの時にもわけもなく、身体、背中の辺りに何か熱い液体のようなものが流れるという感触があったと記憶しています。別に気持ちが高ぶって涙を流すとかそういうことではなく、ただぼーっと解放される感じ。今回もまた、そうでした。午後からランスルー→ゲネプロ→本番と約6時間読みっぱなしの立ちっぱなしであったのに、ただただ、幸せでした。終演後、共演の皆さんが一様に、普段持ち慣れないのか台本を挟んだバインダーの重さに痛みを訴えていたのですが、自分はとても心地よかったのです。
■終演後、トークに参加して下さった三重大学の田中先生他、いろいろな人と話したのは、「語りの演劇」とは身体をフルに動員した、今回の稽古で(少しは)弁えることができた語りであり、それらは翻ってみるに日本における義太夫や常磐津、浪曲、講談といった伝統的な語り芸と通底する要素が多分に含まれているな、ということでもありました。もしかすると活弁も、そして自分の朗読もそうなのかも。いよいよ自分が向かおうとしている方向の霞が晴れて来つつあることを実感できた、忘れ得ない現場となりました。これを生かします。生かさない手はどうみても、ない。強く、とても強く思います。
■最後に改めて共演の岸★正龍、おぐりまさこ、伊藤早紀、笹岡豪の各氏と、演出として自分を導いてくださった畏兄・ジャコウネズミのパパさんに深く御礼を申し上げます。ありがとうございました。みなさん、自分はプレ企画のみですが、七ツ寺企画は同じ作家の作品「昔の女」を3月に上演しますよ。是非ともご覧下さいませ!

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