雲をつかむ死 (クリスティー文庫)アガサ・クリスティー早川書房このアイテムの詳細を見る |
『大空の死』 アガサ・クリスティ (創元推理文庫)
アガサ耐久レースをしている気分だ。
現代を舞台にしている推理小説を、しかもアガサ・クリスティのように半生にかけて執筆をつづけていた人の作品を読むと、時代の流れを感じて面白いです。
例えばデビュー作の「スタイルズ荘」では第1次世界大戦が舞台なのに、その20年後『NかMか』では第二次世界大戦が舞台といった具合に。
彼女は1973年まで執筆活動を続けていたので、その時代までの時事ネタはこれからも登場するんじゃないかなと、ちょっと楽しみでもあります。
というわけで、今回は飛行機が舞台です。
1903年のライト兄弟の初飛行より飛行機の発展は大きく進み、小説の年代である1930年代に金持ちの利用客用ではあるが旅客機も登場したみたいです。
以下、ウィキペディアからの引用文です。
旅客機を利用する乗客は、地位と財力を併せ持った一部の人に限られ、座席クラスも現在のファーストクラス(一等)に相当するものしか無かった。飛行中に提供される食事は必ず提供される直前に調理または加熱され、白いテーブルクロスのかけられた食卓で銀製の食器を使用するなど(マーチンM130)、現在のファーストクラスをはるかに上回る贅沢さであった。
はい。まったくこの通りの情景でした。
乗客数も最大で約36名。
接客サービスをする人(今でいうスチュワーデス)は男性で、接客はまるでホテルのラウンジのようです。
離陸と着陸の際のシートベルト着用義務もなく、しかも機内食は別払いで降りる前に料金を請求されていました。
便は一日2便しかなく、午前の便(8:45)を逃したり満席だったりするとお昼の便(12:00)しかありませんでした。
……ちょっと待て、そこの美容院助手。
いくら競馬で当てたからって、行き帰りとも飛行機の旅なんてやりすぎやろ。
おとなしくブルートレインに乗っておけよ。
おそらくアガサにとっては当たり前すぎて書かなかったのだろうが、当時は一発当てたらやってみたい豪華旅と言えば飛行機の旅だったのでしょうね。
今だったら逆に飛行機じゃなく「豪華客船!」と言いそうですが。
さて、となるとアガサが舞台にした旅客機にも興味がわくところですが。
おそらくハンドレページHP42じゃないかと思います。
ウィキペディアの説明だと、ロンドン-パリ間の民間航空会社の飛行機らしいし、「乗客24~38名」と書かれてあり、ちょうど人数的にもぴったりくるのです。
初飛行も1930年で、アガサが執筆前に噂を聞いたり試しに乗ってみたりするのにちょうどいいです。
ただ、あくまで素人判断なので、できれば詳しい方に聞いてみたいところですが。
ちなみにウィキペディアの「ハンドレページ」のページにはハンドレページHP42の写真もあります。
しかし、よく考えれば飛行機って究極のクローズド・サークルだよね。
クローズド・サークル(closed circle)はミステリ用語としては、何らかの事情で外界との往来が断たれた状況、あるいはそうした状況下でおこる事件を扱った作品を指す。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が代表例。
~ウィキペディア「クローズド・サークル」より
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