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aCappella好き♪

歌うこと、作ること。思いついたこと。好きなものを好きなだけ。

心地よい人。

2013-09-16 11:48:03 | 自分への言葉
先日、津市から遊びに来たH崎さん。

ある日突然、「今度、関東の方に行くから」と
電話をくれた、こともうれしかったけれど
ぜひ泊まって~との誘いに気軽に応じてくれた。

彼女は英語が得意で、
二歳くらいだった息子を連れて海外に行ったり
ホームステイの受け入れをしていたと記憶している。

そういうこともあって、慣れていたのかな?


新婚の頃に入った社宅でお隣だったH崎さんには
ゴミの出し方を始め、いろんなことを教わった。
わからないことがあると、隣をピンポーン♪
当時、4ヶ月の赤ちゃんを育てていたので
いつも寝ぼけながら出てくるのが気の毒で・・・(笑)

一階二階が一軒の住まいで、
玄関が横並びに繋がっている、いわゆる「長屋」に
ほとんどが新婚の8軒が住んでいた。
始めは子供もいなかったので
学生の寮のように毎日お互いの家を行き来して
お茶をのんだり、得意なコトを教えあったり
(私は洋裁を、みんなは編み物や小物、お菓子作りなどを)
実家が遠いさみしさもさほど感じなかったな・・・。
その後はそれぞれに家を買い、引っ越して
たまに遊びに行く、関係から
だんだん疎遠になって行ったけれど。

H崎さんが気楽に思えたのは
彼女がそこそこ「適当」な人であることを知っていたから。
私は掃除や片付けがあまり得意ではないけれど
彼女もそんな感じだったような・・・?
(正直、夫の両親のような「綺麗好き」な人だと
やることが多くて困る(笑)。
一応・・・A型なので、見栄もあるし?
・・・と言うよりは、
来る人を不快にさせたくない気遣い、かな。
「気にしない」人のほうがどちらかというとありがたい)

お風呂は一応お掃除しておいたけれど
霞ヶ浦の見える日帰り温泉に行こうと思っていた。
ところが彼女、乗換えを間違え、
成田に着く時刻になぜか「今、上野」とメールが入り・・・
「電池が切れそう。私は黒い服を着てます」と音信不通に。
おい~~~~!(笑)
仕方がないので、彼女が着くという18時半まで時間を潰し
温泉はパスして、レストランの予約も繰り下げ、
うちのお風呂に入ることになったわけ。

シャワーにする?お風呂ためる?と聞くと
「じゃあ、お風呂で」と迷わず返事が来たり
翌日、娘を送って帰ってくると
食器を洗ってくれていた、あたり・・・
本来、台所に友人たちが立ち入ることをためらう私が、
全然いやじゃなかった。
彼女の「気を遣わなさ加減」が何かと心地よくて
「あちこち見てないし、何も気にしてない」感じが
あっさりしていて、本当に付き合いやすい。

そうだ、H崎さんはひとつ先輩だっけ!と思い出す。
(なぜか私、昔から、後輩より先輩にひっつくタイプ。
年上の人とのお付き合いのほうが気楽みたい)
言葉はタメ口だし、特に年上として接してもいないけど
この頃年下の人とばかり付き合う機会が多い上
なぜか「立てられてる」気がする関係、を
どこか窮屈に感じる性質なのかな。

たくさんの人と出会う中で、
それぞれの関係や接し方がある。
人に応じたお付き合いをするのは
大人として当然のことだけど
「枠」を考えなくてもよい「友人」としての関係が
大人になると少なくなっちゃうのかな~

打ち解けた、と思っていた人と
こじれたり、裏切られたり。
そんな経験を通して、だんだんクールに
自分の周りに垣根を作っていくのかもしれない。


そういえば。
ごくたま~にしか練習に行けなかった
「地元の中学の合唱部OB父兄中心に結成された」
女声コーラスを、やめました。
代表のS川さんとメールでやりとりさせていただいて・・・
この方のお人柄の温かさにも心動かされた。
一生懸命で、優しくて、よく動いて、リーダーシップがあり、
何より歌が大好きなS川さん。
忙しいのに、多方面に頑張ってらっしゃる姿は、素晴らしい。
コーラスはやめるけれど、これからも
良いお付き合いを続けていただきたいと思う人。

自分を振り返る。

私は一体、どんな人?
このままでいーのか、否か。
「心地よい人」でありたいが、
人はなかなか変われないのかもしれない。
せめて、できることから変えて行こうと思った出来事。



夢は持たなきゃ叶わない!

