Siamo tutti un po' pazzi.

~我々は皆少しおかしい(イタリアの慣用句)~

普段色々考えていることの日記です。

「二人の貴公子」バウホール

2009年03月27日 | 宝塚歌劇
【宝塚バウホール】
月組
バウ・ミュージカルプレイ
『二人の貴公子』
公演期間:2009年3月12日(木)~3月29日(日)
原作/ウィリアム・シェイクスピア、ジョン・フレッチャー
脚本・演出/小柳奈穂子

出演者
パラモン:龍真咲
アーサイト:明日海りお
エミーリア:羽桜しずく
テーセウス:萬あきら
ペイリトオス:磯野千尋
牢番の娘:蘭乃はな

感想
3回も見に行きました!

宝塚とシェイクスピアははまるんですよ。
一方は男ばかりの劇団、もう一方は女ばかりの劇団。
ということで、脚本や演出、演劇姿勢などに「男らしさ」「女らしさ」を求めているのでしょうか。
それともチューダー朝の格式ばった大仰な演劇が宝塚のコテコテ演劇と通ずるのでしょうか。
ともかく、これ以上に無いぐらいはまります。

二人の貴公子は容姿端麗、文武両道。
これ以上並び立つこと無いぐらいカッコイイ二人の王子が一人の王女に恋をし、命をかけて争う話です。
このストーリーだけで、もう女性ファンからするとたまらない設定です。
さらにはこの二人が親友同士ということもあって、恋か友情かという悩みもあり、これも宝塚で常に追求されてきたテーマだったりします。
だいたい、シェイクスピアで出てくる男性はどの男性もウジウジと悩みすぎます。
私は「オセロ」を観に行ったことがありますが、なんか鬱々と悩みすぎていて、どうしても格好いいと思えなかったことを覚えています。
ですが、これが宝塚だと妙に格好よく思えてくるから不思議です。

さて、一つ一つをあげて感想を言うときりがなくなりそうですが、
まずは演出から。
コロシアムのような半円形建物で舞台をぐるりと囲み、
あるときは牢獄に、あるときは森の広場に、あるときは神殿に見立てての演出は、
シェイクスピアの時代の舞台、あるいはその元となったギリシア悲劇にも通ずる演出で「舞台」そのものの歴史を感じ面白かったです。
しかも舞台中央部とその周辺部で複数のストーリーが進行し、私を3度足を運ばせる結果となりました。
(でも見足りない!)

一番良かったシーンはパラモンとアーサイトが壁越しに会話するシーン。
目に見える壁は無く、ただ舞台に一本の線が引かれているのみ。
だがそこに、二人の運命を永遠に分かつ壁とその壁すらも乗り越える二人の友情が見え、
すごい!
と、素直に感動してしまいました。

出演者に関しては、もう全員を一人一人あげながら感想を言いたいぐらい。
それぐらいどの出演者も素晴らしい演技でした。
龍真咲のパラモンは、大雑把で気が短いがどこか人をひきつける魅力があり、まるで太陽のような青年。
明日海りおのアーサイトは穏やかで控えめ、パラモンよりは沈思黙考を好むまるで月のような青年だが、意外と負けず嫌いな一面を除かせる。
羽桜しずくのエミーリアは二人が恋焦がれるアマゾンの王女。
お転婆で英雄テーセウスに意見ができるほど気の強い女性。それなのにこぼれるような愛嬌があり二人が一目で恋に落ちるのも無理ないと思わせる。
この3人が繰り広げる恋模様は時にはこっけいな喜劇のていをなしているのだが、だからこそこれ以上に無いぐらいの悲劇。
「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」
というチャップリンの言葉どおり、泣きながら笑い、笑いながら泣いて、観ていました。
そんな中で私が好きなシーンは、パラモンが恋に落ちる瞬間。
演劇中、もっともこっけいなシーンなのだが、同時にもっとも悲惨なシーンでもある。
(なぜなら、この瞬間二人の悲劇が始まるのだから)
このむずかしいシーンを龍真咲はこっけいに、そして悲惨に演じていたと思う。
あとは、森の中でパラモン、アーサイト、エミーリア、牢番の娘、テーセウス、村人などなどが入り乱れるシーンも良かったし、パラモンとアーサイトの決闘シーンも良かったです。
他にも二人が壁越しに会話するシーンは演出だけでなく、二人の演技、歌、踊りなどなどすべてにおいて秀逸のシーンでした。
そして最後のシーンは、もう3度観ても3度とも号泣しました。
心の底から親友と過ごす一瞬一瞬を大事にしようと思える最後でした。

宝塚とシェイクスピアははまるんです。


コメントを投稿