Siamo tutti un po' pazzi.

~我々は皆少しおかしい(イタリアの慣用句)~

普段色々考えていることの日記です。

「十二夜」スタジオライフ

2009年11月13日 | ミュージカル・演劇
すまん。同じ男ばっかりでもピッコロ劇団版の方が面白かった。

スタジオライフとの出会いは1年半前の「夏の夜の夢」からである。
そのチョイ前にピッコロ劇団でやった男だけの「十二夜」が面白かったので、これもどうだろうと思って見てみたのだ。
感想はまぁまぁ。
素人に毛が生えたかのような演技だけど、それなりに楽しめました。
だから、この「十二夜」も先行予約でゲットしたのですけどね。

会場へ行って一番に驚いたのは、いつの間にか役者がアイドル化していたことです。
ブロマイドだとかCDだとか写真集とか、そういうのが売られていて、お客さんもおめかしした女性ばかり。
初日に行ったからかもしれませんが、リアクションにかなり困りました。

プラットホームパフォーマンスは、かなり楽しめたので是非毎回やって欲しいぐらいですね。
他にもチケットのもぎりやグッズ売り場の売り子も出演した役者がやっているので、役者とお客さんの距離がかなり近いかもしれません。

さて、そんなわけで演技の方ですが、
う、う~ん。
シェイクスピアって何? というライトなお客さんだったらそれなりに楽しめるでしょうが、
シェイクスピア大好き! というコアな客にとってはちょっと物足りないかも。
私はシェイクスピアの言葉の洪水のようなセリフが好きなので、役者の滑舌の悪さに「……」となってしまうのですよね。
ただ、発音は悪いし、時々セリフを噛んではいますが、そのセリフそのものは役者一人一人のものになっている。
よくある、セリフをしゃべるだけの人間になっていないのだ。
だから、これは演出家の人に言いたい。

もっとシェイクスピアのセリフを増やして。

なんか、役者自体に才能があるのに、それを生かし切れていないモニョモニョした感じがあるのだ。この作品にも「夏の夜の夢」にも。
「フルーツバスケット」や「トーマの心臓」のように少女漫画をやるならああいう演技でもいいけど、シェイクスピアに関してはもうちょっとがっつり取りこんでほしい。
沢山いいシーンがカットされていて、もったいないなぁ…って思ってしまった。
テーマも役者も演技もいいのに、肝心の演出家が「シェイクスピアって今どきの子に受けるのかしら?」って怯えてしまっている感じがする。
受けるよ!
実際、この私がハマりにはまったのは10代なんだから。
シェイクスピアの喜劇って無茶苦茶少女マンガのノリだから、普通にやっていれば普通に女子高生に受けると思う。
「ロミオとジュリエット」って今でも少女漫画界に生き生きと息づいているのだからね。
十二夜もね、男装の令嬢を含めた三角関係なんて少女漫画で良くある設定。
だから当時女子高生だった私がハマったんだ。

私はね、十二夜でオーシーノがちょっとシザーリオを好きになりかけていて、「でもあいつは男だ。俺が好きなのはオリヴィアだ」と自分をごまかすためにシザーリオにオリヴィアへの使いを頼むシーンが好きなんですよ。
そこでシザーリオは自分の苦しい恋の気持ちを「妹の話ですが……」と言ってオーシーノに伝える。オーシーノはシザーリオに心が奪われかけているから、シザーリオの話にショックを受けるのですよ。そしてつい、「お前の妹はどうしたのだ?」と聞いてしまうのです。
シザーリオの答えは「何も」。
言外に妹が死んでいることを言うのですが、その妹とは実はシザーリオ扮するヴァイオラですよね。まるで童話の人魚姫のようにシザーリオは自分の人生と恋を海の底へと沈めてしまうつもりだったのだと思います。

このものすごく切ないシーンが
まるまるカットとは……

ゆ、ゆ、許せん…

他の歌をカットしてでも、このシーンは入れるべきだった。
このシーンがあるからこそ、最後のハッピーエンドが生きてくるのに。



追記
前回も思ったが、喜劇は悲劇より難しいのだ。
折角大阪に来たのだから演出家先生は吉本新喜劇をしっかり勉強するように。
役者自身の間の取り方は良くなっていたので、もう後は脚本と演出の質次第だと思う。


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