2013-08-11 11:41:26 | 自分への言葉
アノ人・・・・。

また一つ、夢を叶えました。

四年前、観客として観に行った
憧れのサマソニに出演!
オメデトウ。

新人の頃・・・
目標を聞かれて彼はこう言ってた。

おじいさんになるまでバンドをやりたい。
それと
ビルボードで一位を取ること!

・・・・デカすぎるやろ(笑)。


でも、仕事をがんばって、
着実に大きくなって、
もしかしたら、叶うかも?と
思えるくらいなバンドになったね。
武道館!東京ドーム!とこの前なにかで言ってたけど
近々、きっと叶うよ。

あるインタビューで、「次にやりたいこと」を聞かれて
「プロデュース」
「事務所の後輩に曲を書きたい」と言ったのを
少し前に動画で見つけて
あー、この発言があって、去年?
Jちゃんをプロデュースできたんだ?!と、ナットク。

・・・言ってみるもんだね~
本人、わかってて言ってるよね~



そして・・・

ずいぶんな大人になってしまった今の私に
これと言って「夢」がないことを
残念に思ってる。

夢、はあったらあったで
叶えるための必死の「もがき」が
もれなくついてくる、と私は思ってるので

だたぼんやりと
「こうだったらいいなあ~」と憧れる、ことを
夢とは言わない。

夢を叶える努力、しんどい。

大人になると、目標に到達するまでの
時間や距離、を計る能力に長けてきて
「無謀」と思えることに挑む、前に
気力をなくしてしまうのかな。
(・・・自分の場合、そんな気がする)


さて、遅ればせながら
夏休みちょっと前、くらいから
絶賛受験勉強中?の次男クン。
人生守りに入った感、にさいなまれる母としては、
「目標」がある、ことがうらやましいよ。
今から死ぬ気で頑張れば、
どんな夢にも、きっと間に合う!とまだ、思えるから。
(本人がそこまで思って
部屋にこもっているかどうかは謎だけど)

「勉強してる」つもりでも
かなり余力はあると、彼を見て思う。
今、しかないのに。
ココを逃したら、あとあと苦労する・・・と
肝に銘じて踏ん張ってほしい。
本当に・・・ただ、傍で見守るしかできないけれど。


しかし・・・・
ビルボード一位を取りたいアノ人も
学生時代はそんなにお勉強しなかったみたいだから
好きなことなら頑張れる、っていうのはあるよね。

自分の道を見つけたウチの娘も
今はもう、迷いなく、
楽しみながら必死に勉強してるし

これといってやりたいコトも
好きなコトもないナンテかつて言ってた長男は
なんとなく選んだその道で、
それでも決して楽ではなく、勉強し、就職し、
彼らしく、飄々と、
与えられた仕事をこなしつつ
趣味の音楽や飲み会?を楽しんでる風だし。

あとは次男クンが、どうか
自分の思うような生き方を出来る人になってくれれば・・・
好きなこと、のための努力や苦労は
むしろ好ましい。


毎日、暑くて
「やりすごす」ように生きてる気がしてならない。
残り少ない人生なのに!
これでいいのか!(笑)

「今」の位置からスタートできる「夢」を
なにかしら持ちたいと思いながら
「そのための努力」が、煩わしく思えて
「やりすごす」毎日に流されている

夏の日。



きっと良い歌が生まれるよ。

2013-08-07 14:09:56 | 自分への言葉
・・・・。

私の好きなアノ人とアノ人は、似てると思う。

すごく自信家で、でも謙虚で、
「てっぺん取るでー!」って堂々と言える、ところが
素敵で、大好き。

トリプルAで傷つきやすい、はずなのに
強い意地を持ってる。

逆境に負けず、跳ね返してほしい!

きっと、もうしばらくした頃に
「わかるヤツだけわかればいい」表現で
んニャローっ!!って見返してくれるはず。

自分の主張を、
仕事にしている手法で
世の中に訴えることが出来る彼らを
うらやましく見つめる。

傷も、痛みも、糧にして
愛してくれる人たちに微笑んで。


かくいうワタクシも
過去に何度か、打ちのめされるたび
「曲が書けそう!」と強がってきた。

これは神様からの、試練なんだと。

痛みがあってこそ、良い作品が残せる気になって。
(その試しがないけど)

負けるか!って、気持ちを
そんな言葉に変換することで
穏かに、ひたすらに、
寄る荒波と向き合った、過去の日の自分。

もう今は、そんな風に生きてはいないけど
今でさえ、苦い出来事に襲われるたび
タダで起きてたまるか!と思う。


声を荒げて反論しなくても
ちゃんと、思いを世の中に発信できる特権。

大丈夫よ。
愛してる。
信じてる。
あなたはそれだけの価値がある。

つい先日、「もっと強くなるよ」と誓ってくれたアノ人と
アノ人が重なる。
痛みはちゃんと、作品になって残ったね。
その歌を聞きながら、当時を思う。

私も、強くなるよ。
そして、思いを残すよ。
ひたすらに、痛みと向き合って・・・。


・・・そんなに好きだった???(笑)

2013-08-04 16:36:57 | 自分への言葉
来週、弟ファミリーが実家へ引っ越してくるというので

御年80歳の母が、ひとりで長年住んでいた
「モノが多すぎる」あの家ではマズかろうと
片付けの手伝いに行って来た。

くたくた~・・・・。
お姉ちゃん(私)、がんばったっ!!


着くなり、玄関に出してあった段ボールの箱の中に・・・
「捨てる前に、いるかどうか見て」と言われた
若き日の私の私物。

・・・ナニコレ???

学生時代の文集、の上に鎮座するは・・・
百恵・友和の特集雑誌!しかも数冊。

加えて、美しくファイリングされた
友和氏の雑誌記事!
(あたしってこんなにマメだった・・?!)

さらに、友和氏のLPレコード数枚。

えーーっ、こんなの、持ってるなんて
あたし、まさしく「大ファン」じゃんっ!(笑)

・・・まったく記憶にない。

いや、好きだったよ、確かに友和さんは。
でも、どっちかっていうと百恵さんのほうを
好きだったはず・・・というのは記憶違い?

某マイナー系ジャニーズアイドル→NSP
→(この辺にユーミン)→チャゲアス
→S先生(吹部顧問)→CNくん(現在)
と思って来たけれど・・・

いやはや、私の過去からすっかり抜け落ちていた
「オッカケ」の履歴、友和氏。


NSPのLPレコードも発見。
新生NSP、になって天野くんの名前が
天野滋→天野音彦へ。
うわあ、そんなコトもあったっけ~
(このあたりに澤近さんが加入してたのかな?)

なぜか「相曽晴日」のLPも一枚・・・
(♪トワ~イライトの風に~たとえ吹かれてみて~も~♪
ポプコンファンだったあの日の私・・・
しかしなぜこのレコードが?)

レコードは処分するとして
百恵友和写真集、は今度実家に帰った時に
じっくりながめてから棄てようっと。
(再び物置の二階へ格納)



実家でのいろいろは、後日また。

・・・私が行かずして、どうやってあの家に
弟ファミリーの荷物が入ったのだろう?
こんな時に駆けつける長女、ありがたいでしょ(笑)。
「お姉さん、片付けに来ていろいろもらっていったのでは?」と
意地悪な勘ぐりをされるコトはないとは思うけど~
嫁が嫁なら、考えられる事態ではある。

前にも書いたけど、
あの面倒くさい弟に嫁いでくれただけで
私にとっては大事な大事なお嫁ちゃん。
これからもどうかよろしくお願いします。
(なにかといろいろあるだろう、とは覚悟しつつ)




思い出したい、けど・・・思い出せない!!

2013-05-01 12:42:07 | 自分への言葉
なにで見たのだろう?

テレビだったような気がする。

なんの番組で、誰が言ってた・・・???


思い出せないっ!!


そういう言葉、があることを初めて知って
ちょっと反感を覚えたものの
今では「・・・あるかも」と思える、ってコトを
書きたかったのに!

手持ちのことわざ辞典を最初から最後まで読んだけど
見つからず・・・


あいまいでスミマセンが、確か・・・
「田舎で書を読む人よりも
京で遊んでた人の方が優れてる」みたいな。

本でいくら勉強しても、それはそれ。
最先端の空気にじかに触れた人が
肌で感じて身につけたものにはかなわない、という意味に取った。


えーっ、そんなのあり~?!

田舎で生まれ育った、しかも努力型の自分としては
なんか・・・素直に受け入れられず・・・

でも、悔しいけど、わからなくはない・・・。
うん・・・。

「あまちゃん」観てても思うけど、田舎の人は
都会に住んでたら・・・と、
無限の可能性に思いを馳せるのよ。
いやいやそこじゃないよ、と知っていてもね、
田舎に生まれてない人にはわからない、とも言える
特殊な感情、が、あるにはあるの。



正直、転勤でこっちに来なかったら
私は歌をいつ始めていたのだろう?と思う。

嫁ぎ先のY市でも、当時ピアノは習ってたものの、
ピアノの先生、という人はあちこちにいて
私なんかが音楽やるなんておこがましい~と思えた。

住んでた団地は、市の中心部からやけに遠かったし
子供繋がりの仲良しさんと楽しい毎日を過してたし。

なにより、住宅ローンがあった!!
これは・・・・子育て終わったら働けサインでしょ。

そんな楽しい暮らしに泣く泣く別れを告げ
やって来たH町は・・・・

友人もいないし、することもない。
児童館や子育て支援のサークル、なんかも
行政に問い合わせたけれど、当時なかった。
(Y市では月に何度か児童館で遊んでたし
なにより、団地が子供だらけ・・・児童館に行かずとも
毎日お互いの家を行き来してた)

社宅のちっちゃい公園に、
当時年少さんの次男を連れて出てみるも
(Y市では私立の幼稚園にすでに行ってた彼だが
私立の幼稚園がない・・・公立は二年保育のみ)
時は一月、冷たい北風が吹き・・・景色はモノクロ・・・・
人っ子一人いない・・・。

・・・し、死ぬかと思った~

それで、夫にねだって
パソコンなるものを初めて買ってもらったのです!
アナタが帰ってくるまで、私は誰とも話してないのよ!と・・・。

まあ、そのうちに友人はぼちぼち出来るんだけどね。
最初の数ヶ月、次男が四月に幼稚園に入るまで、は
さみしかったし暗かった~

なーにもすることがないから
社宅のお姉さまが地域の合唱団に入ってると聞いて
私も私もと飛び込んだ。
中学高校合唱部、以来ちょいちょい
小さな合唱団で歌ったりはしていたけれど
あのままY市にいたら・・・あのキッカケはないな。
実際、10数年ぶりの合唱だった。

そこからの~いろんな出会いがあって

Hサキという小さな町、ではあるけれど
そこに住んでた転勤族の社宅妻たちは、
元バリバリ都会で働いてた人やら
はるか昔に女子大生だった人・・・からの~
PTA最強軍団、で培った、イケイケ思考の人、多数。

洗脳されたのかしら?
なんか・・・自分にも出来る、って
思ってしまったのよね~

実際、周りには「私より歌バカ」がいなかったし。

背中を押された、こともあって
作ってしまったシルキーリボン(笑)。

H町に来たころの私みたいに、
子供を連れて自分が遊べる場所、を求めてるママたちが
たくさん仲間になってくれたっけ。
子供を遊ばせながらの、集中できない練習だったけど
それでも楽しかった!

・・・あれから12年かあ~(しみじみ)

何度も考えた。
この町、だからこそ
私たちが歌っていられるんだ~と。

大きな町に出て行くこと、なんて
考えただけで怖かったし
ヘタクソすぎて無理~って、わかってた。

でも、いつかは・・・
練習を続けていれば・・・・
もしかしたら、ここではないどこかで
歌っていいよと言ってもらえるのではないかと
思ってきたわけ。

都会には多分、たくさんのアカペラグループがあって
みんな上手で。
そういう中にいたらきっと
磨かれざるを得ないというか、
感性も研ぎ澄まされるだろう。

でも、ココには、私たちだけ(笑)。

毎週かかさず、飽きるほど練習してはいても
「肌で感じる」こと、が出来てない。
多少遠くても、そういう場所に行き
アカペラでなくても、生の音楽のシャワーを浴びたら・・・
絶対になにか変わると思うんだけど!
(ライブが好きな私の妄想かもしれないけど・・・)

そして、ライブを見たらいつも
何がよかったか、何がイマイチなのかを
・・・まあ、あまり必要もないけれど
自分たちに置き換えて?心に刻む(笑)。

いくら言葉をつくしても、伝わらないことがある。
言葉なんかじゃ伝えきれない、「何か」があると思う。


・・・こんなことを思う時、かならず心に浮かんでしまうのは

普段、生の音楽に触れていない、地域や世代の人たちに
私たちの歌を届けることで、何かを伝えられるかも!ってこと。
必要な音楽、は人それぞれに違う。
誰かが求めてくれる歌、であればいいと願う。



連休明けの5月15日(水)13時半~
地元K市の労災病院で
シルキーリボンのロビーコンサートがあります。
12月に一度お邪魔して、またもや
ありがたいお話をいただきました。
皆様によろこんでいただけるよう、がんばります。
お近くの方、ぜひいらしてくださいね。
お問い合わせは私まで・・・。